ベングリオン(読み)べんぐりおん(英語表記)David Ben-Gurion

デジタル大辞泉 「ベングリオン」の意味・読み・例文・類語

ベングリオン(David Ben-Gurion)

[1886~1973]イスラエル政治家ポーランドの生まれ。パレスチナ労働党書記長・世界シオニスト機関委員長などを歴任。1948年、イスラエル共和国の独立を宣言し、初代首相兼国防相に就任した。

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精選版 日本国語大辞典 「ベングリオン」の意味・読み・例文・類語

ベングリオン

  1. ( David Ben-Gurion デイビッド━ ) イスラエルの政治家。ポーランドの生まれ。パレスチナ労働党書記長・世界シオニスト機関委員長などを歴任。一九四八年、イスラエル共和国の独立を宣言し、初代首相兼国防相に就任した。(一八八六‐一九七三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベングリオン」の意味・わかりやすい解説

ベン・グリオン
べんぐりおん
David Ben-Gurion
(1886―1973)

イスラエルの政治家。シオニズム運動指導者、初代首相。ポーランドのプロンスクに生まれ、早くからシオニズム青年組織に参加。1906年パレスチナへ移住し、シオニズム運動の活動家となる。1920年ヒスタドルート(労働総同盟)を結成し、その書記長となる。1930年マパイ党を結成し、1965年まで指導。1933年ユダヤ機関の執行部メンバーとなり、1935~1948年その議長。1947年国連のパレスチナ分割決議後、民族評議会議長に選ばれ、安全と防衛の責任を担った。独立後1948年5月臨時政府の首相兼国防相となり、翌1949年正式に首相兼国防相に就任し、1953年まで務める。1955~1963年ふたたび首相兼国防相となる。1965年マパイ党を去り、新党ラフィを結成するが、第三次中東戦争後に、ラフィがマパイ、アフダト・ハボダと合体してイスラエル労働党を結成したときには、これに不参加。1970年政界引退。イスラエル独立の象徴的存在である。著書に『イスラエル――私史』Israel : A Personal Historyがある。

[伊能武次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベングリオン」の意味・わかりやすい解説

ベングリオン
Ben-Gurion, David

[生]1886.10.16. プロンスク
[没]1973.12.1. テルアビブヤフォ
イスラエルの政治家。イスラエル独立のシンボル建国の父として慕われている。ポーランドで生れ,1906年農業労働者としてパレスチナに移住,労働党およびユダヤ人共同農場のための自衛団を組織した。 10年姓をグリーンからユダヤの英雄のベングリオンに改名。第1次世界大戦中オスマン帝国の官憲によって追放され,ニューヨークに渡ってシオニスト労働党を組織。 18年パレスチナに戻り,20年イスラエル労働総同盟が結成されると初代事務局長となり,30年マパイ党 (穏健的社会主義シオニズム) を結成した。 39年ロンドンで開催されたアラブ=ユダヤ円卓会議に代表として参加したが,イギリスの親アラブ態度の強化を阻止できず,アメリカへ支持を求めた。他方,パレスチナにおいてはハガナーを中心とするユダヤ人武装防衛組織の育成に努めた。 48年5月 14日イスラエル建国とともに首相兼国防相。 53年政界から一時引退し,ネゲブ地域のキブツに参加。 55年ラボン事件 (エジプトにおけるイスラエルのスパイ網摘発事件) に揺れる政界に復帰,同年7月再び首相。 63年首相を辞任。 64年 12月ラフィ党を結成。 69年の総選挙にはナショナル=リスト党を結成して戦ったが惨敗し,70年7月 84歳で政界を引退。彼の主目標は,定住を希望するすべてのユダヤ人をイスラエルに移住させることにあった。またアラブ諸国に対しては一貫して強硬派であった。

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改訂新版 世界大百科事典 「ベングリオン」の意味・わかりやすい解説

ベン・グリオン
David Ben-Gurion
生没年:1886-1973

イスラエルの政治家,初代首相。ポーランドのブロンスクでユダヤ人の両親の下に生まれる。ポーランドのシオニスト青年組織で活躍した後,1906年パレスティナに移住。第1次大戦中の15年オスマン帝国当局により追放され渡米したが,18年にパレスティナに戻り,イギリス軍の下でユダヤ軍団を組織してオスマン帝国と抗戦した。20年ヒスタドルートHiṣtadrut(ユダヤ労働総同盟またはイスラエル労働総同盟)を結成し書記長となり,30年マパイ党(後の労働党)を結成し党首となり,35-48年ユダヤ機関議長となるなど,委任統治下のパレスティナでユダヤ国家樹立のため指導的役割を果たした。48年5月14日自ら中心となって起草したイスラエル独立宣言を発し,直ちに臨時政府の首相兼国防相となる。49年の第1回総選挙で首相兼国防相。53年12月いったん辞任したが,55-63年再び首相に就任。70年6月政界を引退した。著書に回想録《イスラエル》(1971。邦訳名《ユダヤ人はなぜ国を創ったか》)などがある。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ベングリオン」の解説

ベン・グリオン
David Ben Gurion

1886~1973

イスラエルの政治家。ポーランド生まれ。イスタンブルで学び,シオニスト系労働運動にも従事した。第一次世界大戦中トルコ政府から追放されると,アメリカでユダヤ人部隊を組織し,パレスチナで戦った。1921~33年にはパレスチナ労働党書記長,33年世界シオニスト機関執行委員,35年同委員長。第二次世界大戦後イスラエルの独立が承認されると,48年首相兼国防相に就任し,国政の指導にあたった。

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百科事典マイペディア 「ベングリオン」の意味・わかりやすい解説

ベン・グリオン

イスラエルの政治家。ポーランド生れで早くからシオニズム運動に参加。第1次大戦中米国でユダヤ人部隊を組織してパレスティナで戦った。戦後も同地にとどまり,1921年―1933年マパイ党書記長,1935年シオニズム機関委員長となる。第2次大戦後,独立とともに首相兼国防相(1948年―1953年,1955年―1963年)として建国期の指導に当たった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ベングリオン」の解説

ベングリオン
David Ben-Gurion

1886〜1973
イスラエルの政治家,初代首相(在任1949〜53,55〜63)
ポーランドに生まれ,イギリスの委任統治下のパレスチナで,ユダヤ国家樹立のために活躍した。1948年5月,イスラエル独立宣言を発し,臨時政府で首相兼国防相をつとめ,49年の第1回総選挙で首相兼国防相に就任した。

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