日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
フィッシャー・フォン・エルラハ
ふぃっしゃーふぉんえるらは
Johann Bernard Fischer von Erlach
(1656―1723)
オーストリアの建築家。グラーツに生まれ、初め彫刻を志すが、1682~86年ローマでカルロ・フォンタナに師事し、ザルツブルク、ウィーン、プラハで教会と宮殿建築に活躍した。彼の様式は、イタリア盛期バロックとフランス初期古典主義および古代末期の諸要素を融合したもので、ウィーンのシェーンブルン宮殿(1696~1706)、同カールス教会(1716~37)にみられるように、王権と教権との結合を基本理念としている。96年貴族の称号を受け、1706年宮廷建造物監督官に任ぜられた。各時代様式を折衷した銅版画集『歴史的建築の構想』(1721)がある。ウィーンに没。息子ヨーゼフ・エマニュエル(1693―1743)もウィーンの宮廷建築家として父の遺業を継ぎ、フランス古典主義に接近した。
[野村太郎]