イギリス出身のアメリカの文化人類学者。ケンブリッジ生まれ。1922年ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ入学。1925年学士号(自然科学)取得。1927年文化人類学に転身、ニュー・ブリテン島、ニューギニア島、バリ島などでフィールドワークを実施。1930年博士号取得。1930~1937年セント・ジョンズ・カレッジ名誉研究員。1936年『サモアの思春期』(1928)で知られる文化人類学者マーガレット・ミードと結婚。1939年アメリカへ移住、1956年帰化。1946~1947年ハーバード大学客員講師、1951年スタンフォード大学客員講師、1963~1964年バージン諸島のコミュニケーション研究所準ディレクター、1965~1972年ハワイのオーシャニック研究所準ディレクター、1972~1980年カリフォルニア大学サンタ・クルス校客員教授などを歴任。1962年統合失調症の研究でフリーダ・フロム・ライヒマン賞受賞。
ベートソンの研究射程は、人類学、精神医学、生物学(とくに遺伝と進化)、サイバネティックス、認識論など多岐にわたるが、一貫しているのは「関係をシステムととらえ、人間の思考や精神の様態を明らかにする」視座である。
人類学者としてはニューギニアのフィールドワークの成果として『ナベン』(1936)を出版。そこでは儀礼における役割の転換に着目し、「分裂生成(二者間で行われる何らかの行為によって、両者の間に感覚的なずれが生じること)」の概念を提出した。
アメリカの精神分析学者ジャーゲン・ロイシュJurgen Ruesch(1909―1995)との共著『精神のコミュニケーション』(1951)から『精神の生態学』(1972)へと至る過程で「ダブルバインド理論(二重拘束理論。異なる矛盾した命題によって、個人の態度決定が不可能になるという理論)」を提唱した。さらにはイルカのコミュニケーションにも関心を深め、そのほか学習理論や情報理論の分野でも活躍。晩年はエコロジカルな観点から文明批判を展開し、現代文明が自然環境に及ぼす非可逆的な影響を食い止めるためには既存の学問や諸研究を形成する観念体系に「柔軟性」が必要であると訴えた。死後、娘のキャサリンMary Catherine Bateson(1939―2021)が加筆した『天使のおそれ』(1987)、アンソロジー『聖なるユニティ』(1991)が出版された。
[織田竜也 2018年12月13日]
『グレゴリー・ベイトソン、メアリー・キャサリン・ベイトソン著、星川淳訳『天使のおそれ――聖なるもののエピステモロジー』新版(1992・青土社)』▽『G・ベイトソン、J・ロイシュ著、佐藤悦子、R・ボスバーグ訳『精神のコミュニケーション』(1995・新思索社)』▽『佐藤良明訳『精神の生態学』改訂版(2000・新思索社)』▽『Naven; A Survey of the Problems Suggested by a Composite Picture of the Culture of a New Guinea Tribe Drawn from Three Points of View(1965, Stanford University Press, Palo Alto)』▽『Rodney E. Donaldson ed.A Sacred Unity; Further Steps to an Ecology of Mind(1991, Cornelia & Michael Bessie Book, New York)』
イギリスの遺伝学者。ヨークシャー州ホイットビーに生まれる。ケンブリッジ大学卒業。卒業後3年の間にギボシムシの発生に関する研究を完成、その間二度アメリカに渡った。その後、中央アジアやエジプト、ヨーロッパ大陸に旅行し、1894年『変異研究資料』の大著を公刊し、この功によりFRS(Fellow of the Royal Society、王立協会会員)に推挙された。1895年ケンブリッジ大学に新設された遺伝学講座の最初の教授に就任したが、わずか2年後、その地位を弟子のパネットReginald Crundall Punnet(1875―1967)に譲り、新設のジョン・インネス園芸研究所の所長となった。遺伝学上の業績のおもなものとしては、メンデルの法則が多数の動植物においても真実なことを立証したこと、当時は複雑難解とされた多くの遺伝現象を在不在説により明快に説明したこと、伴性遺伝の理論的解釈、相引および相反現象の発見、体細胞分離の研究などがある。パネットとともに私財をなげうって、世界一流の遺伝学雑誌『Journal of Genetics』を創刊経営した。今日普通に使われている遺伝学の術語には彼の提唱によるものが多い。
[田島弥太郎]
アメリカの文化人類学者,精神医学者。イギリスのグランチェスターで,高名な遺伝学者ウィリアム・ベートソンの三男として生まれた。その名は遺伝学の祖グレゴール・メンデルにあやかってつけられたものという。ケンブリッジ大学で初め生物学を学んだが,のち社会人類学に転向,ニューブリテンやニューギニアでフィールドワークに携り,その際知り合ったM.ミードと1936年に結婚している(50年離婚)。40年アメリカに移り,56年帰化した。彼の業績は人間関係論,精神分裂病(統合失調症)論(ダブルバインド理論),進化論など多岐にわたるが,一貫してプロセスや関係を重視する方法に特色があり,現代思想におけるこのような立場の先駆者の一人といえる。その思想形成にはサイバネティックスやB.A.W.ラッセルのタイプ理論からの大きな影響が指摘されている。主著は《ナベン》(1936),《バリ島的性格》(1942),《コミュニケーション》(1951),《精神と自然》(1979)など。ほかに八つのフィルム作品もあって高い評価を得ている。
執筆者:佐藤 誠一
イギリスの遺伝学者。ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジ卒業。はじめ動物発生学を研究。のち変異現象に着目,ロシアまで旅行して調査。進化に関しては不連続変異説をとり,反ダーウィンの立場になる。メンデル法則再発見とともにそれを支持。ニワトリの鶏冠遺伝の研究から遺伝因子の存在・不存在説を提唱(1905),染色体遺伝因子説を批判したが,T.H.モーガンの研究室を訪れて以後はその意義を積極的に認めるようになった。〈遺伝学genetics〉という用語の造語者,生物統計学派批判者としても有名。
執筆者:鈴木 善次
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…彼らは行き会う男たちに甘え,……〉と,1788年1月のローマのカーニバルのようすを生き生きと描写している。このような祭儀の時空における女装・男装の例は世界各地に見られ,人類学者・民俗学者らによる報告・研究も数多く行われているが,たとえばイギリス生れの人類学者・精神病理学者G.ベートソンによるニューギニア・イアトムル族の〈ナベンNaven〉と呼ばれる行動の研究(《ナベン――三つの観点からひきだされたニューギニアのある部族文化の合成図が示す諸問題》1936)は,興味深い事例であるといってよい。ナベンは,初めて一人前の仕事をなしとげた若者(男)に対する祝福の儀礼などとして行われるが,そこでは女装・男装が重要な地位を占める。…
…遺伝学は生物界にみられるこれらすべての変異のよってきたる原因を遺伝物質と関連づけて究明する生物学の一分野である。〈genetics(遺伝学)〉という語をつくったW.ベートソン(1906)は遺伝学を〈遺伝と変異に関する科学〉と定義している。現在の遺伝学は細胞・個体・集団の各レベルについて,遺伝物質の複製・伝達・情報発現の機構を解明し,これらの知見に基づいて変異の生成過程を理解し,さらにはその将来を予測することを目指している。…
※「ベートソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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