フィリピンのルソン島北部にある高原都市。人口25万2386(2000)。中央コルディレラ山脈南部,標高約1400mの高原に位置し,年降水量は4298mmと多く,気温は年平均18℃と冷涼である。ために熱帯低地にはみられない松林に覆われ,朝夕霧のかかることが多い。地名は,一説によると地方語で〈コケ〉を意味するビギウに由来する。20世紀初頭,アメリカはここに避暑地の建設を計画,急峻な山腹を中部ルソン平野に向かって一気に駆け降りるジグザグ道路の建設にとりかかり,多くの日本人労働者を雇い入れての難工事の末1905年に開通をみた。町は09年マニラに次ぐ2番目の政令都市に昇格,植民地時代の夏の主都として有名であった。45年9月フィリピンの日本軍(山下奉文大将)は,ここのアメリカ軍キャンプ(ジョン・ヘイ)で降服に正式調印した。マニラからの道路距離は250km,〈パイン・シティ〉の愛称をもつフィリピン最大の高原避暑地として現在もシーズン中はたいへんにぎわう。ベンゲット州の州都で,北部ルソン山岳地帯の産物の一大集散地でもある。
執筆者:梅原 弘光
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フィリピン、ルソン島北部ベンゲット州の都市。マニラの北250キロメートル、コルディエラ・セントラル(中央山脈)南部の標高約1500メートルの高原に位置する。人口25万2386(2000)。20世紀初頭、アメリカ植民地政府の行政官や教員のための避暑地として設計された町で、山腹をジグザグに登る急な自動車道の建設には日本人契約労働者が貢献した。山岳地方の流通、教育の中心地、フィリピン随一の観光地で、ホテル、別荘が多い。第二次世界大戦末期、山下兵団の拠点となった。カンカナイ人の土地であったが、いまは低地から移住したイロカノ人が多い。北郊のトリニダード谷では戦前、日本人農家が高原野菜をつくっていた。
[高橋 彰]
フィリピンにおける台風の呼び名で、ルソン島北部のバギオ市に由来する。1911年7月14日、ルソン島北部に上陸した台風による豪雨と洪水によってルソン島各地で大災害があり、このときバギオ市では24時間に1168ミリメートルという当時の世界記録の降水量を記録した。
[饒村 曜]
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… チリchili地中海中部・南部での北アフリカやアラビア半島の砂漠からの熱風。 バギオbaguioフィリピンにおける台風の呼名。 ハブーブhaboobアフリカのスーダンに吹く砂あらし。…
※「バギオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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