ハンセン病(読み)ハンセンビョウ(その他表記)Hansen's disease

翻訳|Hansen's disease

デジタル大辞泉 「ハンセン病」の意味・読み・例文・類語

ハンセン‐びょう〔‐ビヤウ〕【ハンセン病】

癩菌らいきんの感染によって起こる慢性細菌感染症。感染力は弱く、潜伏期は3年から20年にも及ぶため、かつては遺伝性と誤解されたこともあった。主に末梢神経が冒され、知覚麻痺神経痛や皮膚症状のほか、脱毛、顔面や手指の変形などもみられる。近年は有効な化学療法剤がある。名は癩菌を発見したノルウェーの医師ハンセン(G.H.A.Hansen)にちなむ。癩病。レプラ。

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共同通信ニュース用語解説 「ハンセン病」の解説

ハンセン病

らい菌による感染症で、末梢まっしょう神経がまひし、知覚障害や体の一部変形などが生じる恐れがあるが、感染力は極めて弱い。戦前から戦後にかけて官民で「無らい県運動」が行われ、政府は医学的根拠がないまま強制隔離を開始。患者は断種・中絶の強要といった人権侵害を受けた。薬の開発により治療法が確立した後も隔離は続いた。病名はらい菌を発見したノルウェーの医師ハンセンにちなむ。かつてはらい病と呼ばれた。

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精選版 日本国語大辞典 「ハンセン病」の意味・読み・例文・類語

ハンセン‐びょう‥ビャウ【ハンセン病】

  1. 〘 名詞 〙(らい)菌の感染によって起こる慢性の感染症。一八七三年、ノルウェーの医学者ハンセンが癩菌を発見したところからの名称。感染力は極めて弱く、遺伝することもない。癩腫型と類結核型などの種類がある。主に末梢神経と皮膚が冒される。かつては、不治の病とされたが、現在では有効な治療薬が出現し、日本での新しい患者の発生はほとんど見られない。ハンセン氏病。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハンセン病」の意味・わかりやすい解説

ハンセン病
はんせんびょう
Hansen's disease

細菌の一種であるらい菌Mycobacterium lepraeによる慢性の感染症で、おもに皮膚と顔や手足などの末梢(まっしょう)神経に病変が生じる。

[石井則久]

名称

ハンセン病は、以前はらい(癩)、レプラ、かったい、天刑病などといわれてきたが、現在はハンセン病が正式病名で、他の呼称は偏見・差別を助長することばとして使用しない。1873年(明治6)にらい菌を発見したノルウェーの医師G・H・A・ハンセンにちなむ。英語でも以前はleprosyといわれていたが、偏見・差別のない病名にするために、現在ではHansen's diseaseが使われることが多い。

[石井則久]

原因菌

病気の原因であるらい菌は結核菌と同じ抗酸菌(染色後、酸アルコールで脱色できない細菌)の仲間で、菌の生存に必要最小限の遺伝子しかもっていないので、ヒトの細胞内に寄生することが必要で、現在まで、人工培養に成功していない。感染力は弱い。31℃前後が菌の増殖の至適温度のため、体温より低い皮膚に多く存在する。またらい菌は末梢神経に親和性があるため、末梢神経に寄生し、障害をおこす。菌に毒力はない。

[石井則久]

疫学

発病につながる感染源は、菌を多くもっている未治療の患者で、飛沫(ひまつ)感染(くしゃみなどで飛び散った菌を吸い込む)といわれている。感染経路はヒトからヒトへの感染のみである。感染時期は免疫能の弱い(抵抗力の弱い)乳幼児期に濃厚で、頻回の感染機会がなければ、ほとんど発病につながらない。感染から発病までには、その人のらい菌に対する免疫能力、栄養状態、吸い込む菌の量、その他衛生・環境・経済状況など種々の要因が関与する。そのため、潜伏期間(菌が体内に入ってから病気になるまでの期間)は数年~数十年と長く、万一感染しても、生体から菌が排除されるか、発病せずに一生を終えることがほとんどである。

[石井則久]

統計

現在、世界では東南アジアブラジルなどから年間約26万人の新規の患者が報告されている。日本では年間数名の日本人(高齢者)と10名前後の在日外国人が新規の患者として報告されている。日本で新たに感染し、発病することはほとんどない。

[石井則久]

臨床症状

かゆみや痛みなどの自覚症状のない治りにくい皮疹(ひしん)が多い。皮疹は、紅斑(こうはん)や環状紅斑(ドーナツ様の形状をした紅斑)、小結節(小さな塊状の皮疹)、結節など多様で、浸潤を触れるものなどもある。進行すると、皮疹の数が増したり、浸潤が高度になり、浮腫(ふしゅ)などもおこる。

 診断や治療が遅れると末梢神経障害が必発で、皮疹部あるいは末梢神経の走行にほぼ一致した知覚障害と運動障害、神経肥厚がおこる。知覚障害は手足や顔面などの皮膚の知覚(触った感じ、痛み、熱い冷たいの感覚)が鈍麻したり麻痺(まひ)することである。痛みを感じないと、怪我(けが)をしても気づかず、治療が後手に回ることになる。また温度感覚がないと容易に重症の熱傷などをおこす。さらに末梢の血管も狭窄(きょうさく)しやすく、血流が悪くなり皮膚温が低下し傷の治癒が遅れる。これら悪循環が続くことで、外傷や熱傷が治癒しにくく、悪化し、皮膚のみでなく骨なども障害を受け、骨膜炎、骨髄炎、骨融解などもおき、手足なども変形していく。

 運動障害では、表在の筋肉を支配する神経も障害されるので、筋肉が萎縮する。手足では指趾(しし)が曲がったままになることがある。顔面では目を閉じる筋肉(眼輪筋)が機能しなくなると、つねに開眼状態になり、角膜が乾燥したり外傷をおこし失明の危険性が高まる。また、口の開閉をつかさどる口輪筋も機能しなくなると、下口唇が垂れ、口が開いたままになり、よだれが絶えず流れる。表在の神経(尺骨(しゃくこつ)神経や大耳神経など)の肥厚や圧痛もおこる。毛根や汗腺も障害されて、脱毛や発汗低下もおこる。鼻粘膜も炎症をおこし、鼻閉感を訴えることもある。しかし、心臓や肺、肝臓などの内臓が侵されることは、きわめてまれであり、ハンセン病が原因で死に至ることはない。

[石井則久]

臨床検査

検査は、らい菌の検出と病変部位の病理組織検査(皮膚を一部切除して顕微鏡検査)がおもなものである。らい菌の検出には、(1)皮膚スメア検査、(2)病理組織を抗酸菌染色して検鏡、(3)らい菌特異的DNAを検出するPCR検査の三つがある。皮膚スメア検査は病変部位などの皮膚にメスを刺し、メスに付着した皮膚の組織液を採取して、抗酸菌染色(抗酸菌を特異的に染色する方法)後、らい菌の有無を顕微鏡で観察する。病理組織を抗酸菌染色すると、らい菌は赤く染色されるので、顕微鏡で判定する。PCR検査は皮疹部の皮膚などからDNAを採取し、その中にらい菌特有のDNA断片が含まれているかを検査する。可能な限り3種類のらい菌検出検査を実施する。

[石井則久]

診断

日本でのハンセン病診断は、(1)皮疹(自覚症なし)、(2)神経(知覚障害、運動障害、肥厚)、(3)らい菌の検出、(4)病理組織検査の4項目を総合して診断する。なお、世界保健機関(WHO)は、知覚低下を伴う皮疹があれば、ハンセン病と診断している(開発途上国では保健師なども診断し、治療をするため)。

[石井則久]

病型

らい菌に対する生体側の免疫態度(らい菌を生体から排除する能力)によってハンセン病を病型として分類する。らい菌に対して抵抗性がある少菌型(PB型、従来のTT型など)と、抵抗性が低い多菌型(MB型、従来のLL型など)の2型である。少菌型は、皮疹が少なく(5個以下)、皮疹部にほぼ一致して知覚障害や運動障害、神経肥厚をおこす。皮疹部かららい菌を検出することは困難である。一方、多菌型では皮疹の数も6個以上と多く、分布も左右対称性である。神経障害は初期には軽度であるが、診断・治療が遅れると左右ほぼ対称性に徐々に障害される。らい菌の検出は容易である。

[石井則久]

治療

治療はWHOの推奨する複数の抗生物質(リファンピシン、ジアフェニルスルホン:DDS、クロファジミン)を半年から数年間内服すること(多剤併用療法)で治癒する。少菌型では6か月間、多菌型では約2~3年間の内服であるが、耐性菌(抗生物質が効かない菌)出現予防のため、多剤を処方どおりに内服するとともに、耐性遺伝子検査(菌の遺伝子が変化することで耐性菌になることがわかっている)を実施し、内服薬の選択を考慮する。らい菌に有効性のある薬剤は、その他にキノロン薬、ミノサイクリンクラリスロマイシンなどがある。

 治療中、ときには治療前・後に急性の炎症がおこり、皮疹の増悪・新生、神経痛や急速な運動障害などをおこす。らい反応といわれ、速やかなステロイド剤の内服が必要である。

 診療では通常の感染予防の対応で十分で、特別な消毒などはまったく不要である。家族内感染を否定するため、家族にも受診を勧める。

[石井則久]

歴史

ハンセン病の歴史は紀元前に始まり、外観上の問題、とくに顔面・手足の変形や潰瘍、異臭、盲目など、また就労の困難などから全世界で偏見・差別を受けてきた。住民・社会から疎外され、隔離などの対策がとられてきた。そして、患者のみでなく家族や親類までも差別の対象になった。宗教からの救いもほとんどなかった。

 日本では、『日本書紀』や『今昔物語集』などにも記載があり、ハンセン病には長い歴史がある。明治時代初期には3万人以上の患者がいた。伝染病であるとともに、旧来の「遺伝」や「家の穢(けが)れ」などの認識から、神社仏閣の門前で喜捨を乞(こ)うたり、家を出て各地を放浪することもあった。

 1907年(明治40)に法律「癩予防ニ関スル件」(明治40年法律第11号)が制定され、放浪する患者は人里離れた場所に建てられたハンセン病療養所に収容された。1931年(昭和6)にすべての患者の隔離を目ざした「癩予防法」(昭和6年法律第58号)が成立した。各県では無癩県運動という名のもとに、患者を発見して療養所に送る施策が行われた。入所すると偽名(別の名前)を使い、患者の過去や家族がわからないようにした。療養所内でのみ使用可能な通貨に換金させられ、所外への脱出ができないようにした。職員が少なく運営資金も低額なため、患者が重症患者の介護をしたり、農作業や土木などの多種の作業も行わざるをえなかった。原則として生涯隔離で、遺骨が故郷に帰ることはほとんどなかった。

 日本では有効な治療薬プロミンが1940年代後半から使用されたが、患者の隔離政策は1953年改正の「らい予防法」(昭和28年法律第214号)でも継続された。治療は原則ハンセン病療養所のみで行ったため、患者は療養所に入所する必要があった。1996年(平成8)に「らい予防法」が廃止され(「らい予防法の廃止に関する法律」、平成8年法律第28号)、ハンセン病は普通の病気として一般医療機関で診療されることになった。

 ハンセン病療養所(国立13園、私立2園)の入所者は、ハンセン病は治癒している(ハンセン病回復者、ハンセン病元患者)が、高齢で、長年にわたる入所生活のため一般社会生活がむずかしく、家族も少なく、後遺症が残り日常生活に介護が必要であるなどのため、療養所で生活をしている。

 ハンセン病療養所退所者、当初から外来で治療してきた元患者などのハンセン病回復者は、一般社会で生活しているが、過去の「ハンセン病」歴が、他人に知られることを避ける場合がある。その理由として、(1)一般社会のハンセン病に対する偏見・差別、(2)医師・医療関係者のハンセン病やその後遺症、社会的背景等についての不十分な知識、(3)回復者の過去の経験等から「ハンセン病」既往歴を家族にまで秘匿すること、などがある。社会で普通の生活ができるノーマライゼーションを目ざし、診療は一般医療へ統合する取組みが行われている。新規の患者は一般病院のおもに皮膚科で診療されている。

 ハンセン病療養所入所者たちが、国のハンセン病政策の転換の遅れなどの責任を問う「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」は、2001年(平成13)に熊本地方裁判所で勝訴し、その後の政府声明、内閣総理大臣談話などでハンセン病に対する国民の認識が高まった。また、2001年には「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」(平成13年法律第63号)が施行された。しかし、現在でもハンセン病に対する誤った知識があり、偏見・差別は解消されていない。そのため、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(通称、ハンセン病問題基本法)」(平成20年法律第82号)が2009年4月に施行された。

 ハンセン病は偏見・差別の歴史であり、人権が無視されてきた歴史でもある。これらの歴史を正しく認識し、ハンセン病を正しく理解し、回復者・患者を社会の普通の人間として、ともに歩むことが求められている。また、新規のハンセン病患者を早期に診断・治療し、後遺症なく治癒させることが必要である。

[石井則久]

『山本俊一著『日本らい史』増補版(1997・東京大学出版会)』『大谷藤郎著『医の倫理と人権――共に生きる社会へ』(2005・医療文化社)』『中嶋弘監修、石井則久著『皮膚抗酸菌症テキスト――皮膚結核、ハンセン病、非結核性抗酸菌症』(2008・金原出版)』『トニー・グールド著、菅田絢子監訳『世界人権問題叢書68 世界のハンセン病現代史』(2009・明石書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ハンセン病」の意味・わかりやすい解説

ハンセン病 (ハンセンびょう)
Hansen's disease

癩菌による慢性伝染病。レプラともいう。日本では以前〈かったい〉〈なりんぼ〉などという俗称も使われていた。癩菌は抗酸菌の1種で,1874年ノルウェーのA.G.H.ハンセンによって発見された。幅0.2~0.4μm,長さ2~7μmの杆菌で,抗酸菌染色により赤く染まる。酸やアルカリに対して抵抗が強い。菌が多数集まって癩球と呼ばれる塊となる傾向がある点が,同じ抗酸菌である結核菌との形態的差異として重要である。分裂速度が遅く,世代時間は10~31日と考えられている。培養はまだ不可能であるが,動物接種はマウスやマットの足底で成功したのに引きつづき,最近アルマジロヌードマウスなどにも接種できるようになった。癩菌は皮膚の小さい傷から侵入し,皮膚の中の神経を通って人体内で徐々に増殖するため,潜伏期は3年から10年以上に及ぶものと考えられている。

感染源としては皮膚病変分泌物や鼻汁が主であるが,感染は起こりにくい。非衛生的な環境が発病を促進する。性別では男女比2~3対1で男に多い。中世ヨーロッパで広く流行がみられたが,19世紀に入って激減し,現在は中央アフリカ,インド,東南アジア,南アメリカなどを中心に,世界中で約1000万人の患者がいると推定される。日本では九州,沖縄地方に多くみられたが,多くは高齢者で,減少している。

主として皮膚と末梢神経が侵される。皮膚では斑紋や結節,紅斑などがみられ,知覚麻痺を伴い,大耳介神経,尺骨神経,橈骨(とうこつ)神経,腓骨神経などが紡錘形や数珠状に肥厚する。類結核型,癩腫型,両者の中間に当たる境界群,初期の未定型群と四つに分けられる。未定型群では軽い知覚異常を伴った淡い紅斑または不完全白斑を生ずる。類結核型では紅色の斑紋を生じ,知覚麻痺がはっきりしている。斑紋には癩菌はほとんど見当たらず,マクロファージが増殖して結核性肉芽組織に似た組織像を呈する。末梢神経の肥厚や手や足の変形が起こりやすい。神経麻痺のために栄養障害を生じ,手では母指球,小指球の筋肉が萎縮し,猿手や鷲手などの形をとるほか,進行すれば指先が落ちることもある。足底には治りにくい潰瘍(足穿孔(せんこう)症)を生じる。癩腫型は半球状をした大小の結節を全身各所に多数生じるもので,多量の癩菌を含んでいるため感染源として注意が必要である。真皮の中の菌の充満したマクロファージが集合している。これは空泡様に変性して泡沫細胞とも形容される。肝臓,睾丸,リンパ節,骨なども侵され,喉頭,気管が侵されると声がかれる。眼では角膜潰瘍や虹彩炎から失明にいたる。癩腫型の患者に化学療法剤を用いると癩性結節性紅斑,俗にいう〈熱こぶ〉を起こす。

皮膚症状,神経症状を詳しく検査したうえで,病巣や鼻粘膜から癩菌の塗抹標本を作る。病型の決定に重要なレプロミン反応(光田反応)は,癩結節をすりつぶして滅菌した液(レプロミン)を皮内に注射し,3週後に硬結をつくれば陽性と判定する。正常の成人,類結核型患者では陽性,正常の乳幼児,癩腫型や境界群の患者では陰性を呈する。

ジアミノジフェニルスルフォンなどのスルフォン剤の内服がよく効き,初期ならば完全に治癒する。リファンピシンも有効であり,どちらも長年継続する必要がある。癩性結節性紅斑にはランプレン(商品名)が用いられるほかサリドマイドもよいといわれる。顔面や手足の変形は手術やリハビリテーションによってかなり回復できる。治療は日本に十数ヵ所ある癩療養所でおもに行われている。

従来は隔離が唯一の予防法であったが,現在では患者に接触して感染の可能性のある人に対して,BCG接種やスルフォン剤の予防的内服が用いられる。
執筆者:

癩はこの世で最も不幸な病気といわれ,また人間が認識した最初の病気であるともいわれる。すでに前2400年ころのエジプトのパピルス文書に癩は記録されており,ペルシアでは前6世紀に知られ,インドでは医書《チャラカ・サンヒター》や《スシュルタ・サンヒター》に,中国では《論語》などに記述されている。また後1~2世紀のギリシア,ローマの医師たちによっても記録された。

 癩はもともと熱帯地方の疫病で,西ヨーロッパには中世初期になって侵入した。その後おそらく十字軍による大移動によって流行状態がつくられたと考えられ,とくに貧民層に蔓延(まんえん)し,13世紀にその頂点に達した。当時癩に対して医学はまったく無力であったので,この病気を防ぐ唯一の手段は社会的規制によるほかなかった。このとき,キリスト教会は癩者を社会的に排除されるべき者とみなしたが,それは旧約聖書《レビ記》13~14章に,すでに癩者を〈汚れた者〉とし,社会から追放する律法が定められていたからである。中世のヨーロッパの都市においては,癩に罹患した者は当局に届け出たうえ,厳重に審査され,癩者と診定が下されると,市民権を剝奪(はくだつ)され,市外の癩者専用の収容所レプロサリウムIeprosariumに送られた。ここはラザレットIazaretto(《ルカによる福音書》16:19~31に出てくる,全身はれものに侵された乞食ラザロに由来する語。乞食収容所,後には検疫所をも意味した)とも呼ばれ,癩が蔓延しはじめた11世紀以後,ヨーロッパ各地に設立された。このラザレットは市壁内のホスピティウムhospitiumとともに,ヨーロッパにおける病院設立運動の起源となった。ラザレットの住民は決まった日にここを出て,施しを請うて歩いたが,そのときは遠くからでもわかるように,手の形をした白い布切れをつけた黒のマント,高い帽子など,目だった服装をして,ガラガラを鳴らしたり,拍子木をたたいたりしなければならず,ふつう市民と接触することを固く禁じられていた。

 いっぽう,福音書にはイエスが癩者をいやす奇跡が伝えられているが,中世の修道会たとえばフランシスコ会などが救癩活動を行った。とくにハンガリーの聖女エリーザベトは名高く,宗教画にも描かれるようになる。13世紀にその盛期に達した癩は,14世紀から減退期に入る。おそらく厳しい癩隔離策が功を奏しはじめたからと思われるが,流行にとどめを刺したのは1348年の黒死病(ペスト)の大流行で,これによってラザレットの収容者が一掃されたからである。

 日本でも,古代の律令のなかで癩は最重度の篤疾のなかに入れられ,厳しい規制が課せられていた。のちには天刑病ともいわれ,不治の業病とされた。光明皇后が癩者の膿を吸ったという伝説があり,鎌倉時代の僧忍性(にんしよう)は奈良の北山十八間戸(けんと)と鎌倉の極楽寺に癩宿をつくり,救癩活動を始めている。

 江戸時代には癩は〈かったい〉と呼ばれ,社会から締め出された癩者は,四国や九州の霊場や寺院を遍歴・徘徊していた。明治になっても,癩に対する偏見と恐怖はかわることなくつづき,救癩事業に最初に手をつけたのは外人宣教師であり,多くの癩病人は昭和初期まで乞食の姿で全国を放浪していたのである。
執筆者:

〈らいの予防,およびらい患者の医療・福祉を図るため〉に,旧法(1907年)に代わって1953年に制定された法律。癩,すなわちハンセン病に対する特効薬(プロミンなど)が発見され,かつきわめて感染力の弱い伝染病であることが判明したにもかかわらず,全国13ヵ所の国立療養所などへの強制入所や優生手術その他の差別的規定が残っており,〈強制隔離を容認する世論の高まりを意図するもの〉と従来から強い社会的批判の対象となっていた。全国ハンセン病患者協議会などの入所者団体の運動(〈予防法闘争〉)の成果もあって入所者の実質的処遇は徐々に改善されてはいたが,国際的非難が高まってきたことなどをきっかけとして,1995年4月日本らい学会(1996年に〈日本ハンセン病学会〉と改称)が〈長期にわたって現行法の存在を黙認したことを深く反省する〉として長年の方針を転換,予防法廃止を求める見解を発表し,96年3月に同法は遅まきながら廃止された。しかし,長年の隔離政策の結果として社会的偏見も根強く,肉親から絶縁された人も少なくないばかりか,その約90%は全快しているが後遺症などがあり,また平均年齢約70歳と著しく高齢化も進んでいるなどの理由から,入所者の社会復帰には実際上大きな困難が予想されるため,これまでの医療・福祉面での措置継続を定めるとともに,社会復帰を支援する旨の附帯決議が国会でなされた。なお,最近では,将来的には規模縮小や統廃合が予想されるハンセン病医療施設を,外来や入院患者も受け入れる一般病院に転換して存続させることによって,入所者に対する従来の処遇を継続維持させようという取組みも始まっている。
執筆者:

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六訂版 家庭医学大全科 「ハンセン病」の解説

ハンセン病
ハンセンびょう
Hansen's disease, Leprosy
(皮膚の病気)

どんな病気か

 らい菌により主として皮膚と末梢神経が侵される慢性の全身性感染症です。

原因は何か

 らい菌は、皮膚または粘膜の小さな傷から侵入するといわれています。菌自体の感染力は弱いものの、家族内に感染者がいると菌との接触が濃厚になり、感染しやすくなります。乳幼児ほど感染しやすく、成人の感染はまれです。

症状の現れ方

 らい菌は、主に皮膚と末梢神経に病変を起こします。そのため、知覚麻痺(ちかくまひ)(痛・触・冷・温覚麻痺)、末梢神経肥厚(まっしょうしんけいひこう)などの神経症状が起こります。また、指が曲がって変形したり、顔面神経の運動麻痺も起こります。

 皮膚の発疹の現れ方はさまざまですが、ヒトのらい菌に対する抵抗力と相関があり、菌に侵された組織の所見から、らい腫型(L型)、類結核型(るいけっかくがた)(T型)、境界群(B群)、未定型群(I群)に分類されています。治療のうえからは、組織に菌が多数見られる多菌型(L型、B群)と、組織に菌が少ない少菌型(T型、I群)に大きく分けられています(WHO分類)。

①らい腫型(L型)

 らい菌に対する抵抗力が弱いため、病巣組織内に多数のらい菌が増殖しています。辺縁がはっきりしない紅斑(こうはん)丘疹(きゅうしん)(ぶつぶつ)、結節(しこり)が、全身に左右対称性に現れます。頭髪や眉毛の脱毛も起こりますが、知覚障害や神経の肥厚はほとんどありません。

②類結核型(T型)

 菌の増殖は末梢神経内だけに限られます。境目がはっきりして辺縁が盛り上がるか、あるいは平らな斑(図57)が部分的に、また、非対称性に現れます。知覚障害がしばしばみられ、神経の肥厚も目立ちます。

③その他

 L型とT型の中間の境界群(B群)や、頻度の低い未定型(未分化)群(I群)があります。B群は、境界のはっきりしない大小の赤い斑が多発しますが、らい菌に対する免疫状態が安定していないのでいろいろな病態がみられます。I群は、淡い赤さの斑と皮膚の色の抜けた斑が現れ、知覚の低下や発汗障害がみられます。自然によくなったり、進行して他の型に移行します。

 一般に少菌型では神経の障害は大きく、多菌型では少ないのですが、必ずしも病型と相関しません。慢性の経過中に急性増悪を来すことがあり、“らい反応”と呼ばれています。B群の患者さんでは浮腫性紅斑や硬結(しこり)が特徴的で、神経痛も伴い、多菌型の患者さんではらい性結節性紅斑と、発熱、リンパ節腫脹、関節痛など全身症状もみられます。

検査と診断

 知覚の麻痺、神経の肥厚、手足の変形、脱毛、皮膚の病変、さらに皮膚組織などからのらい菌の証明などで診断します。リンパ腫、梅毒(ばいどく)サルコイドーシス乾癬(かんせん)尋常性白斑(じんじょうせいはくはん)などとの区別が必要です。

治療の方法

 一般の感染症として外来治療が主体となり、入院・隔離されることはありません。

 リファンピシン、ジアフェニルスルホン、クロファジミン、オフロキサシンが保険で認められており、これらの併用療法が行われます。

多田 讓治



ハンセン病
ハンセンびょう
Hansen's disease
(感染症)

どんな感染症か

 らい菌による慢性感染症で、主に皮膚と末梢神経に病変が生じます。日本では感染源になる人はほとんどいません。たとえ感染しても、現在の日本では発症することはまずありません。もちろん遺伝はしません。

 従来「らい」「(らい)」などの言葉が用いられてきましたが、現在は偏見・差別を助長するものとして使いません。

症状の現れ方

 自覚症状のない皮疹(ひしん)(皮膚の表面にできる発疹)や、知覚障害によるやけどやけがなどで気づきます。ハンセン病の皮疹はかゆみのない紅斑(こうはん)丘疹(きゅうしん)、結節、環状斑などさまざまで、ハンセン病に特異な皮疹はありません。

 皮疹にほぼ一致して知覚(触った感じ、痛み、熱い冷たいの感覚)が鈍くなったり麻痺を認めます。診断や治療が遅れると神経がはれたり、運動障害(手足が曲がるなど)を伴うこともあります。

検査と診断

 らい菌の検出が重要です。現在のところ、らい菌の培養は不可能なので、①皮膚症状のある部位にメスを刺して組織液を採取する皮膚スメア検査、②皮膚の病理組織を抗酸菌(こうさんきん)染色する検査、③らい菌に特異的な遺伝子(DNA)を証明する検査がありますが、これらのうち複数の検査が行われています。

 皮疹部とその周辺、顔や手足の神経学的(触った感じ、痛み、熱い冷たいの感覚)検査を行います。神経の肥厚、運動障害なども調べます。

 日本では、①皮疹(自覚症状なし)、②神経症状(知覚障害、肥厚、運動障害)、③らい菌の検出、④病理組織学的検査の4項目を総合して診断します。なお、途上国では世界保健機関(WHO)の簡便な診断法が用いられています。

治療の方法

 治療はWHOの推奨する多剤併用療法に準じて行われています。抗生物質(リファンピシン、DDS、クロファジミン)を内服します。

 ハンセン病は治る病気ですが、早期診断、早期治療、確実な内服を心がけ、後遺症を残さず耐性菌(たいせいきん)をつくらないようにすることが大切です。らい菌が多い(多菌型)患者さんは1~数年間、らい菌の少ない(少菌型)患者さんは6カ月間の内服で治ります。

病気に気づいたらどうする

 皮膚科で診察を受けてください。診察はまず問診(出身地・出身国、小児期の居住地、家族歴、気づかずにいるやけどやけがの既往など)を行い、その後、皮膚症状、神経の所見、らい菌の証明、病理組織学的検査などを行います。

ハンセン病の歴史

 有効な治療薬がない時代には、病状が進み、顔面、手足などに皮疹および末梢神経障害などを形成しました。そのため、外見上の問題と手足の不自由による就労の困難などから、住民から疎外され、宗教上も差別され、法律でも隔離などの対策がとられました。

 さらに日本では、有効な治療薬の出現後も1996年まで「らい予防法」が存在し、偏見・差別、人権侵害の長い歴史が続きました。

石井 則久

出典 法研「六訂版 家庭医学大全科」六訂版 家庭医学大全科について 情報

家庭医学館 「ハンセン病」の解説

はんせんびょうれぷら【ハンセン病(レプラ) Hansen Disease, Leprosy】

[どんな病気か]
 ハンセン病は、らい菌の感染によっておこる慢性感染症です。らい菌は、皮膚、粘膜(ねんまく)、末梢神経(まっしょうしんけい)、目を好んでおかしますが、その毒力は弱く、感染しても発症することはまれです。また、後述する多剤併用療法によって現在、世界中で患者数は減少しつつあります。
 日本のハンセン病患者数も年々減少し、2007年5月末現在、全国のハンセン病療養所の入所者数は約2890名になりました。
 新患者の発生数は年10名以下です。これに対し、在日外国人の新患者数が毎年10名前後発生しており、注目されています。
 これまでハンセン病患者は、強制隔離(かくり)を骨子(こっし)とした「らい予防法」により管理されてきましたが、96年4月1日に同予防法は廃止され、「らい」という病名も「ハンセン病」と読みかえることになりました。
 今後の課題は、ハンセン病への偏見や差別の撲滅(ぼくめつ)、ハンセン病の教育、在日外国人のハンセン病患者への対応、らい予防法廃止後の対策です。
[原因]
 らい菌は桿菌(かんきん)の1つで、結核菌(けっかくきん)と同じ抗酸菌(こうさんきん)の仲間です。チール・ニールセン染色法で赤く染まりますが、培養しても増殖しません。
 感染経路はおもに皮膚や粘膜(ねんまく)の傷で、菌自体の感染力は弱いものの、家族内に病人がいると菌との接触が濃厚になり、感染しやすくなります。
[症状]
 らい菌は、おもに末梢神経と皮膚に病巣をつくります。そのため、知覚まひ(温・冷・痛・触覚まひ)、末梢神経肥厚(ひこう)、神経痛などの神経症状がおこります。また、指が曲がったり、顔面神経の運動まひもおこります。
 菌におかされた組織から、つぎのように分類されます。
■らい腫型(しゅがた)(L型)
 らい菌に対する抵抗力が弱く、病巣組織内でらい菌が多数増殖しているものです。黄褐色から赤褐色の多少湿った発疹(ほっしん)や隆起した結節(けっせつ)が全身に左右対称性に現われます。好発部位は顔で、頭髪、まゆ毛、まつ毛の脱毛もおこります。重症では、顔の変形がおこります。
■類結核型(るいけっかくがた)(T型)
 病巣内での菌の増殖が末梢神経組織内だけに限られるものです。赤褐色の乾いた紅斑(こうはん)が生じますが、紅斑の中心は、多くはふつうの皮膚の色をしています。
■その他の病型
 L型とT型の中間の境界群(B群)と、頻度は低いのですが、未分化群(I群)があります。
[治療]
 一般の感染症として、外来治療が主体となり、入院・隔離されることはありません。薬物治療が中心で、ジアフェニルスルホン、リファンピシン、クロファジミンの併用療法が行なわれます。3剤は、オフロキサシンとともに保険適用薬剤です。
 これまで療養所に入所していた患者さんは、国の保護を受け、入所したままで治療が続けられます。病状が進んだ人にみられるさまざまの変形などは薬剤では治らず、整形外科、形成外科的治療が必要です。

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百科事典マイペディア 「ハンセン病」の意味・わかりやすい解説

ハンセン病【ハンセンびょう】

レプラ,癩(らい)とも。癩菌による慢性伝染病。潜伏期は数年から20年以上に及ぶ。かつては遺伝性疾患と誤認されていた。身体各所に特有の斑紋を生ずる斑紋癩,神経が冒され知覚障害と栄養障害が現れる神経癩,皮膚・粘膜・内臓諸器官に結節(癩腫(しゅ))ができる結節癩の3型,およびそれらの混合型がある。治療は古くから大風子油が用いられたが効果には限度があり,近時プロミン,プロミゾン,ダイアゾンなどのサルファ剤が著効を示している。四肢の変形,神経症状には種々の手術,理学療法などを行う。らい予防法(1953年)により,医師の届出義務,国立療養所の設置,患者の入所措置,患者の福利増進などが規定されていたが,癩菌はきわめて伝染力の弱い病原菌であること,早期発見,早期治療によって治癒も早く菌も陰性になることから,1996年4月,同法は廃止された。2001年には元患者らを原告とする裁判(1998年提訴)で,熊本地裁が国に対する賠償請求を命じた。小泉純一郎首相は控訴を断念する声明を発表し,同年〈悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め,深くおわびする〉との一文を盛り込んだハンセン病補償法が成立した。2006年,同補償法が改正され,日本統治下の韓国,台湾をはじめ国外に設置したハンセン病療養所に入所していた人々にも補償金が支給されることになった。
→関連項目神谷美恵子植毛術多剤併用療法知覚異常白斑(医学)丸山千里療養所

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハンセン病」の意味・わかりやすい解説

ハンセン病
ハンセンびょう
Hansen's disease

近年,病原菌の発見者の名にちなんでハンセン病と呼ぶ傾向にあるが,世界的にはまだ「らい」 lepra; leprosyのほうが広く用いられている。抗酸菌の一種であるらい菌感染による肉芽腫性疾患で,知覚障害を伴うことを特徴とする。古くは結節らい,斑紋らい,神経らいに分けられていたが,最近では 1953年の国際らい学会で承認された次の病型分類が用いられている。 (1) らい腫型 (L型)  皮膚に光沢のある赤黄色の結節性病変と,黄褐色のびまん性病変が生じ,顔面に多発した場合は獅子面となる。被髪部位では脱毛する。組織学的に特有のらい細胞増殖が認められ,多数のらい菌が証明される。 (2) 類結核型 (T型)  やや隆起した境界鮮明な浸潤性皮疹が現れ,発汗低下,神経肥厚を伴う。組織学的には類上皮細胞増殖,リンパ球浸潤がみられる。らい菌の証明は困難。 (3) 境界群 (B群)  境界の不鮮明な紅斑性浸潤性皮疹が多発する。組織学的にはL型とT型の中間で,らい菌を認める。 (4) 未決定群 (I群)  非浸潤性紅斑,不完全脱色斑が生じる。組織学的には血管,汗腺周囲に軽度の組織球リンパ球性細胞浸潤を認める。 (5) 反応相 経過中に結節性紅斑様病変,急性浸潤などが生じることがある。ハンセン病の診断は,上述の皮膚症状や神経症状,らい菌の証明などにより容易である。本症は家族内感染が多く,結核患者には少い。そのため,感染予防として BCG接種が励行されている。患者は世界的にはインドに最も多く,アフリカ,東南アジア,中国,中南米などがこれに続く。日本にも約1万人はいるとされている。かつては不治の病とされていたが,DDS (diamino-diphenylsulfon)の投与により容易に軽快する。

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知恵蔵 「ハンセン病」の解説

ハンセン病

らい菌によって起こる感染症。主に乳幼児期に感染し、症状は徐々に進行する。特有の皮膚病巣、末梢神経障害、発汗の低下など、様々な症状が見られる。現在は優れた治療薬があり、予後のよい病気とされ、日本人の年間新規患者は10人未満。しかし、1907年に制定されたらい予防に関する件(法律)によって、長い間ハンセン病患者の人権が著しく侵害されてきた。96年、ようやくこの法律が廃止され、国立療養所への入所、外出制限などの差別的措置がなくなり、他の疾病患者と同様の扱いを受けることになった。

(今西二郎 京都府立医科大学大学院教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

栄養・生化学辞典 「ハンセン病」の解説

ハンセン病

 らい,らい病ともいう.らい菌によって起こる感染症.

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のハンセン病の言及

【癩】より

…癩菌による慢性伝染病。レプラまたはハンセン病Hansen’s diseaseともいう。日本では以前〈かったい〉〈なりんぼ〉などという俗称も使われていた。…

※「ハンセン病」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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