ブルス(読み)ぶるす(その他表記)Wlodzimierz Brus

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルス」の意味・わかりやすい解説

ブルス
ぶるす
Wlodzimierz Brus
(1921―2007)

ポーランドの経済学者。プウォツクに生まれる。1939年の独ソによるポーランド分割でソ連支配地域に入ったため、1942年サラトフ大学卒業、1944年レニングラード大学(現、サンクト・ペテルブルグ大学)で修士号を取得。第二次世界大戦後、ポーランドに帰り、ワルシャワの中央計画統計大学で博士号を取得したあと、同大学、ワルシャワ大学で準教授、教授を務め、1957~1963年にはカレツキのもとで経済審議会副議長。スターリン批判(1956)前後の経済論争で社会主義経済の分権モデルを初めて体系的に理論化し、社会主義国の内外に多大の影響を与えた。コルナイの有名な「ソフトな予算制約」(国有企業に対する国家の温情主義的管理のため、企業が自発的に効率化に努力しない病理を明らかにした概念)もブルスの「貨幣の受動的役割」から発想を得ている。1968年3月ワルシャワ大学を追われ、1972年10月以降イギリスに住み、オックスフォード大学ウォルフスン・カレッジフェローを務め、その後名誉教授。1989年刊の著書ではかつて自ら唱道した「分権モデル論」を放棄、あらゆる生産要素を市場化した市場社会主義提唱体制転換を予告した。1998年11月、ウィーン国際会議で基調報告者を務めたのを最後に引退状況にあった。

[佐藤経明]

『W・ブルス著、鶴岡重成訳『社会主義経済の機能モデル』(1971・合同出版)』『W・ブルス著、佐藤経明訳『社会主義における政治と経済』(1978・岩波書店)』『W・ブルス著、大津定美訳『社会化と政治体制』(1982・新評論)』『W・ブルス、K・ラスキ著、佐藤経明・西村可明訳『マルクスから市場へ――経済システムを模索する社会主義』(1995・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルス」の意味・わかりやすい解説

ブルス
Boursse, Esaias

[生]1631.3.3. アムステルダム
[没]1672.11.16.
オランダの画家作品大部分が日常生活の情景を描いた室内画。 P.ホーホの弟子といわれるが,レンブラントおよび J.フェルメールの影響も認められる。 1652年頃より 72年までアムステルダムで活躍,東インド会社に参加しインドに向う途上死亡した。代表作『糸を紡ぐ女』 (アムステルダム国立美術館) 。

ブルス
Burrus, Sextus Afranius

[生]? ガリア
[没]62
古代ローマの政治家。リウィア (アウグスツス帝の妃) ,チベリウスに仕え,51~62年近衛長官。アグリッピナ (小)に気に入られ皇帝クラウディウス1世に取立てられた。セネカとともにネロの後見をつとめ善政を行わせた。ネロに毒殺されたといわれるが確かではない。

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