ホデイダ(英語表記)Al-Hudaydah

デジタル大辞泉 「ホデイダ」の意味・読み・例文・類語

ホデイダ(Hodeida)

イエメン西部港湾都市。首都サヌアの西約145キロメートルに位置し、紅海に面する。19世紀半ば、オスマン帝国時代に港が築かれて発展。現在は同国第2の貿易港として知られる。アルフダイダー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホデイダ」の意味・わかりやすい解説

ホデイダ
Al-Hudaydah

フダイダともいう。イエメン西部,紅海に面し,ティハーマ海岸平野に位置する主要港。 15世紀から記録にみえるが,1520年代にティハーマ地方がオスマン帝国に占領されてから重要視された。 1918年までトルコに所属したが,第1次世界大戦後イギリスによってアシール地方の首長に割譲された。しかし 25年にイエメンに復帰。 34年アシール地方でイエメンの挑発による反乱が生じたため,サウジアラビア軍がホデイダを占領した。同年の条約で,アシール地方におけるサウジアラビアの主権を認める条件で,再びイエメンに復帰した。 61年ソ連の援助で港の北数 kmに1万t級の船舶数隻が停泊できる近代的な港湾設備が完成し,さらに中国などによってハイウェーが建設され,市の経済は一新した。港からの主要な輸出品は,良質のイエメンコーヒー綿花皮革毛皮,カート (軽い麻薬) などである。小さな繰綿工場がある。人口 15万 5110 (1986) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ホデイダ」の意味・わかりやすい解説

ホデイダ
al-Ḥudayda

イエメンの西部,紅海に面する港町。人口42万5000(2001)。首都サヌアから西南西約165kmにあり,高速自動車道で結ばれている。旧北イエメン最大の貿易港で綿花,生皮革,コーヒーの輸出が多い。1849年オスマン・トルコ領となり,それまで主港であったモカ(南方約170km)に代わる貿易港となった。1975年のスエズ運河再開以来,港湾設備もよく整えられてきたが立地条件は良くない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホデイダ」の意味・わかりやすい解説

ホデイダ
ほでいだ
Hodeida

アラビア半島南部、イエメン共和国西部、紅海沿岸にある港湾都市。アル・フダイダーAl-Hudaydahともいう。首都サヌアの西方145キロメートルに位置し、その外港となっている。人口24万6068(1993)、38万2400(2002推計)。1849年にオスマン帝国に占領されて以来、モカにかわる主要港として急速に発展した。外国領事館、船会社、貿易商社が並び、同国でもっとも近代的で活動的な都市である。コーヒー、皮革品、ナツメヤシなどを輸出し、織物、染色、皮なめしなどの工業が盛んである。旧市街は城壁によって囲まれ、内部には石造りの家が、外部にはストーク(市場)が迷路のように続く。

[原 隆一]

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百科事典マイペディア 「ホデイダ」の意味・わかりやすい解説

ホデイダ

イエメン西部,紅海沿岸の港湾都市。北東の首都サナアと道路で結ばれ,その外港となっている。織物,染色などの手工業があり,コーヒー,皮革,デーツなどを輸出する。1849年オスマン帝国,第1次大戦後英国が占領,1921年にイエメンに帰属した。29万8452人(1994)。
→関連項目モカ

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世界大百科事典(旧版)内のホデイダの言及

【サヌア】より

…シーア派の分派ザイド派を奉じる住民が多い。紅海に面する貿易港ホデイダとは高速自動車道で結ばれる。ヤークートの地理書によればサヌアには1世紀ころヒムヤル王国Ḥimyarの巨大なグムダーン城が建てられていたと記される。…

※「ホデイダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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