イタリアの軍人、政治家。第一次世界大戦末期に陸軍参謀長代理として軍の再建に功績をあげ、戦後参謀長になり(1919~1921)、その後元帥に昇任(1926)。ファシズム体制下で陸軍参謀長(1925~1927)、統合参謀本部長官(1927~1940)を務める。この間ブラジル大使(1923~1925)、リビア総督(1928~1933)を歴任し、エチオピア遠征に総司令官として参加(1935~1936)、勝利のすえエチオピア総督になる(1936)。エチオピア侵略に対してもスペイン内戦への介入にも個人的には批判的であったバドリオは、第二次世界大戦へのイタリアの参戦に最初反対した。しかし1940年6月の参戦とともに総司令官になり、ギリシア作戦の失敗後、同年12月辞任。1943年7月国王と共謀して反ムッソリーニ・クーデターを起こし、臨時政府を樹立して同年9月連合国に無条件降伏した。翌1944年6月連合軍によるローマ解放まで首相の地位にあった。
[重岡保郎]
イタリアの軍人,政治家。第1次世界大戦に中佐で前線指揮に当たり,戦功で中将にまで昇進。カポレットの大敗(1917年10月)後,戦線立て直しのため最高司令部副長官に抜擢(ばつてき)され,イタリア軍を勝利に導く。その後,陸軍参謀総長,ブラジル大使,総合参謀本部長官を経て,1926年元帥となる。次いでリビア総督(1929-32)となり,原住民のゲリラ的抵抗を徹底的に弾圧してリビアに対する支配を固めた。イタリア・エチオピア戦争(1935-36)で総司令官としてエチオピアを征服,エチオピア副帝の称号を得る。第2次大戦期にはギリシア侵略作戦の失敗で総合参謀本部長官を辞任(1940年12月),第一線から退いた。43年7月ムッソリーニ失脚のあと首相となり,同年9月連合軍と休戦協定を結んだ。このときドイツ軍の報復を恐れて首都ローマを放棄,南部に逃れたが,44年6月連合軍がローマを解放したおりに,反ファッショ諸政党の推すI.ボノーミと首相を交代した。
執筆者:北原 敦
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1871~1956
第一次世界大戦中イタリア陸軍を率いて活躍,戦後元帥となる。エチオピア戦争の総司令官として同国を占領,エチオピア帝国の副王の称号を得る。1940年参謀総長の立場からイタリアの戦争突入に反対した。43年7月ムッソリーニを継いで首相となり,同年9月に連合軍と休戦協定を結んだ。44年6月ローマ解放後,首相をボノーミに譲り引退した。
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…古代ギリシアの建築書はすべて失われてしまっているが,それらの内容の大要は,前1世紀のローマの建築家ウィトルウィウスが前30年ころに書いた10巻の建築書によって,今日まで伝えられている。暴君ネロに仕えた3人の建築家,セウェルスSeverus,ケレルCeler,ラビリウスRabiriusは,自在かつ独創的なアイデアで知られ,トラヤヌス帝とハドリアヌス帝に仕えたダマスクスのアポロドロスは,おそらくローマ帝国時代最大の建築家であった。ハドリアヌス帝は,みずからもすぐれた建築家であって,ローマのパンテオン,〈ウェヌスとローマの神殿〉,ティボリのハドリアヌスの別荘(ビラ・アドリアーナ)などの実質上の設計者と見なされている。…
…以後,皇帝は最善の人が統治者たるべきであるとするストア哲学の考えに従って後継者を選び,その者を養子とした。トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスと続く治世には,元老院との協調を旨とし属州行政も整備されて,〈パクス・ローマーナ(ローマの平和)〉と呼ばれる繁栄期が訪れた。啓蒙主義時代の歴史家ギボンは,五賢帝の時代を人類史上最も幸福なる時代と語っているが,近年の歴史研究の教えるところでは,肥大化する官僚・軍事機構の財政的負担が,地方都市の有産者層の財力によってかろうじて支えられることのできた時期であり,しだいに政治,経済,社会の諸問題が顕在化してきた時代と言える。…
…ローマ皇帝ハドリアヌスが自身とその一族のためにローマに建設した廟墓。〈聖天使城〉の意。…
…ネロは解放奴隷ドリュフォルスと女のように接しただけでなく,美青年スポルスを去勢して結婚し,皇后のように扱っている。ハドリアヌスはその寵児アンティノオスのために町を建て,神格化さえ行った。当時の乱れた性風俗を描くペトロニウスの《サテュリコン》には美少年との愛欲を争って楽しむ2人の男の話がある。…
…この登極の経緯から彼は軍隊の統制に難渋したため,後継帝として兵士出身のトラヤヌスを指名し,養子として採用した。トラヤヌスも,続く3人の皇帝も息子がなかったため,後継帝をあらかじめ指名して養子としたので,ネルウァ(在位96‐98),トラヤヌス(在位98‐117),ハドリアヌス(在位117‐138),アントニヌス・ピウス(在位138‐161),マルクス・アウレリウス(在位161‐180)の5代の養子皇帝時代が続いた。これをアントニヌス朝というが,彼らは〈五賢帝〉と名づけられ,E.ギボンによって〈人類の最も幸福な時代〉と褒めたたえられた。…
※「バドリオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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