ベンアリ(読み)べんあり(その他表記)Zine el-Abidine Ben Ali

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベンアリ」の意味・わかりやすい解説

ベンアリ
べんあり
Zine el-Abidine Ben Ali
(1936―2019)

チュニジアの政治家。南部のスース市郊外ハマムスースに生まれる。フランス植民地時代若くして独立運動に参加。高等教育を終え、フランスの砲術学校、アメリカ高等砲術学校、防空学校に留学後、国防省勤務、駐モロッコ、スペイン大使館付武官。1977年内務省治安局長、陸軍大将、1980年ポーランド大使。1984年国防大臣、1986年内務大臣、1987年副首相兼内務大臣、同年10月首相に就任。同年11月、初代大統領で終身大統領のブルギバが病気のため解任され、憲法第57条にしたがいベンアリが大統領に就任。民主化を進め、1989年4月、終身大統領制を廃した大統領選挙で当選。1994年3月再選された。1999年10月3選。2002年5月、憲法改正のための国民投票が実施され、それまで3選を限度としていた大統領の再選回数の制限が撤廃されたため、2004年10月の大統領選挙で4選、2009年10月5選を果たした(任期は5年)。2010年12月にチュニジア中南部で起きた貧困・雇用対策を求める抗議デモを機に、各地でデモが発生。2011年1月、反政府デモや暴動が拡大するなか、国外脱出した。

[藤井宏志]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベンアリ」の意味・わかりやすい解説

ベンアリ
Ben Ali, Zine al-Abidine

[生]1936.9.3. チュニジア,スーサ近郊
[没]2019.9.19. サウジアラビア,ジッダ
チュニジアの軍人,政治家。大統領(在任 1987~2011)。フランスのサンシール陸軍士官学校とシャロンシュルマルヌの砲兵学校で軍事訓練を受け,アメリカ合衆国で工学を学んだ。1964~74年に軍・治安司令官を務めて政権中枢にくい込んだ。1974年から在モロッコ大使館付駐在武官として 3年間勤務したのち,内務省治安局長を経て 1980年に駐ポーランド大使に就任,帰国後の 1984年治安担当副大臣,1985年治安担当国務大臣。1978,1984年の暴動鎮圧での手腕を高く評価された。1986年内務大臣に就任し,暴力的なイスラム原理主義団体の摘発に乗り出した。1987年首相に就任すると,1956年の独立以来大統領の座にあったハビブ・ブルギバを病弱のため職務遂行不能として解任,無血クーデターを成功させて大統領に就任した。1989年の大統領選挙では圧倒的支持を得て再選された。1991年イスラム原理主義政党アンナハダ(「目ざめ」の意)の活動を禁止し,イスラム勢力への弾圧の手をゆるめず,人権政策をめぐって批判が高まった。2009年の大統領選挙に圧勝,5選を果たしたが,2010年,失業や政治的弾圧に対する抗議から大統領の辞任を求めるデモが発生,事態の収拾をはかるも抗議運動は拡大し,2011年,大統領を辞任してサウジアラビアへ逃亡した(→アラブの春)。

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百科事典マイペディア 「ベンアリ」の意味・わかりやすい解説

ベンアリ

チュニジア共和国の軍人,政治家。ハンマーム・スーサ出身。青年時代にフランスからの独立運動に参加,独立後,フランスの陸軍士官学校,アメリカの情報・保安学校などに学ぶ。政治的には,社会主義憲政党(後に立憲民主連合)に属す。初代ブルギバ大統領のもとで,77年,国家保安局長官,86年,内相,87年,首相に指名され,ブルギバの引退にともない,同年,第2代チュニジア共和国大統領に就任した。2009年に5選を果たし23年間大統領職にあった。しかし近年の物価高騰と失業率の急速な増大から国民の不満が爆発,2010年12月に一気に拡大した反政府デモで政権は崩壊(ジャスミン革命),2011年1月,サウジアラビアに亡命した。
→関連項目エジプト

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