1804年3月21日の法律によって制定されたフランスの現行民法典。初め〈フランス人の民法典Code civil des Français〉と題されたが,07年9月3日の法律でナポレオンの名を冠することとなった。法典の正式名称はその後数次にわたって改められ,第三共和政以降は単にCode civilとされているが,同法典の歴史的呼称としては今日でも〈ナポレオン法典〉の語が用いられる。
旧制下における北部の慣習法と南部の成文法の対立を克服して統一民法典を実現することは,革命期諸議会の重要な課題であった。具体的には国民公会期に三つのカンバセレス草案やジャクミノ草案が提出され,それぞれ市民革命の所産にふさわしい特徴を有していたが,いずれも未成立に終わった。1800年8月,トロンシェF.D.Tronchet,ポルタリスJ.É.M.Portalis,マルビルJ.Maleville,ビゴ・ド・プレアムヌーF.J.J.Bigot de Préameneuの4人が起草委員に任命され,4ヵ月後に草案が作成された。同草案は,裁判所の意見を徴したのち,コンセイユ・デタにおいてナポレオンも加わって審議され,政府法案とされた。この法案に対しては議会の一院である護民院で批判があったが,議会を改組するなどの政治的介入を経て,03年3月から1章ずつ審議・採択された。それを一個の法典としてまとめたのが,04年の法律である。
法典は,2281条からなる。初めの6条は法律の一般的効力に関する〈前加章〉で,第7条以下が大きく3編に分かれる。これは,ドイツ民法や日本民法の5編構成(パンデクテン方式)と異なる4編構成(インスティトゥティオネス方式)から訴権に関する編を分離したもので,後者の系譜に属する。第1編は〈人〉(7~515条),第2編は〈財産および所有権のさまざまな変容〉(516~710条),第3編は〈所有権を取得するさまざまな仕方〉(711~2281条)と題されている。これを模式的にみれば,人(権利の主体),物(権利の客体),契約(権利の変動)を3本の柱とした構成であって,その意味で近代市民法の論理構造によく適合した形態であるということができる。
第1編は,私権の享有・剝奪,身分証書,住所,生死不明,婚姻,離婚,父子関係・親子関係,養子縁組・非公式後見,親権,未成年・後見・未成年解放,成年・禁治産・保佐に関する11章からなる。〈民事的権利の行使は,政治的権利の行使から独立である〉(7条)として市民社会と政治国家の分離を明らかにした規定や,〈同意がないときは,婚姻はない〉(146条)として婚姻の契約的性格を定めた規定が注目される。
第2編は,財産の区別,所有権,用益権・使用権・居住権,地役=土地役務の4章からなり,近代的所有権の絶対性を宣言した〈所有権は,物を最も絶対的な仕方で収益し,処分する権利である〉(544条)という規定がとりわけ有名であるが,成立当時の農業・手工業中心の社会を反映した財物観念が色濃くみられることも興味深い。
第3編は,相続,生存者間の贈与・遺贈,契約=合意による債務一般,合意なしに形成される債務,夫婦財産契約・夫婦財産制,売買,交換,賃貸借契約,組合,貸借(使用貸借・消費貸借),寄託・係争物寄託,射倖契約,委任,保証,和解,仲裁契約,質,先取特権・抵当権,強制徴収・債権者間の順位,時効・占有の20章からなる。いわゆる債権法の領域に属する事項のほか,所有権の変動にかかわる制度として相続,夫婦財産制,担保物権,時効,占有などの規定を広く含んでいることが特徴的である。よく知られる規定として,意思自治の原則を定めた第1134条(〈適法に形成された合意は,それを行った者に対しては,法律に代わる〉),過失責任主義の原則を定めた第1382条(〈他人に損害を生じる人の行為はいかなるものであっても,過失によってそれをもたらした者に,それを賠償する義務を負わせる〉),動産に関して公信の原則を定めた第2279条(〈動産に関しては,占有は,権原に値する〉)などをあげることができる。
制定から180余年を経た今日,ナポレオン法典の内容は部分的にではあれ大きな変化を遂げている。第2編においてはよく原型をとどめているものの,第1編では11章のうち〈離婚〉以下の7章が章単位で全面的に新規定に置き換えられ,第3編では2章が同様に全面改正されたほか,2章が新たに追加された。このことは,法典の具体的内容が社会関係の進展に対応しえなくなることを意味すると同時に,ナポレオン法典をあくまでも現行法典として維持しようとするフランス国民の限りない愛着を物語るものであろう。
執筆者:稲本 洋之助
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ナポレオンが4人の編纂(へんさん)委員(トロンシェ、ビゴ・ド・プレアムヌー、マルビル、ポルタリス)に起草を命じ、強大な政治力を利用して制定したフランス民法典。1804年公布。3編2281条(1975年に2か条付加されて現在は2283条)からなる。この法典のとっている所有権の絶対性、契約自由の原則、過失責任主義などの立場は、近代市民法の基本的原理として、その後に制定された各国の民法典の模範となった。日本の現行民法にもナポレオン法典は旧民法を通じて強い影響を与えている。制定以後、さまざまな立法による修正や判例法による補充を受けてきたが(ことに家族に関する部分は1960年以降の数次の改正で全面的に改まっている)、法典そのものは今日でも生き続けている。なお、ナポレオン法典という名称は、まだ廃止されていないが、19世紀末ごろから「民法典」Code civilという名称が公式にも用いられるようになってきており、今日ではこの名称を用いるほうが普通である。
また、ナポレオンの制定した五つの法典(民法典のほか、商法典、民事訴訟法典、刑法典、刑事訴訟法典)を総称してナポレオン法典とよぶこともある。
[高橋康之]
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ナポレオンの指導下に,編纂,公布された民法典。フランスの統一的民法典は,革命期から編纂事業が進められ,統領政府時代の1804年3月に,「フランス人の民法典」として公布され,第一帝政期の07年にその公式名称を「ナポレオン法典」と改めた。全文2281カ条,身分編,財産編,財産取得編の3編からなり,全体を通じての基本原則は,私的所有権の絶対,個人意志の自由,家族の尊重の3者であるといわれ,ブルジョワ革命の成果たる近代市民社会の法原理を最も的確に表現している。部分的改正をへて,現行フランス民法典に連続しているとともに,全世界の近代市民法秩序に多大な影響を及ぼした。
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[市民革命と相続法]
フランスについて見るならば,ローマ法に従った南部成文法諸地域の相続法とゲルマン法に属した北部慣習法諸地域のそれとの対立がアンシャン・レジーム下の法のあり方の基本的特徴であった。1789年の革命は,相続法の全国的統一をはかり,その内容の近代化を進めるうえで最大の画期をなし,その成果は,1804年のナポレオン法典に継承された。まず,封建制の廃棄によって封地と自由地の区分が否定されたことから,財産の性質・由来等に基礎をおく相続原理が廃止され,他方,長男子相続権が否定されて男女平等の共同相続原理に一元化された。…
…国家による体系的・組織的な成文法規の作成をいい,社会の変動に応じて個々の法律や慣習などを整理統一する目的で行われる場合もあるが,とくに革命などの政治的大変動ののちには新しい法原理に基づく大規模な法典編纂が行われる。19世紀初頭の〈ナポレオン法典〉は,市民法典の先駆として歴史的に有名であり,ヨーロッパ大陸諸国をはじめドイツや日本の法典編纂にも大きな影響を与えた。
[ヨーロッパ]
抽象的法原理,法命題を含む包括的体系的な立法をもって法典編纂の定義とすれば,かかる法典編纂の第一波はヨーロッパでは18世紀に到来した。…
…学風は,同時代のドイツなどの自然法学派の影響や彼独自の哲学といったものはなく,現実主義・実用主義的傾向が強かった。数多くの概説書を書いて私法に関する広範囲の諸問題に総合的・体系的に検討を加え,のちの民法典(ナポレオン法典)の編纂にドマと並んで大きな影響を与えた。とくに債務法の諸条項は彼の著作を基礎としているといわれている。…
… 他の法分野,例えば民・商法,刑法,訴訟法などでは,西ヨーロッパ諸国の影響は圧倒的であるが,その影響のしかたは複雑である。法体制準備期においては,ほかに模範とすべきものがほとんどなかったこともあって,フランス法への傾倒がみられ,とくにナポレオン法典(民法典)は,直接,間接にラテン・アメリカ諸国の私法に多大な影響を与えた。その後,西ヨーロッパ諸国における法典編纂が進むにつれて,イタリア,スペイン,ドイツ,スイスの法も比較法的な取捨選択によって受容され,あるいは接木され,そうしてできた良法典がまた,他のラテン・アメリカ諸国における立法の模範とされた例も多い。…
※「ナポレオン法典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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