パサージュとは、主に19世紀初頭のパリにおいて、当時としては最新の素材であった鉄を用いて建てられた、高級店、流行品店が屋根付きの通路をはさんで軒を連ねるという形式の建築であり、端的にはアーケード式商店街である。哲学、思想においては、ワルター・ベンヤミンの遺稿であり、一般に『パサージュ論』Das Passagen-Werk(1982)と呼ばれている未完の著作における主題を指す。
『パサージュ論』は、1927年から29年、途中中断を挟んで34年からベンヤミンが死にいたる40年までのあいだに取り組まれ、膨大な引用とそれに対する注釈、歴史哲学の方法論的考察などからなる断片群である。ナチの手を逃れるためにアメリカに亡命すべくパリを離れようとしていたベンヤミンは、これらの原稿をジョルジュ・バタイユに託した後、ピレネー山中のフランスとスペインの国境に位置するポル・ボウで自殺する。第二次世界大戦後原稿はアドルノに渡ったが、『パサージュ論』の出版は82年まで待たねばならなかった。
『パサージュ論』の企図は、資本主義的な生産様式によって支配された19世紀における商品や生産物の具体的な現象形態そのものにおいてすでに、経済的な過程が表現されていることを明らかにし、さらにはそこに大衆の実現されなかった願望を読みとることに存する。このような19世紀的な事物が現象する場として特権的であるとベンヤミンにみなされるのが、パリのパサージュである。パサージュは、19世紀的な事物の範例としての商品がまさに集積する場であり、そこにおいて商品は人々を眩惑する輝き(仮象)とともに現れる。この意味において、パサージュはファンタスマゴリー(幻像とも訳される。ベンヤミンにおいては19世紀的な事物が現象する形式、さらには現象する事物そのものをも指す)である。
そもそも、ベンヤミンにパサージュに取り組むきっかけを与えたのは、ルイ・アラゴンの『パリの農夫』Le Paysan de Paris(1926)におけるオペラ座のパサージュの記述である。世俗的なもの、日常的なものへの視線を見いだしたシュルレアリスムの作家たちにとってパサージュは夢の空間として現れたが、ベンヤミンにとってパサージュは歴史哲学的な視線のもとに再発見される。夢の空間としてのパサージュを19世紀の首都としてのパリのみならず、当時のさまざまな建築物に敷衍(ふえん)し、ベンヤミンが見いだそうとしたのは、19世紀が夢見た夢からの目覚めである。パサージュに代表される資本主義の初期の生産物がまさに朽ち果て、古びていく20世紀初頭という危機の時代は、ベンヤミンにとって資本主義からの目覚めとしての革命のチャンスだった。
ベンヤミンが目覚めの手がかりとしたのが、パサージュの根本特徴とされる二義性である。パサージュは通路であり、人々が憩う場所でもある。ベンヤミンはパサージュを「通過儀礼rites de passage」に重ね合わせているが、パサージュは異質な二つの空間が結びつけられる通路でもある。『パサージュ論』でベンヤミンが依拠する神話的な表象にしたがえば、パサージュへの入り口が区切るのは、冥界への通路でもあり、それは資本主義の地獄としての相に対応することになる。ベンヤミンはパサージュのこのような二義的な相貌を弁証法的な緊張関係にまで高め、その意義の読解を目覚めとみなしたが、このような目覚めのきっかけとなるのが弁証法的イメージと呼ばれる概念である。
[森田 團]
『ヴィンフリート・メニングハウス著、伊藤秀一訳『敷居学――ベンヤミンの神話のパサージュ』(2000・現代思潮新社)』▽『ヴァルター・ベンヤミン著、今村仁司・三島憲一ほか訳『パサージュ論』全5巻(岩波現代文庫)』▽『Josef FürnkäsSurrealismus als Erkenntnis; Walter Benjamin-Weimarer Einbahnstraße und Pariser Passagen(1988, J. B. Metzler, Stuttgart)』
…19世紀になり,鉄材と板ガラスの工業生産が開始されると,高いガラス屋根を架けた通り抜けの商店街が出現する。一種の社交場でもあるこの空間は,アーチと無関係ではあるが,広場をめぐる柱廊がかつて同様の役割を果たしていたことから同じくアーケード(イタリアではガレリアgalleria,フランスでパサージュpassage)と呼ばれた。今日,屋根付きの商店街をアーケードと呼ぶのはこれに由来する。…
※「パサージュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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