アメリカの経済学者。計量経済学の第一人者。イリノイ州シャンペーン生まれ。1974年にユタ州立大学で数学と政治学を学んで卒業(数学士、政治学士)した後、1978年にミネソタ大学で経済学博士号(Ph.D.)を取得した。ミネソタ大学在学中に、クリストファー・シムズやトーマス・サージェントの薫陶を受け、市場価格を検証する一般化モーメント法(Generalized Method of Moments:GMM)の着想を得ている。カーネギー・メロン大学、シカゴ大学で教鞭(きょうべん)をとった後、1984年からシカゴ大学教授。専門は計量経済学で、経済学会と政策当局との橋渡しにも努めている。2013年に「資産価格の実証分析の発展に対する貢献」によりノーベル経済学賞を受賞した。シカゴ大学のユージン・ファーマ、エール大学のロバート・シラーとの共同受賞である。
ノーベル賞を同時受賞したファーマは1960年代に、サミュエルソンとともに、あらゆる情報が市場を通じて瞬時かつ合理的に株式や債券などの資産価格に反映されるという「効率的市場仮説」を提唱、資産価格はランダムに変動し短期的に価格を予測することはできないと主張した。一方、同時受賞したシラーは、人間はかならずしも合理的には行動せず、資産価格は長期的には一定の傾向にしたがって予測可能と提唱した。しかしファーマやシラーのモデルは、現実の資産データの変動が動的で複雑なため、十分には説明できなかった。ハンセンは資産価格データを動的、時系列的に検証できる一般化モーメント法という新たな手法を開発。資産価格の変動をうまく説明するのに成功した。一般化モーメント法は金融分野だけでなく、社会科学の各分野にも幅広く用いられている。
[矢野 武 2021年5月21日]
アメリカのケインズ派経済学者。1915年ウィスコンシン大学を卒業、ブラウン大学講師、ミネソタ大学教授を経て、1937年以降ハーバード大学リッタワー行政学院教授。そのかたわら、政府の経済顧問としても業績を残し、さらに1938年にはアメリカ経済学会会長を務めた。当初、景気理論に関心をもっていたが、ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)の影響を受けて、アメリカにおけるケインズ学派の中心的役割を果たした。第二次世界大戦前は、先進資本主義国における不況を長期停滞論として説明づけ、民間部門と公共部門からなるいわゆる二重経済の必要性を強調し、ニューディール政策の理論的基礎を与えた。戦後は、ケインズ政策の有効性が広く受け入れられるようになったことから、教育施設などへの公共投資による福祉国家への道が課題であると考えた。ケインズ理論の普及に努めるとともに、サミュエルソンPaul A.Samuelson(1915―2009)やトービンJames Tobin(1918―2002)など後のノーベル経済学賞受賞者をも育てた。『財政政策と景気循環』Fiscal Policy and Business Cycles(1941)などの著作がある。
[中村達也]
『都留重人訳『財政政策と景気循環』(1950・日本評論社)』▽『小原敬士訳『経済政策と完全雇用』(1949・好学社)』▽『大石泰彦訳『ケインズ経済学入門』(1961・創元社)』▽『小原敬士・伊東政吉訳『アメリカの経済』(1959・東洋経済新報社)』
デンマークの天文学者。月運行表の作成者。少年のころは時計修理工であったが、1821年コペンハーゲンのアルトン天文台で計算助手をつとめ、天体力学を修めた。一般摂動論において独自の解析を行い、それを月や惑星の運動に適用した。1825年新設のゼーベルク天文台長に迎えられ、1857年には彼のために新天文台が建設された。月の運動理論に関する著書も著し、1857年には月運行表を作成した。この表はただちにイギリス航海暦に採用され、以後1923年にE・W・ブラウンの表が公刊されるまで通用した。ハンセンの研究は測地学、光学、確率論など広範囲で、ドイツ、フランスの科学アカデミー、イギリスの王立天文協会より賞を授与されている。
[島村福太郎]
デンマークの作家。シェラン島の農家に生まれ農耕に従う。のち進学し教師になるが、小説『いまや彼は断念する』(1935)で、1930年代の農業危機を扱って注目を浴びる。童話風の『ナタンの旅』(1941)、『幸福なクリストファー』(1945)で地歩を確立。短編集『茨(いばら)の藪(やぶ)』『鷓鴣(しゃこ)』のあとは評論活動や文化史研究に没頭し、『煙突の中での思考』(1948)、『レビアタン』で思想的・民俗学的な深化を示し、グルンドビー、キルケゴールに共鳴して、進化論、マルクス主義に対決する立場をとる。50年ラジオ小説『嘘(うそ)つきたち』で成功を収める。最後の大作『蛇(へび)と牡牛(おうし)』(1952)は北欧文化賛歌で、20世紀北欧の代表作の一つに数えられる。『アイスランドへの旅』(1954)など旅行記もある。
[山室 静]
ノルウェーの細菌学者。ベルゲン生まれ。クリスティアニア大学で医学を修め、ベルゲンのハンセン病院院長。1871年新鮮な摘出らい結節の細胞内に限って微細な桿(かん)状体の存在をみつけて桿菌と判断、のちに染色法を用いて桿菌を確認し、1874年発表したが、ウサギの感染試験には成功しなかったと報告している。のちの研究者はハンセンの研究を承認し、彼をらい菌発見者とした。ハンセン病は彼の名にちなむ。
[藤野恒三郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ノルウェーの癩医学者,癩菌の発見者。癲病をハンセン病またはハンセン氏病とも称するのは彼の名にちなむ。ベルゲンに生まれる。クリスティアニアで医学を修め,ダニエルセンD.C.Danielssenの助手となる。1869年にベルゲンの癩療養所の医員となり,翌年ボン,ウィーンに遊学ののち,再びベルゲンの療養所に戻り,75年同所所長となる。彼は71年にすでに癩患者の組織細胞内から癩菌を発見していたとされるが,これを公表したのは74年である。ノルウェーなどでは1873年を同菌の発見の年としている。彼はさらに癩患者の隔離および消毒法の実施に力を尽くし,このため19世紀末には患者数が激減した。《癩の病理学》《癩菌研究》などの著がある。1901年,ベルゲンに記念像が建てられた。
→ハンセン病
執筆者:長門谷 洋治
デンマークの天文学者。初め時計職人として身を立てたが,1820年天文・測地学者シューマハーH.C.Schumacherの助手となりホルシュタイン地方の子午線弧の測量に従事した。25年エンケの後任としてドイツのゴータにあるゼーベルク私設天文台長となり,59年には同地に新設のゴータ天文台の初代台長に招かれて終世その地位にあった。ハンセンは独特の摂動論を考案して惑星やすい星の運動論に,のちには月運動論に適用して大きな成果をあげた。すなわち木星,土星の相互摂動の研究でベルリン科学アカデミー賞を得(1830),またその《月運動表》(1857)は刊行後ただちに英国暦に採用されて1923年にブラウンの月運動表が現れるまで使われた。1842年と60年にイギリスの王立天文学会の金牌を受賞した。
執筆者:堀 源一郎
アメリカの経済学者。アメリカにおけるケインズ経済学の導入に指導的役割を果たし,1935年から65年の間のアメリカのマクロ経済政策の歴史的な転換に大きな影響を与えた。完全雇用の達成を重視し1946年の雇用法の実現に貢献した。サウス・ダコタ州ビボーグに生まれ,1915年ウィスコンシン大学を卒業,ブラウン大学,ミネソタ大学を経て37年にハーバード大学に移り,永年にわたりリッタウア行政学院で教鞭をとり,その門下から多くの学者を出している。主著はミネソタ時代の《失業保険計画》(1934)をはじめ,1938年ケインジアンヘの転向後の《財政政策と景気循環》(1941),《経済政策と完全雇用》(1947),《景気循環と国民所得》(1951)などがある。
執筆者:館 龍一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…フィスカル・ポリシーの理論では,(1)〈安あがりの予算が最良の予算である〉という古典派の緊縮予算主義は否定され,予算規模は発生したデフレ・ギャップの大きさに対応して決めらるべきだとする,(2)つねに均衡予算を堅持するのではなく,景気の循環に対応して赤字または黒字予算を組むという景気調整的財政活動が要請される,(3)古典派のようにつねに消費税優先を説くのではなく,不況期には消費よりも貯蓄課税を優先することが不況克服に役立つとする,(4)公債は必ずしも資本の浪費ではなく,不況期には公債発行による経費の増加は乗数効果を通じて資本蓄積に役立つとした。フィスカル・ポリシーの理論は,アメリカでA.H.ハンセンやA.P.ラーナーにより体系化された。この理論は短期的な安定政策を主要課題としていたが,R.F.ハロッドがケインズ理論の長期動態化を図るとともに,新たに財政政策の長期的目標が問題とされた。…
… ニュートンはその著《プリンキピア》の中で月の運動を論じており,これが月運動論の嚆矢(こうし)である。ニュートンに続いてA.C.クレロー,L.オイラー,J.ダランベール,P.S.ラプラス,ダモアゾーM.C.T.Damoiseau(1768‐1846),ラボックJ.W.Lubbock(1803‐65),ド・ポンテクーランP.G.de Pontécoulant(1795‐1874),プラーナG.Plana(1781‐1864),S.D.ポアソン,P.A.ハンセン,C.E.ドローネー,G.W.ヒル,J.C.アダムズ,ブラウンなどの理論が相次いで現れた。この中でハンセンがその理論に基づいて作成した《太陰表》(1857)は,その後半世紀余にわたって天体暦の月の位置推算の基礎データとして使われたが,ようやく1923年にブラウンの《太陰表》(1919)に引き継がれた。…
※「ハンセン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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