バタビア共和国(読み)バタビアきょうわこく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バタビア共和国」の意味・わかりやすい解説

バタビア共和国
バタビアきょうわこく
Bataafse Republiek; Batavian Republic

1795年5月フランス革命軍の圧力により成立した共和国。「バタビア」は古代ゲルマンの一部族バタウィ人名称に由来する。 95年ネーデルラントを制圧したフランス革命軍の指導に呼応して,国内改革を熱望する愛国派の人々によって建設された共和国で,フランス革命の理念に従い,領主制,ギルド制などの旧制度を撤廃した。ハーグに首都をおいたが,実際には2万 5000のフランス軍の威力と,民衆窮状に対する恩恵とにより維持された。 1801年 10月ナポレオン (1世) の指令で,急進的性格から独裁的性格へと移行,06年6月ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトを王とするオランダ王国になり,共和国としての生命を終えたが,中央集権的行政,官僚制などオランダ近代国家の成立に貢献した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バタビア共和国」の意味・わかりやすい解説

バタビア共和国
ばたびあきょうわこく

1795年、ネーデルラント連邦共和国の崩壊後オランダに成立した国家。古代のオランダ住民バタウィ人にちなんで名づけられた。同年フランス革命の影響と革命軍のオランダ侵入によって、オランダの諸州・諸都市の議会では市民・農民たちが貴族的支配者層を追放して権力を握り、総督ウィレム5世はイギリスに亡命、200年に及んだ連邦共和国は崩壊した。憲法制定議会が開催されて憲法草案を可決、統一国家が実現し、5人の執政が選ばれ政務をとった。人権信仰の自由が認められ、領主制、ギルド制、内国消費税、連合東インド会社が廃止され、オランダは不徹底ながら封建的諸関係を廃棄して近代社会への道を準備した。1806年ナポレオン1世が弟ルイをオランダ国王に任命し、バタビア共和国は終わりを告げた。

[栗原福也]

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