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フランスの軍人、政治家。第三共和政下の反議会主義的政治運動「ブーランジェ事件」の主人公。陸軍士官学校を出てアルジェリア、インドシナ遠征に従軍後、プロイセン・フランス戦争に勇名をはせ、1880年若くして将軍となる。1886年にクレマンソーに推されてフレシネ内閣の陸相に就任。軍隊からの王族の排除、兵制の民主化など共和主義的改革を推進し、ドゥカズビル炭鉱ストに際しても、坑夫に同情して軍隊に衝突を回避するよう呼びかけて大衆の人気を集めた。独仏国境間の緊張をもたらしたシュネブレ事件(1887年4月)では、対ドイツ強硬姿勢をとったため、プロイセン・フランス戦争の敗北以後報復熱に燃えていた国民に迎えられ、「復讐(ふくしゅう)将軍」ともてはやされた。1887年5月彼が陸相を更迭されると、共和政に不満をもつ諸派から反体制運動の象徴として担ぎ出され、「議会解散、憲法改正、制憲議会」をスローガンに1889年1月27日のパリの補欠選挙に圧勝。首都はクーデター前夜の観を呈するに至るが、反撃に転じた政府の訴追を受けベルギーに亡命、1891年9月愛人の墓前で自害した。
[谷川 稔]
フランスの作曲家,音楽教育家。パリ音楽院でオルガン演奏,作曲を学び,1908年ローマ賞第2位を得る。しかし彼女が生涯をささげたのは,主として音楽教育にであって,母校の和声法助手(1909-24),エコール・ノルマル教授(1920-39)を務め,かたわらフォンテンブローのアメリカ音楽院で1921年以後和声法ほかを教え,弟子にA.コープランド,R.ハリス,W.ピストンらがいる。50年同校院長。また1945年には母校の伴奏科教授に任命された。その間アメリカ合衆国でも教鞭をとっており(1940-45),同国の音楽・音楽教育への彼女の寄与は,一時期決して小さくなかった。
なお妹のリリLili B.(1893-1918)は1913年度のローマ大賞受賞者であり,繊細で時として悲劇的な情感をうかがわせる抒情の持主として,将来を嘱望されたが,その才能の十分な開花を見ずに早世した。
執筆者:平島 正郎
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…このレストランという語が初めて登場したのは1765年である。パリのプーリ通りに開店したブーランジェboulanger(パン屋)の主人が自家製のブイヨン(牛や鶏がらを煮出して取ったスープ),鶏肉と卵入りポタージュ,羊のホワイトソース煮込みなどをレストラン(元気を回復させる食べ物)と名付けて売り出したからである。16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパでは,外食のできる場所は宿屋と居酒屋に限られていた。…
※「ブーランジェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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