スウェーデンの植物学者。リンネは貴族となってからの名で,もとはラテン風にCarolus Linnaeusと名のっていた。スウェーデンの南部スモーランド地方のローシュルトに生まれた。まもなく父はステンブロフルトの教会の牧師となり,幼いリンネはここで父から植物の名を教わった。地方の中心都市ベクシェの寄宿学校からルンド大学,ついでウプサラ大学で医学を学び,植物学に熱中した。彼の知識はウプサラ大学長を驚かし,さらに植物の生殖法に気づき,それを詩の形式で記したものが,植物学教授のルドベックOlof Rudbeck(1660-1740)の注目をひき,その才能が認められた。ウプサラ科学協会計画のラップランドの自然調査を単身で行った後,オランダに留学,碩学(せきがく)H.ブールハーフェの紹介で多くの名士を知り,それまでの研究成果を著書として続々出版した。その第1作《自然の体系Systema Naturae》(1735)はおしべの性質で綱を分け,めしべの性質で目を分けた〈雌雄蕊(しゆうずい)分類法sexual system〉によって注目された。またJ.P.deトゥルヌフォールの樹立した属の概念をとりあげ,種の名はすべて属名とこれを限定するラテン語の数語によってあらわしたが,その後,便宜のため限定のうちの1語をとって小名とした。これが学名のはじまりで,この方法は二命名法と呼ばれるようになった。これにより学名をただ一つ正名とし,他の呼名は異名とし,1種に1名と定めることになった。後の国際会議で植物名はリンネの《植物の種誌Species Plantarum》(1753)から,動物名は《自然の体系》第10版(1758)から,学名を採用することがきめられた。リンネは当時まで知られた動植物のすべてを有用,無用の別なくすべて同様に命名し,記述し,本草学から脱却した近代植物学の基礎を築いたが,彼の体系はやがて自然分類に引き継がれ,現在に至っている。1742年以降ウプサラ大学の植物学の教授をつとめたが,ウプサラ郊外の隠棲(いんせい)の地で死んだのち,大学の地位は息子をへて,やがて高弟ツンベリーが後を継ぎ,ウプサラ大学教授,後に学長として活躍,リンネの考えを普及した。なお,88年にスミスJ.E.Smith(1759-1828)が,リンネを記念してロンドンにリンネ学会を設立して初代会長となった。リンネの標本や蔵書はスミスが個人的に買い取り,彼の死後に学会が買い上げ,その保存のために標本館と図書館がつくられた。
執筆者:木村 陽二郎
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スウェーデンの博物学者。スモーランドのロースフルトで牧師の家に生まれ、幼時から植物に興味をもった。ルンド大学で医学を修め、さらにウプサラ大学で植物学を研究した。1735年に医学の学位をとり、同年ライデンで『自然の体系』という14ページの小冊子を出版、植物を雌雄蕊(ずい)を基準にして分類する体系を提唱した。1738年に医者を開業、1741年ウプサラ大学解剖学教授、翌1742年同植物学教授となった。1753年に『植物の種』を出版し、動植物を属名と種名の二つの名称で固定する二命名法を確立した。この『植物の種』が植物命名法の、1758年に出版された『自然の体系 第10版』が動物命名法の、それぞれ基準となった。さらに1751年の『植物哲学』では分類の体系に非正統(人為)分類と正統(自然)分類があることを認め、植物の自然分類を試みたが、これはかならずしも成功しなかった。リンネは『植物哲学』では種は不変であるとしたが、その後、同一種のなかにも花などの形態が異なるものがあるのに気づき、1760年以降環境の影響によって新種が生じることを認め、属が変化する可能性をも否定しなかったが、神が各属または各目の共通植物を創造したと信じていた。
[八杉貞雄]
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1707~78
リネーともいう。スウェーデンの植物学・分類学者。ルンド大学,ウプサラ大学で医学を学ぶかたわら植物を研究。53年『植物の種』を著し,分類学を大成させた。動植物の分類に二名法を採用した。鯨をはじめて哺乳類に加え,また人間を霊長目に入れ,ホモ・サピエンスと名づけた。
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…顕花植物の対語。本草学(薬物学)としてはじまった植物学が,それから独立して植物学として歩みはじめたのは18世紀中ごろからで,リンネ以後のことである。リンネは花の形態学的属性によって植物を24綱に分類した(1738)が,そこではじめて花の咲かない植物を隠花植物としてひとまとめにして1綱に扱った。…
…しかし,進化の立場からみると,雄と雌の有性生殖によって遺伝子の組換えをおこし,さまざまな環境の変化に適応しうる多様な子孫をうみだすという意味で,雄はなくてはならない存在だといえる。C.vonリンネは,雄の生物学的記号として♂を採用したが,これは,占星術でローマの軍神マルスと結びつけられる火星のシンボルを転用したものである。雌【島田 義也】。…
…この分類基準は有性生殖器官の形質におかれ,したがって有性生殖の見いだされないものは,とりあえず不完全菌類としてまとめられている。 歴史的にみて,ミケーリP.A.Micheliの《新しい植物の属Nova Plantarum Genera》(1729)にはすでに大型の菌類はのっているが植物として取り扱われ,リンネの《植物種誌Species Plantarum》(1753)では藻類といっしょに隠花植物Cryptogamiaとしてまとめられ,この呼び方はその後長い間つかわれてきた。菌類の分類研究が独立して行われたのは1800年代からで,ペルズーンC.H.Persoon(1761‐1836),フリースE.M.Fries(1794‐1878)らが創始者といえよう。…
…その後中世までには,薬になる生物のリストなども作られていたが,17世紀の末になって,イギリスのレイJ.Rayがはじめてヨーロッパ産の動植物について,分類の単位としての種speciesの概念を定着させた。生物の分類はさらに下って18世紀のC.vonリンネによって確立されたが,彼の場合も,一つ一つの種について長いラテン語による記載を与えていた。ただ,よく似た種の集りである属genusの名前に,種の長い記載のうちから特徴的な1語を選んで欄外にそれを示す方法をとったので,属名とその1語(これを種小名epithet,specific nameという)を組み合わせた種名の表記法(のちに二命名法binominal nomenclatureといわれるようになった)がしだいに使われるようになった。…
…K.W.シェーレは天然物から有機化合物を得,これが近代薬学への出発点となった。リンネは博物学者だが,医師で生薬研究家でもあり,二名法をつくり,植物自然分類学の基礎を開拓した。18世紀後半ウィザリングW.Withering(1741‐99)は,水腫の患者が民間療法によって軽快したことを知り,使われた20種以上混合した薬草の中からジギタリスにねらいをつけ,強力な利尿効果のあることを発見した。…
…raceという語を現代的に使用した最古の例は彼の著書だとされる。生物分類学の祖とされるリンネ(1708‐78)は,ヒトHomo sapiensをインディアン,ヨーロッパ,アジア,アフリカの住民に区分したが,実際に各地の人種を知っていたわけでなく,化物や野蛮人という範疇もつくっている。ブルーメンバハ(1752‐1840)は,皮膚の色と頭型を重視して世界の人種を五つに分けた。…
…ところがヨーロッパでは長い間,sexはラテン語のsecare(〈分離する〉の意)の派生語として,単なる性別genderに等しい内容として,種類,クラスタイプなどと類似した男女の別という概念で取り扱われていたにすぎなかった。sexualという現在のような生殖と結びついた概念の成立は,18世紀に入ってからで,C.vonリンネによって導入されたといわれる。現在の〈性〉の概念に含まれる概念や行為を表現する言葉は,それなりに存在したと思われるが,宗教界からの非難に耐えながら,性に関連する言葉が《オックスフォード英語辞典》に採用されたのは次の順序であるという。…
…草部は1852年(嘉永5)ごろ成稿,56年(安政3)から62年(文久2)にかけて出版された。本書は日本最初のC.vonリンネの24綱分類による植物図鑑である。本草を脱却した西欧の植物分類によるところに意義がある。…
…植物ではジェラードJohn Gerard(1545‐1612)《本草誌》やパーキンソンJohn Parkinson(1567‐1650)《地上の楽園》が刊行されている。 しかしブロンPierre Belon(1517‐64)やJ.P.deトゥルヌフォール,そしてC.vonリンネに至る探検旅行家兼博物学者の出現に加え,J.スワンメルダムやR.フックのような顕微鏡学者が登場して,単に外形だけでなく生物の構造や生態までも加味した精密画が制作されるようになった。とくにリンネ以降の博物学は本格的な分類学の成立をみ,種の同定を行うためには彩色した精密図版がぜひとも必要になった。…
…花の生態学的な特性を時計として利用する発想は17世紀のキルヒャーを先駆とし,太陽の運行にしたがって向きを変えると信じられていたヒマワリを用いた奇抜な花時計案が,その著《磁石論》(1643)で公表された。本格的には1740年代にリンネが数十種の花を組み合わせた花時計を立案している。たとえば1745年に発表された例では,1時間ごとの2種の花の開閉によって午前6時から午後6時までを表示した。…
※「リンネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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