日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベッセマー」の意味・わかりやすい解説
ベッセマー
べっせまー
Sir Henry Bessemer
(1813―1898)
イギリスの発明家。多くの発明で工業界に貢献し、とくに溶鋼の大量生産法である転炉法を発明して、製鉄業に革命をもたらした。ハートフォードシャー州のチャールトンに生まれ、父の経営する活字鋳造所で独学で発明の才を磨いた。事業をロンドンに移した父とともに上京し、以来、独立独歩の発明家としてたった。それまで黒鉛塊(かい)から名人芸で切断製造されていた鉛筆の芯(しん)を粉の圧縮で製造する方法、純粋な光学レンズの製造法、ガラスの連続圧延法、絵の具用青銅粉の大量生産法などで発明家としての地歩を固めたのち、1853年に勃発(ぼっぱつ)したクリミア戦争に刺激されて大砲の材質の改良を志し、製鉄法を研究した。それまでの製鉄法では、溶鋼はるつぼ法で少量生産されるだけで、大部分の可鍛(かたん)性の鉄は、高炉で溶融状態で製造された炭素の多い銑鉄を精錬炉で脱炭して製造される、半溶状の錬鉄であった。鉄は炭素の含有量の減少とともに融点が高くなるので、精錬炉の鉄は溶融状態を維持できなくなり、半溶状の錬鉄となるのである。その際、脱炭を促進するために鉄棒でパドリング(攪拌(かくはん))したのでパドル法とよばれた。ベッセマーは、錬鉄でなく溶融状態にまでもっていって溶鋼として大量生産することに挑戦し成功した。しかもその方法は燃料を使う必要のない方法であった。溶融銑鉄を入れた転炉に空気を炉底から吹き込み、その酸素で溶融銑鉄中のケイ素、マンガン、炭素を酸化除去して鋼に変え、その法外な酸化熱によって鋼を溶融状態に保持するのである。1856年の大英科学振興協会でこの転炉法が発表され、一大センセーションを巻き起こした。以来、錬鉄は衰微してゆき、溶鋼時代が始まった。8年後の1864年にはもう一つの溶鋼製造法である平炉法がシーメンズ兄弟およびマルタンによって工業化され、転炉法と平炉法が二大製鋼法となり、銑鉄製造の高炉法のあとに続く作業として製鉄技術を構成することになった。第二次世界大戦後は純酸素転炉法が開発されたが、すべての出発は銑鉄中の元素を熱源とするベッセマーの発明にあった。
[中沢護人]