ハートフォード会議(読み)ハートフォードかいぎ(その他表記)Hartford Convention

改訂新版 世界大百科事典 「ハートフォード会議」の意味・わかりやすい解説

ハートフォード会議 (ハートフォードかいぎ)
Hartford Convention

第2次英米戦争で苦戦するアメリカにおいて,政府の戦争政策変更を迫るため,1814年12月15日から翌年1月5日までコネティカット州ハートフォードで開かれた会議戦禍と貿易途絶に苦しむニューイングランド5州からの代表が集まった。会議は,各州の郷土防衛費の連邦政府負担,ニューイングランド共同防衛機構の樹立,さらに奴隷制南部の政治的発言力抑止と連邦政府の戦争権限制限のための憲法修正等の要求を決議した。しかし決議直前ベルギーのヘント和平が成立していたことがまもなく伝えられ,しかも決議直後ジャクソン将軍がニューオーリンズ会戦で大勝したため,この会議を指導したフェデラリスツ嘲笑を浴びたうえ,非国民の烙印を押されて,再度政権につくことなく衰退した。
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ハートフォード会議 (ハートフォードかいぎ)
Council of Hertford

673年9月,イングランドにおける教会再編のために,カンタベリー大主教テオドロスTheodōrosによってロンドン北部のハートフォードに招集された司教会議で,最初の公式会議として知られている。会議が決定した10の教会法規は,司教の権限,定期的教会会議の開催,復活日の算定などを規定し,ケルト系キリスト教とローマ系キリスト教の合同再編成を果たすなどして,以後イングランドの教会を,ローマ教皇を頭(かしら)とする西欧カトリック教会の一員として位置づけた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハートフォード会議」の意味・わかりやすい解説

ハートフォード会議
ハートフォードかいぎ
Hartford Convention

1814年 12月 15日から 15年1月5日にわたって,アメリカ,コネティカット州ハートフォードで開かれた秘密会議。アメリカ=イギリス戦争 (1812) 中に,J.マジソン大統領の商業規制政策と戦争そのものを不満とするニューイングランド諸州の連邦派の代表が集った。会議は強力な州権論と,軍事的,商業的な不満を採択したが,まもなく戦争は終結を迎え,この会議の議事の秘密性が不信を呼んだこともあって,大衆的影響力はもたなかった。逆にナショナリズム高揚のなかで不評を買い,連邦派の失墜にとどめを刺す原因となった。

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