ドイツの教育家,幼稚園の創設者。チューリンゲンの片いなかに牧師の末子として生まれたが,生後9ヵ月で母を失い,寂しい幼年時代を送った。イェーナ大学で自然諸科学を中心に学びながらドイツ・ロマン主義の思潮にも触れたが,このことは後の教育思想の形成に大きく影響した。1805年,23歳のとき,当初建築家志望だったフレーベルは,偶然の機会からフランクフルトのペスタロッチ主義の模範学校の教師となったが,そこで教育の仕事に天職を感じとり,その生涯が方向づけられた。その後,2度にわたりスイスのイベルドンにペスタロッチを訪ね,師事した。対ナポレオンの祖国解放戦争後の16年,カイルハウで本格的に教育活動に取り組むが,その進歩主義的教育のため,政府や教会から迫害を受けた。そこでの実践経験にもとづく教育学的思索の結晶として,26年に主著《人間の教育Die Menschenerziehung》を公刊した。32年から4年間,スイスの教育諸施設で活躍したが,36年に帰国し,幼児期の教育を重視する立場から,まず翌37年より教育遊具である恩物Gabeの考案と製作に没頭し,さらに39年,ブランケンブルクに〈自己教授と自己教育とに導く直観教授の学園〉として幼児教育施設を設立し,翌40年〈一般ドイツ幼稚園Der Allgemeine Deutsche Kindergarten〉と命名した。幼稚園Kindergarten(子どもの園)という名称が人類教育史上初めて使用されたのである。家庭教育の重要性を考え,44年,母親のためのユニークな教育書《母の歌と愛撫の歌Mutter-und Koselieder》を発刊した。晩年は保育者養成事業も含めて幼稚園教育の発展のために全精力を傾注したが,51年,プロイセン政府により幼稚園禁止令が発布され,その撤回をみないまま,翌52年に波乱に富んだ生涯を閉じた。彼の没後,弟子たちにより幼稚園運動が受け継がれ,ドイツをはじめ世界各国に広がっていった。日本においても,1876年(明治9)東京女子師範学校(現,お茶の水女子大学)にフレーベル主義の幼稚園が付設されて以来,就学前教育の本流となってきた。
フレーベルの教育思想の根底には,汎神論的色彩の濃い宗教観と特有なロマン主義的世界観・人間観が横たわっているが,それはいわば生涯のテーマであった〈生の合一〉という理念に集約的に表現されている。教育思想史上の系譜からいえば,J.J.ルソーの自然主義や消極教育論,ペスタロッチの基礎陶冶論や民衆教育の思想,フィヒテの国民教育論などからの影響を強く受けているが,それらをふまえ,19世紀前半から中葉にかけてのドイツにおいて,近代的な統一国民国家の形成という歴史的課題をも念頭におきつつ,自由で自立的な国民の形成へと通じる人間教育の課題を,とりわけ幼児教育の領域で実践的に追求し,独自な教育の理論と思想を結実させていった。それは児童神性論や受動的・追随的教育論,共同感情論,人間の連続的発達観などによって特色づけられるが,なかでも子どもの自己活動の原理にもとづく遊びと作業教育の理論には,現在なお学ぶべきものが多く含まれている。
執筆者:平野 正久
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ドイツの教育者、教育思想家。敬虔(けいけん)派の牧師の子に生まれ、幼少時より自然とそれを貫く自然の秩序の意識に目覚め、やがて、この秩序に通ずる人間個々人の精神の十全な発展を理想として、幼児教育に生涯を捧(ささ)げた。「幼稚園」の創始者として知られる。
林務官の徒弟として実生活に踏み出したが、さらにイエナ大学で学び、当時のドイツ・ロマン主義思想の雰囲気を享受した。やがて学校教師となり、ペスタロッチの学園を訪ねる(1805)などして、しだいに教育に親しむようになった。その後ゲッティンゲン大学、ベルリン大学で鉱物学、結晶学などを学び、ベルリン大学の鉱物館助手などを務めたが、結局1816年、34歳のときにグリースハイムに1農家を借りて「一般ドイツ教育所」という学校を始め、やがてカイルハウに移って教育活動を続けた。この体験を基に1826年『人間の教育』を著した。これは神と自然と人間とを貫く神的統一の理念と、人間にその統一を実現させるための「自己活動」と「労作」の原理を中心として、教育全般にわたる抱負と計画とを論述したものである。
やがて、とくに幼児教育と、その重要さを女性や家庭に訴えることとに専念するようになり、1837年ブランケンブルクに「自己教授と自己教育に導く直観教授の施設」を創設、子供の「遊戯」を重んじて独特の遊具を考案し、それを「恩物」Gabeとよんだ。「恩物」とは万物の神的な統一を象徴し、子供を自然にその統一の認識に導く、神からの賜物(たまもの)という意味である。さらに彼はここに「遊戯および作業教育所」を併設し、それを「幼児園」Kindergartenとよんだ(1840)。これがやがて世界に広がった「幼稚園」の始まりであるが、この幼稚園の思想は、当初は政治上および宗教上の理由で厳しい弾圧を経験し、むしろフレーベルの死後、マレンホルツ・ビューロー夫人Baroness Bertha von Marenholtz-Bülow(1810―1893)やディースターベークFriedrich A. W. Diesterweg(1790―1866)の努力によってイギリス、フランスなどの外国から広がった。日本では1876年(明治9)アメリカの思潮の影響下に、東京女子師範学校(現、お茶の水女子大学)の付属として設立されたのが最初である。
[村井 実]
『岩崎次男訳『人間の教育』全2冊(1960・明治図書出版)』▽『長田新訳『フレーベル自伝』(岩波文庫)』
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…つまり手品の材料に折紙が使われたということである。レグマンの探索レポートには1870年代の話が出ているが,これよりずっと以前,折紙遊びは海外へ伝えられていたことは確かで,幼稚園教育の創始者F.フレーベルが幼児教材(恩物(おんぶつ))の一つにこれを採用していることからもそれは明らかである。ここで注目すべきは,フレーベルの恩物への採択主旨が,初等幾何の基本教材としての評価による点である。…
…幼稚園の創始者フレーベルが1830年代に考案製作した一連の教育的遊具。ドイツ語ガーベGabeの訳語で,神から授けられたものという意味の語であり,彼の独自な宗教的世界観と,子どもの自己活動的な遊びを重視する教育思想とに深く結びついている。…
…
[産業革命と学校]
一方,中世末期以来,手工業の発展とともに,同業組合学校や徒弟学校,さらに実科学校などが設置されるようになっていたが,学校が特定の上層階級の人のものでなく,広く一般民衆にとっても必要不可欠の存在とみられるようになるのは,産業革命に続く19世紀中葉のナショナリズムの高揚をまたなければならなかった。フレーベルは,人間は少年時代になると〈学校の人Schüler〉になるといった(日本では中国渡来の〈学童〉の語を,明治以来小学生にあてた)。彼によれば,学校は〈人間が自己の外にある事物やその本質を,それらに内在している特殊な法則や普遍的な法則に従って認識するように導かれるところであり,またその認識に到達するところ〉である。…
…一方,外国においても,玩具を表す言葉,たとえば英語のtoyには〈くだらないもの〉,フランス語jouetには〈わらいものになる〉という意味がある。18世紀ころから,子どもの人権を認める風潮がしだいに生まれ,玩具の教育的意義づけがされる中で,ドイツのF.フレーベルは自らの考案した玩具を〈ガーベGabe(恩物)〉と呼んだり,イタリアのM.モンテッソリはやはり自ら開発した玩具を〈マテリアmateria(教具)〉と表現したりした。日本でも,明治中期に〈教育玩具〉という言葉が生まれている。…
…1555年のアウクスブルクの宗教和議や98年のナントの王令により不十分ながらも信仰の自由がみとめられ,ドイツでは領邦君主の信仰に応じてその保護の下に宗派教育が行われた。 宗教教育を教育の核に据えた18~19世紀の教育者にペスタロッチやフレーベルがいる。彼らは教育による社会の改善,民衆の解放と生活向上を意図したもので,三十年戦争によって荒廃したヨーロッパにあって教育の普及による平和な社会の実現,国際平和の実現を願ったチェコスロバキアの大教育学者コメニウスの系譜をひくものである。…
…ホオノキ,カツラなどの木片を着色して,描画した家や乗物などのセットになっているものが多く市販されている。積木はフレーベル以前にもおもちゃとしてあったと考えられるが,彼が1830年代に20種類の恩物を考案制作し,そのなかの第3恩物から第6恩物までに積木を取り入れている。恩物としての積木は着色せず,生地のままのもので,そのなかでもフレーベルの積木,イタリアの女流教育家であったモンテッソリ考案のもの,またイギリスのヒルの積木などが有名である。…
※「フレーベル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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