ノイトラ(読み)のいとら(その他表記)Richard Joseph Neutra

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノイトラ」の意味・わかりやすい解説

ノイトラ
のいとら
Richard Joseph Neutra
(1892―1970)

アメリカ建築家。インターナショナル・スタイルの発展に寄与したことで知られる。ウィーンに生まれる。ウィーン工科大学、チューリヒ大学で学ぶ。ウィーンではアドルフ・ロースベルリンではメンデルゾーンのもとで働いたのち、1923年に渡米、ウィスコンシンのF・L・ライトのもとで仕事をした。25年にはロサンゼルスで、同郷の建築家シンドラーとともに仕事を始め、27年には第一作として強化コンクリートを用いたジャーディン・アパートを手がけた。この作品は、32年にニューヨーク近代美術館で開催された「インターナショナル・スタイル展」に選ばれ展示された。

 1929年にはもっとも知られるロベル邸を完成し、とりわけ個人住宅の分野で優れた業績を残している。陸屋根を好んで用いたことからもわかるように、彼は単純な形を表現性に富むビジョンのもとで巧みに生かし、独自の境地を切り開いた。36年のフォン・スタンバーグ邸、46~47年のカウフマン邸などにその完成度をみることができよう。後年にはパキスタンおよびカラチのアメリカ大使館(1960)のような大規模な仕事もある。ドイツのウッパータールで没。

[宝木範義]

『二川幸夫編・写真『グローバル・アーキテクチュア・シリーズ8 リチャード・ノイトラ』(1971・エーディーエー・エディタ・トーキョー)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノイトラ」の意味・わかりやすい解説

ノイトラ
Neutra, Richard Josef

[生]1892.4.8. ウィーン
[没]1970.4.16. ウッパータール
アメリカで活躍したオーストリア出身の建築家。 1917年ウィーン工科大学に学び,O.ワーグナーと A.ロースの影響を受ける。 E.メンデルゾーンと協働 (1921~22,ベルリン) ,23年アメリカに渡り,F.ライトのもとで働いたのち,26年ロサンゼルスで独立。 29年ロサンゼルスに鉄骨架構で支えるロベル・ハウス (27~29) を設計。以後,陸屋根と連続ガラス窓を特色とする「国際様式」をヨーロッパに先んじて展開。住宅をはじめ住宅団地,病院,公共建築の設計を通じて,鉄骨構造技術および工業生産品の活用を追求し続け,近代建築理念を建築の表現として完成させた。 49年には建築家の R.アレクサンダーと提携して,自己の活動領域を住宅建築から学校,聖堂,さらには都市開発計画へと拡張していった。カウフマン邸 (砂漠の家,46~47,パームスプリング) は彼の最高傑作の一つ。著作は"Survival Through Design" (54) ,"Life and Human Habitat" (56) など。

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改訂新版 世界大百科事典 「ノイトラ」の意味・わかりやすい解説

ノイトラ
Richard Joseph Neutra
生没年:1892-1970

オーストリア出身のアメリカの建築家。ウィーンに生まれ,A.ロースの弟子。ベルリンのE.メンデルゾーンの事務所で働いた後,L.H.サリバンとF.L.ライトをしたって1923年渡米,主に西海岸で活躍。ライトの影響も受けるが,国際様式建築の発展と風土化に貢献する。住宅作品が多く,ロサンゼルスのラベル邸(健康の家,1929)やパーム・スプリングズのカウフマン邸(砂漠の家,1946)などが知られる。
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百科事典マイペディア 「ノイトラ」の意味・わかりやすい解説

ノイトラ

米国の建築家。オーストリア生れ。ウィーン工科大学卒後,米国のF.L.ライトの作品に関心をもち,1923年渡米。ライトやシンドラーの助手を務めたのち独立。住宅建築が主で,コロラドに建てた《砂漠の家》は特に有名。

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