日本大百科全書(ニッポニカ) 「パタプティアン」の意味・わかりやすい解説
パタプティアン
ぱたぷてぃあん
Ardem Patapoutian
(1967― )
アメリカの分子生物学者。レバノンの首都ベイルート生まれのアルメニア人。1985年、ベイルート・アメリカン大学に進学したが、翌1986年に渡米し、アメリカの市民権を取得。1990年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で生物学を専攻して卒業。大学院はカリフォルニア工科大学に進み、生物学の博士号を取得した。カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)で博士研究員として活動をした後、2000年にスクリプス研究所の細胞生物学の助教授、2002年からはノバルティス研究財団の神経科学・ゲノム科学研究所長を兼務した。2005年からスクリプス研究所の準教授、2012年からは同研究所教授、2014年からハワード・ヒューズ医学研究所研究員。
UCSFにいたころから触覚や痛みに関する体性感覚の仕組み解明を本格化させ、スクリプス研究所に異動後、温度を感知するセンサータンパク質(受容体)である「TRP(トリップ)」チャンネルの研究を開始した。TRPの一種である「TRPV1(ブイワン)」は細胞膜を貫通するイオンチャンネルで、UCSFの教授デービッド・ジュリアスらが1997年にトウガラシの辛味成分、カプサイシンに反応する受容体として最初に発見した。
パタプティアンは、ジュリアスの研究をさらに発展させ、ジュリアスとは独立して、清涼感を感じさせるメントールに反応するイオンチャンネル「TRPM8」が25~28℃より低い温度を感知するセンサータンパク質でもあることをつきとめた。ワサビの独特の辛味を感じるワサビ受容体「TRPA1」も発見し、この受容体は組織を破壊するような刺激(侵害刺激)、痛み、冷たさのセンサーであることも確認した。
さらにパタプティアンは、皮膚や内臓などが機械的な刺激をどのようにして感知するかの解明に取り組んだ。細胞をつつくと、細胞内の活動電位が変化することから、なんらかのイオンチャンネル(受容体)が存在していることは、もともとわかっていた。パタプティアンらは、細胞膜で発現するタンパク質遺伝子を、一つずつノックアウトし(人工的に欠損あるいは変異させて壊し)、細胞をつつくなどの機械刺激を与えて、電位変化が生じるか否かを確認する実験を繰り返し、2010年に2種類の圧力センサーとなるタンパク質(イオンチャンネル)を発見した。ギリシア語の「押す」にちなみ、2種類のタンパク質を「Piezo1(ピエゾワン)」「Piezo2」と命名。機械刺激で細胞が変形すると、Piezoの門が開き、陽イオンが細胞内に流れ、活動電位があがり、その電気信号が脳に伝わって刺激を検知する。2種類のPiezoのうちPiezo2は、身体の姿勢や位置、方向、動きなどの感覚を認識する、きわめて重要なセンサー(固有感覚)であることがわかった。Piezo1は、血管や腸管上皮細胞などに発現し、細胞や器官内の液性物質の圧力変化などにかかわっている。このように、Piezo1、Piezo2は多くの臓器で発現し、臓器の変形を認知することで、さまざまな生体反応につなげている。たとえば、肺における呼吸の制御、血流や血圧のコントロール、膀胱(ぼうこう)で催す尿意などにかかわっていることも、次々に解明されている。
2017年アメリカ科学アカデミー会員に選出され、アルデン・スペンサー賞を受賞。2019年ローゼンスティール賞、2020年にカブリ賞(神経科学部門)、スペインの金融グループBBVA財団と科学研究高等会議によって顕彰されるBBVA財団フロンティアーズ・オブ・ナレッジ賞を受賞。2021年「温度受容体と触覚受容体の発見」の功績で、ジュリアスとノーベル医学生理学賞を共同受賞した。
[玉村 治 2022年2月18日]