ベネデッティ(読み)べねでってぃ(その他表記)Mario Benedetti

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベネデッティ」の意味・わかりやすい解説

ベネデッティ
べねでってぃ
Mario Benedetti
(1920―2009)

ウルグアイの小説家、詩人、評論家。18歳のときブエノス・アイレスに行き出版社に勤めるが、10年ほどして帰国しジャーナリズムに入る。ジョイスの短編集『ダブリン市民』に似た短編集『モンテビデオ市民』(1959)で、都市に住む平凡な人々の生を描く。この作品と、妻子ある停年間近の役人の恋を日記体で綴(つづ)った『休戦』(1960)、財界を牛耳(ぎゅうじ)る父親と息子の葛藤(かっとう)を描いた『火をありがとう』(1965)で国際的な作家となる。ほかに、現代ラテンアメリカの代表的作家を論じた『混血大陸の文学』(1967)など、評論も手がける。また詩人としての経歴も長く、1999年には17音からなる俳句を詩の極限とみなして、この形式に挑んだ『俳句の片隅』を上梓(じょうし)した。この年、スペインのソフィア王妃詩賞を受賞。

[安藤哲行]

『ベネデッティ著、高見英一訳『別れ』(『現代ラテン・アメリカ短編選集』所収・1972・白水社)』『ベネデッティ著、岸本静江訳『あとは密林だけ』(『世界短編名作選 ラテンアメリカ編』所収・1978・新日本出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベネデッティ」の意味・わかりやすい解説

ベネデッティ
Benedetti, Mario

[生]1920.9.14. パソデロストロス
[没]2009.5.17. モンテビデオ
ウルグアイの小説家,詩人。イタリア移民の裕福な家庭に生まれ,4歳のときモンテビデオに移り,私立学校で教育を受けた。詩人として出発したのち小説家として活躍,ラテンアメリカでの名声を確立した。1960年代後半にキューバに渡り,キューバ革命を支持するなど政治的活動でも知られ,1973年軍政下のウルグアイで国外追放された。のちにアルゼンチンペルーなどを転々とし,1985年に帰国。都市の中産階級生態を描いた『休息』La tregua(1960),『火をありがとう』Gracias por el fuego(1965)が代表作。ほかに短編集 "Montevideanos"(1959),"El desexilio y otras conjeturas"(1984)など。(→ラテンアメリカ文学

ベネデッティ
Benedetti, Vincent, Comte de

[生]1817.4.29. コルシカ,バスティア
[没]1900.3.28. パリ
フランスの外交官。ベルリン駐在大使 (1864~70) として普仏戦争勃発に主要な役割を果した。 1870年7月 13日スペイン王位継承問題に関して,プロシア王ウィルヘルム1世から一族をスペイン王位に立候補させないという保証を取付けようとしたところ,王は原則として同意しながら,ベネデッティの執拗な要求に立腹し会見を断った。これがビスマルクによって改竄 (かいざん) されたエムス電報事件の主要な動機をなし,両国間の戦争は時間の問題となった。彼の外交官としての使命はこれで終り,コルシカに引退。主著『プロシアにおける私の使命』 Ma mission en Prusse (71) ,『外交論』 Essais diplomatiques (95) 。

ベネデッティ
Benedetti, Arrigo

[生]1910.6.1. ルッカ
[没]1976.10.26. ローマ
イタリアの小説家。 1930~40年代には,日常の小さな事件を核に,手堅いリアリズムの手法で長・短編小説を著わした。第2次世界大戦後は週刊誌『エスプレッソ』の編集長 (1955~63) などをつとめ,ジャーナリストとして敏腕をふるい,かたわら長編『ランゴバルド族の足跡』 Il passo dei Longobardi (64) ,『天使の舞踏』 Il ballo angelico (68) ,『瞳』 Gei occhi (70) などを発表している。

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