古代ギリシア三大悲劇詩人の一人。詩人として,また一市民として輝かしい業績を残した彼の90年に及ぶ生涯は,前5世紀というアテナイの最盛期のほぼ全体と一致し,それ自体ギリシア古典文化の典型であり,また象徴と称することができよう。早くも前468年,大ディオニュシア祭の悲劇競演で先輩詩人のアイスキュロスを破って初優勝を遂げて以来,彼は生涯に24回の優勝を数えたといわれる。その間に一市民としては前443-前442年にデロス同盟の財務長官(ヘレノタミアス)を務め,前440年にはペリクレスの同僚の将軍(ストラテゴス)としてサモスに遠征し,さらにシチリア遠征直後の危機に際しても最高委員(プロブロス)の一人として祖国再建の任に携わっている。
彼の作品は全部で123編あったと伝えられているが,完全な形で現存しているのは7編の悲劇だけで,そのほかに90余の題名,サテュロス劇《追跡者》の大断片,失われた劇の多数の断片が残されている。7編の現存悲劇を年代順に記せば,《アイアス》,《アンティゴネ》(前441ころ),《トラキスの女たち》,《オイディプス王》(前429ころ-前425ころ),《エレクトラ》,《フィロクテテス》(前409),《コロノスのオイディプス》(遺作,前401上演)となろう。ソフォクレスは自分の作風の変化について,まずアイスキュロス風の誇大な文体,次に技巧的で生硬な文体を用いた時代を経て,最後に性格描写に適した最良の文体を生み出した,と述べたことが伝承されている(プルタルコス)。現存作品はみなこの第3の円熟期に属するものであろう。彼はまたアイスキュロスに向かい,〈あなたの作品は優れたものだとしても,あなたは自覚的に創作していない〉と言い(アテナイオス),エウリピデスに関しては,〈自分は人間をあるべきように書くが,エウリピデスはあるがままに描く〉と語ったと伝えられている(アリストテレス)。さらにソフォクレスには《合唱隊(コロス)について》という論文があったことが知られている。これらはみなソフォクレスの創作態度がきわめて意識的なものであったことをうかがわせる。事実,彼はそのような理論的考察に基づいて,アイスキュロスから継承したものにいくつかの重要な改革の手を加え,悲劇という文芸のジャンルをその完成へともたらしたのである。すなわち,俳優の数を2人から3人に,合唱隊員を12人から15人に増加し,舞台に背景画を使用するなどの改良を施し,またアイスキュロスの三部作形式を廃して,1日に上演するきまりであった3編の悲劇のそれぞれを同時上演の完結した作品として独立させた。これはできごとのテンポを速め,アイスキュロス悲劇の粗けずりな壮大さを失わしめたものの,俳優の数を3人にした改革とあいまって劇構成の緊張度を高める効果をもたらした。
ソフォクレスは人知でははかりがたい神々の道,過酷な運命を凝視しつつ,それに対峙する人間の悲壮美を追求し,彫琢された文体によってそれを形象化することに成功した詩人であった。その意味でソフォクレスの描いた悲劇の担い手たる主人公たちは,ホメロスの英雄像のアテナイの新しい土壌における再生であったといえよう。現存作品中,《オイディプス王》に先立つ3編では主人公たち(アイアス,アンティゴネ,デイアネイラ)がみな劇半ばで自害して,そのために劇構成が2分されてしまうという共通の特徴をもつ。彼らの自殺はいっさいの妥協を排するソフォクレスの英雄たちの本性からして必然の結果であった。しかし古来最高傑作の誉れ高い《オイディプス王》以降の現存作品の主人公たち(オイディプス,エレクトラ,フィロクテテス)は,やはり自殺しても不思議ではない状況に置かれながらも,最後まで苦難に耐え通す人間として描かれ,それとともに作品構成もいわゆる〈二つ折れ〉構造を脱している。前3編の主人公たちに見る自殺という共通項自体は偶然の一致とも考えられようが,しかし全体として見れば,《オイディプス王》を軸に,ソフォクレスの英雄像の気性に,あるいは神々の世界と人間の世界のかかわりに,本質は変わらずとも,その現れ方に微妙な展開が見られるとの印象は否定しがたい。しかもこの変化は,ソフォクレスが悲劇詩人として活躍した前5世紀後半の時代の趨勢が明から暗に推移していったのと,まさに逆説的な関係に立つのである。つまり前3編が上演されたのは楽観的な啓蒙主義的思潮が謳歌された明るいペリクレス時代であった。この時代に血のきずなと国家の掟の相克を描いて体制批判ともとれる《アンティゴネ》が制作された意味は大きい。しかし《オイディプス王》が書かれたのは,ペロポネソス戦争の勃発(前431)とその2年目の疫病の蔓延,それによるペリクレスの急死というできごとからほどないころと考えられ,それに続く3編の歴史的背景は,アテナイが扇動政治家たちに踊らされて前404年の敗戦に向け内部崩壊の道を突き進んでいった時代であった。この作品世界と時代思潮の逆説的関係に詩人の時代に対する内的な自由が垣間見られる。その内的自由を最も典型的に具現しているのが,みずからの恐ろしい真実を知って破滅に突き落とされながら,目を突いて新たに立ち上がるオイディプス像であり,さらに約20年後の詩人の最晩年(前406?),敗戦前夜の疲弊した祖国の現実の中で形象化された,あの盲目の目で真理を凝視し朽ち果てた肉体に冒しがたい威厳と高貴をたたえた老オイディプスの姿である,といえよう。
執筆者:川島 重成
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アイスキロス、エウリピデスとともに古代ギリシア三大悲劇詩人の1人。アテネの最盛期に、アテネ市郊外コロノスの裕福な家庭に生まれ育ち、最高の教育に恵まれ、29歳で悲劇競演に初出場して優勝して以来、死の直前の90歳まで創作活動を続け、123編の作品があったと伝えられる。政治家としても財務長官、将軍、最高政治委員などの高官職を歴任し、晩年には神祇(じんぎ)官も務めて人望のある幸福な生涯を送った。
紀元前480年、外敵ペルシアに決定的打撃を与えたサラミスの海戦勝利の祝賀祭で、少年ソフォクレスは美しく身を飾って少年合唱隊の指揮をした。先輩アイスキロスは一兵士としてこの海戦に参加し、後輩エウリピデスはこのとき生まれたと伝えられているが、このことから三大悲劇詩人を興隆、全盛、衰退期の詩人としてそれぞれの作風を特徴づけることもできる。祝福された神の寵児(ちょうじ)として人々に愛されたソフォクレスが、人間苦悩の極まるところを描き、穏やかにして明朗な人物からもっとも純粋な悲劇性が生じたという逆説がここに完成する。
七作品だけが完全な形で現存している。最強の武将であるとの自認にもかかわらずその名誉を奪われ、この屈辱を晴らそうとして失敗し、美しく生きられないがゆえに美しい死を遂げた『アイアス』。反逆者たる兄の埋葬を禁ずるという権力側の法令を無視して、血縁者としての義務を果たし死者の追悼という神々の永遠の法を守って身を犠牲にした『アンティゴネ』。夫を愛する妻が失われた夫の愛を取り戻そうとしてしたことが、逆に夫を殺す破目となり、自らも生命を絶つ『トラキスの女たち』。外見幸福にして偉大な王者が、真実には知らずして父の殺害者、母の夫となっていたことを、自らの意志の力で暴いて破滅した『オイディプス王』。殺された父のための復讐(ふくしゅう)の念だけで生きており、帰国した弟と協力して報復を成し遂げる『エレクトラ』。孤島に置き去りにされ、病気に苦しみながらも孤高の精神の保持者たる主人公を中心に、正義の士と陰謀家を対照させて三者のやりとりのなかで人間性を豊かに描く『ピロクテテス』。そして、死の直前に創作した『コロノスのオイディプス』(死後上演)では、苦悩の極まるところを体験した老主人公が長い放浪のすえ、アテネのはずれのコロノスの聖域にたどり着き、彼のなかに充満している愛情や感謝や憎悪や呪咀(じゅそ)を吐露したのち、この罪なくして穢(けが)れに染まった人間が、不思議にも神との和解のもとで安らかに逝く。
ソフォクレスは罪なき者の苦悩を容赦なく描く。苦悩や死は人間存在の実相であり、不可避的なものである。劇主人公は決定的状況に面して勇気をもって対決し、妥協せず、屈辱の生よりも死や破滅を選ぶ。この強固にして高貴なる人間が苦悩しぬくところに悲劇的美なり悲劇的崇高性が輝く。劇の筋は神話どおりであり、観衆は事態も結末も知っている。劇中人物が知らずして語ることばや行為と、真実を知る観衆との対照が大きな劇的効果をあげ、悲劇的な緊迫感を盛り上げるこの手法がソフォクレス的ないし悲劇的アイロニーといわれる。
[竹部琳昌]
『呉茂一・松平千秋他訳『ギリシア悲劇全集Ⅱ ソポクレス篇』(1960・人文書院)』
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前496頃~前406
ギリシアの三大悲劇詩人の一人で,演劇史のうえでアイスキュロスとエウリピデスの中間に立つ。アテネの富裕な家に生まれ,将軍や高級財務官となるなど市民として活躍。彼の生涯はほぼアテネの最盛期に一致し,伝統的宗教への懐疑を持たず,円満な人柄により市民に好かれた。悲劇の技巧的・形式的完成者で,『オイディプス王』など7編の作品が完全に伝わっている。
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…アッティカ悲劇の現存作品中,エレクトラのタイトルを有するものは二つある。一つはソフォクレスのおそらくは初期に属する作品であり,もう一つはエウリピデスの前413年に上演された作品である。アガメムノンの遺児エレクトラとオレステスが,父の仇である実母クリュタイムネストラ(クリュタイメストラ)とその愛人アイギストスを殺害する,という行為をめぐって劇が組み立てられている,という点でも両者は共通する。…
…古来最高傑作の誉れ高いソフォクレス作のギリシア悲劇。前429年ころから前425年ころに上演されたと推定される。…
…この発見が,ギリシア演劇における対話技術の目覚ましい進展を促す力となり,ひいては演劇構造(筋立て)のくふうと演劇的人間像の創造に連なったと思われる。 ソフォクレスの《アンティゴネ》では劇中対話の彫琢技術はアイスキュロスを凌駕しているが,作品全体の構造はまだアイスキュロスに近い。しかし《アイアス》では,恥辱にまみれた誇り高い一人の男が最後の決断に至る苦悶の過程を一本の筋とし,彼の選択の意味づけを劇の結末とする。…
…アイスキュロスは古い神話・伝説が伝える人間の迷妄,執念,呪詛が織り成す葛藤や悲劇が,新しい正義と秩序のもとに苦難を経つつも解決に向かうべきことを告げている。続いてソフォクレス,エウリピデスらも観客の心眼を,人間の行為と運命を神々の眼からとらえる悲劇芸術の視点にまで高めようとしている。さらに特記すべきはアリストファネスの喜劇であろう。…
…ギリシア三大悲劇詩人の一人ソフォクレスの最晩年の名作。父を殺し母と結婚するという,運命の予告どおりの罪と汚れを犯したオイディプスは,われとわが手で己を罰し盲目となったのち,娘アンティゴネとともに諸国を漂浪し,ついにアテナイのエウメニデスの聖域にたどりつく。…
…神の直接介入による話の決着は,すでに初期叙事詩人の常套手段となっており,劇作家たちはこれを視覚的表現手段にゆだねたのである。現存するソフォクレスの《フィロクテテス》や,エウリピデスのほとんどすべての劇作は,〈機械仕掛け〉に依存しているが,アリストテレスは《詩学》において,一編の劇作の結末は筋の段どりそのものの中から必然性ないしは蓋然性に基づいて導き出されるべきものとして,その利用については批判的見解を記している。【久保 正彰】。…
※「ソフォクレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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