改訂新版 世界大百科事典 「極東学院」の意味・わかりやすい解説
極東学院 (きょくとうがくいん)
École Française d'Extrême-Orient
フランスのアジア研究機関で,漢字名を遠東博古学院という。フランス領インドシナ総督ドゥメールの時代,1898年にサイゴンに常駐の考古学使節団が設けられ,1900年にハノイに移されて上記の名称に改められた。研究はインドシナを対象としたものが多いが,広く中国,日本,インドにも及び,アジア研究の一大中心となった。考古学,歴史学の研究に主力を注ぎ,やや遅れて民族学研究などが取り入れられた。ベトナム,カンボジア,チャンパ,ラオスに関する研究資料を収集し,ハノイ,ダナン,プノンペン,サイゴンに博物館を設け,アンコールその他各地の遺跡の調査,修復,保存を行った。研究報告書として1901年以降,紀要《Bulletin de l’École Française d’Extrême-Orient》(略称BEFEO)を現在まで刊行し,その間多くの重要な研究業績を発表してきた。学院の本部は第2次大戦中にサイゴンに,また戦後パリに移されて活動を続けている。極東学院は教育機能をまったくもたず,少数の優れた研究者を選んで現地に長期間滞在させる方針を貫いて,多大の成果を収めた。ペリオ,マスペロ,セデスその他の著名な学者がこの学院で活動した。
執筆者:山本 達郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報