ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポーランド文学」の意味・わかりやすい解説
ポーランド文学
ポーランドぶんがく
Polish literature
16世紀になってポーランド文学は黄金時代を迎えた。イタリア・ルネサンスの影響を受け,他国と密接に接触し,比較的平和で安定した時期であったため,多様で自信に満ちた表現が生れた。「ポーランド文学の父」 M.レイが,それまでの唯一の文学言語ラテン語に代えて,ポーランド語で『貴族と村長と主任司祭の短い談合』を著わしたのが 1543年であり,これは N.コペルニクスが地動説を述べた論文『天体の回転について』を発表した年でもあった。レイと同時代に活躍した詩人の J.コハノフスキは,真のルネサンス人であり,初期の傑出したポーランド作家である。 17世紀初頭から始るポーランドのバロック文学は,宗教論争と戦争に苦しめられたこの時代の様相が,J.A.モルシュティンの宮廷詩,Z.モルシュティンの宗教詩,S.トファルドフスキの歴史的叙事詩,J.C.パセクの回顧録に反映されている。 18世紀前半は衰退期であったが,その後ポーランド最後の国王スタニスワフ2世アウグスト・ポニャトフスキの治世に訪れた啓蒙主義の時代に,ポーランドの文化,政治,知性のあらゆる分野が精力的に復活した。文学,ジャーナリズム,出版,政治・教育改革,国立劇場の設立 (1765) に,この時代の進歩的な気概が表われ,I.クラシツキをはじめ,F.カルピンスキと F.D.クニャリジニンの詩,W.ボグスワフスキと F.ボホモレツの戯曲,J.U.ニェムツェーウィチの著作が 18世紀のポーランド文学を代表する。
19世紀にヨーロッパのいたるところでみられたロマン主義の興奮と熱狂も,ポーランドではそれを追払うような現実が襲った。 1830年の反乱の失敗後,ポーランドのロマン主義には,抑圧され殉教した国の罪と悲劇的な悲しみの様相が加わった。亡命先で書かれた A.ミツケーウィチのプロメテウスの苦悩とメサイアの幻想を描いた吟唱詩人風の作品や,J.スウォワツキと Z.クラシンスキの作品は,国民精神を表現したものであった。自己アイデンティティの探求と,個人の自由,歴史への疑問を扱ったこれらの作家の主要作品は,ポーランドの意識に永遠に刻まれている。 63年の蜂起の失敗でロマン主義の夢は終り,苦い敗北の結末として,現実の努力と社会的政治的リアリズムを強調した新しい実証主義に取って代られた。 H.シェンケーウィチ,B.プルス,E.オジェシュコーワの小説が,19世紀後半の文学の主流を占めたが,実証主義の制約に反発した「若きポーランド」運動 (1890~1918) がまもなく興った。初期にはヨーロッパ的で挑発的なほどモダニスト風の情熱的な宣言を行なったこの運動は,非常に幅広い流れと形式を含んでいた。代表的な作家としては,詩では K.テトマイエル,象徴派演劇では S.ウィスピャンスキ,小説では S.ジェロムスキがあげられる。
独立を回復した大戦間の短い期間 (1918~39) には,新鮮で多彩な文学が生れた。 B.レシミャンや L.スタフといった年配の作家とは別に,この時期には T.パイペルや J.プシボシの前衛詩,スカマンデル派の詩人の自信に満ちた楽観主義が現れた。散文では M.ドンブロフスカ,W.ゴンブローウィチ,J.アンジェイエフスキ,B.シュルツら,現代ポーランドを代表する作家が登場した。演劇では,J.シャニャフスキと,革新的なシュルレアリスム作品を書いた S.I.ウィトキェーウィチの戯曲が代表的である。ナチスによる占領,第2次世界大戦,ソ連の侵入を通じてポーランドが失った知識人人口は莫大なものであり,文学のみならず文化のあらゆる面で治癒しがたい傷となった。また,戦後成立した社会主義政権は文学にとってはことに大きな試練であったが,戦争と占領の経験から新しい題材を得た作品が発表され,とりわけ 1956年のスターリン批判以後その傾向が強い。戦争の悲劇を純化する場合も,現代ポーランドのトラウマを描き出す場合もあるが,どちらも現代のポーランドの状況を反映している。代表的な作家に Z.ヘルベルト,T.コンウィツキ,T.ルジェーウィチ,S.ムロジェク,S.レム,C.ミウォシュがいる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報