翻訳|kibbutz
イスラエルにおける農業共同体の一形態。類似の共同体としてモシャブmoshav(非共産的農業協同体)があるが、キブツは全財産の集団所有、徹底した共同生活、子供の共同育成などを特色としている。1909年、東欧から移住してきたユダヤ人によって最初のキブツが誕生し、シオニズム運動とマルクス主義と青年運動との結合として展開されたキブツ運動によって発展した。1996年現在、その数は269、人口は12万2500人で、イスラエル全人口の2.13%となっている。一つのキブツの構成員は60人から2000人程度までで、一定していない。
1980年代までの典型的なキブツは次のようであった。土地は国有、経済活動は性に基づく分業が行われており、男性は農業部門(生産部門)で、女性はサービス部門(非生産部門)で主として働く。労働は、「労働に対する良心」によって支えられ、「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて」という共産主義の原理が文字どおり実行されている。総会が最高の決議機関であり、立法、行政、司法の権限を兼ね備えている。役職は構成員による持ち回り方式がとられ、特定の個人に権威が集中するのを避ける。構成員は共同の住居に住み、共同の食堂で食べ、すべて共同生活を送る。子供は生後一貫して両親とは別に育てられ、乳児院、幼児の家、保育所、幼稚園、小学校、高等学校で集団主義的な育成が行われる。したがって、キブツの家族には、共同の住居という特徴はなく、経済的機能も教育的機能もないところから、いわゆる「核家族」はキブツには存在しないとされ、家族研究上、論議をよんだ。しかし、子供のパーソナリティー形成の面では、概して理想的な教育が行われていることが社会人類学や予防精神病学の調査研究などで明らかにされており注目された。基本的にはその性格に変化はないが、1980年代ごろから農業だけでなく工業も導入され、その点ではキブツ社会の性格が変わってきているといわれる。
キブツはこれまで政界の要人を多く輩出し、イスラエル国家に対して貢献してきた点では評価される面もあるが、他方で、アラブ民族との抗争のなかで、国境近くの辺境の地において、その先兵としての役割を果たしてきた点では、その評価は困難であるとする見方もある。しかし、キブツはユートピア思想にもつながった一つの実験でもあるうえに、ユダヤ民族の歴史的経験に基づいて、既存の社会構造に対する否定態としての意味をもっており、家族および子供の教育にとっては、一つの未来像を示している点で、注目されるべき存在である。
[渡邊益男]
『M. E. SpiroChildren of the Kibbutz(1958, Harvard University Press)』▽『H・ダーリン・ドラブキン著、草刈善造訳『もう一つの社会キブツ』(1967・大成出版社)』▽『A・リブリッヒ著、樋口範子訳『キブツ その素顔――大地に帰ったユダヤ人の記録』(1993・ミルトス)』▽『L・リーグル他著、松浦利明・横川洋訳『キブツの危機と将来――協同組合的な経済・生活様式の変貌』(1996・食料・農業政策研究センター)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ヘブライ語で〈集団〉を意味し,イスラエル建国運動において形成された独特の農村形態をいう。それは,構成員間の完全な平等,相互責任,自己労働,個人所有の否定,生産・消費の共同性の原則に基づいて組織された共同体で,ふつう300~500人程度の規模で,なかには1000人を超すものもある。村の経営方針は総会で決定されるが,教育・文化活動,住宅問題,各個人の作業分担など日常の運営管理は,運営委員会で処理される。1909年ティベリアス(ガリラヤ)湖畔に建設されたのが最初で,80年現在,259村(11万人)を数え,輸出農産物の2/3を生産している。キブツは社会主義的諸原則に基づいて,パレスティナにユダヤ人の民族郷土を建設することを目的とし,そのために,食糧の安定供給,防衛活動,移民の受入れの面で先端的役割を果たすとともに,ユダヤ人の入植運動,シオニスト運動の中核的担い手であった。建国後も,政党,シオニスト機構,政府諸機関,軍部などへの人材供給源である。
現在,イスラエル経済の趨勢と生活水準の向上が誘因となって,キブツの工業化が著しい。だが,キブツの人口は,この工業化に見合うに十分な労働力を供給できなくなった。経済ユニットとしてのキブツの成功は,反面,外部からの雇用労働者を受け入れざるをえなくなり,自己労働すなわち雇用労働者の否定という,キブツ存立の原則に逆行する深刻な事態に直面している。
執筆者:児玉 昇
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イスラエルにみられる社会主義的村落共同体。数百人規模で資産や生産手段を共同体が一括管理し,内部では基本的に私財はなく,メンバーに必要なものは共同体によって提供される。パレスチナに移住したロシア系ユダヤ人グループを中心に20世紀初頭から建設され,ユダヤ国家イスラエル建国(1948年)後は,新移民の吸収,農地開発,国境防衛など国家的課題に重要な役割を果たした。近年,資本主義的競争原理と個人主義的傾向の受容が進行し,社会主義的平等原理は薄れつつある。1990年には270ほどのキブツに約12万5000人(国家総人口の2%強)が居住していたが,これをピークに若年層の離村のためキブツ人口は減少傾向にある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…運搬手段としては,イェリコ‐1ミサイル(射程500km),イェリコ‐2ミサイル(同1500km)などがある。
【経済・産業】
国土が狭く天然資源に乏しいという条件の下で国造りに取り組んだユダヤ人移住者たちは当初,キブツやモシャブmoshavと呼ばれる農村共同体を基礎に自給自足経済の確立に努めた。キブツとは土地・建物を含むすべての資産を共有し,生産・消費・育児などを共同化するという一種のコミューン組織であり,またモシャブとは各戸ごとに割り当てられた農地で家族経営を行うが,灌漑,収穫,貯蔵,出荷,購入などはすべて共同で行うという組合方式である。…
…すなわち,それはロシア支配下で1880年代以降激化したポグロム(ユダヤ人集団虐殺)を逃れてパレスティナを目ざす入植運動であり,さらに列強の承認のもとでこれをユダヤ人国家の建設という目標に結びつけようとするシオニズム運動の出発なのであった。キブツ(集団農場)が初めてティベリアス湖岸ウンム・ジュニー(のちのデガニヤ)につくられたのは,1909年である。こうして,多角的宗派紛争を操る東方問題的局面とは異なる構造をもつパレスティナ問題が,パレスティナという場の限定を伴いつつ新たに設定されることとなり,第1次世界大戦以降のパレスティナの歴史は,まさしくパレスティナ問題の歴史の中心舞台となるのである。…
※「キブツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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