フランスの軍人。理工科大学校(エコール・ポリテクニク)を卒業して陸軍に入り、陸軍大学教授、ついで同学長を務めた。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)(1914)に際して急造第九軍の司令官に任ぜられ、マルヌの会戦の奇跡的勝利に貢献した。その後、フランス北部軍司令官、参謀総長を歴任。大戦末期の1918年春、新設の連合国軍最高司令官に任命され、連合軍の最後の大攻勢の指揮をとった。同年11月、パリ北方コンピエーニュの森での対ドイツ休戦条約調印の際、連合国を代表して署名した。翌1919年のパリ講和会議では、フランスの安全保障を理由にライン川左岸のドイツ領の併合を主張し、英仏両国のみならず自国のクレマンソー首相とも対立した。大戦末期に陸軍元帥に任ぜられたように、晩年はフランス陸軍の栄光を体現し、アカデミー・フランセーズ会員でもあった。
[平瀬徹也]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
フランスの軍人,元帥。砲兵科出身。第1次世界大戦の初期,その指揮した第9軍の奮戦がマルヌの会戦を成功に導いた。ついで北部軍集団司令官としてアルトア,ソンムに戦う。1917年よりクレマンソー首相の全幅の信頼を受けて,参謀総長,西部連合軍総司令官として勝利のうちに戦争を終結した。戦後もライン自然国境を主張して,ドイツに対する強硬な態度を変えなかった。
執筆者:石原 司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1851~1929
フランスの将軍。元帥。第一次世界大戦初期パリに迫ったドイツ軍をマルヌ川で阻止して連合軍勝利の原因をつくった。1918年連合軍総司令官となり,戦勝後はクレマンソーとともにドイツへの強硬政策を主張した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…そこでドイツ軍は1918年3月21日から5月にかけ西部戦線で総攻撃を開始したが,しかし,それ以上は補給が続かず,進撃を停止した。これに対してアメリカの軍事力も加わった連合国側は指揮系統を統一して連合軍総司令部を設置し,最高司令官フォッシュFerdinand Foch(1851‐1929)の統率のもとに反撃に転じ,8月8日イギリス軍はソンムの戦でドイツ軍の優勢を覆した。 同盟国側の降伏は,サロニカから北上した連合軍に衝かれたブルガリアの1918年9月27日の降伏にはじまり,10月30日にはパレスティナを根拠地とするイギリス軍に圧倒されたトルコが降伏に追い込まれた。…
※「フォッシュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加