日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェートン号事件」の意味・わかりやすい解説
フェートン号事件
ふぇーとんごうじけん
1808年(文化5)長崎に侵入したイギリス軍艦による狼藉(ろうぜき)事件。ナポレオン戦争によりフランスに併合されていたオランダと交戦国の関係にあったイギリスの軍艦フェートン号Phaeton(艦長ペリューReynolds Pellew大佐)が同年10月14日(和暦8月15日)オランダ国旗を掲げて長崎に入港、これを蘭船(らんせん)と誤認して、長崎奉行(ぶぎょう)所役人・通詞(つうじ)らとともに出向いたオランダ商館員2名を捕らえ、湾内を探索したうえ、薪水(しんすい)・食糧を強要して乱暴をはたらいた。当時、長崎警固の任にあった佐賀藩兵は1000余名のところ、実在100余名にすぎず、日本側はこれに施す策もないまま、同月17日に、みすみす同艦を立ち去らせてしまった。その夜、時の長崎奉行松平康英(やすひで)は切腹自殺した。この事件は当時の為政者に深刻な衝撃を与え、幕府の海防政策強化を促し、後の異国船打払令(1825)発布の契機となった。
[加藤榮一]