ボレル(読み)ぼれる(英語表記)Félix Edouard Emil Borel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボレル」の意味・わかりやすい解説

ボレル
ぼれる
Félix Edouard Emil Borel
(1871―1956)

フランスの数学者。測度論のボレル集合位相空間のハイネ‐ボレルの定理確率論のボレル‐カンテリの定理などで有名であるが、俗にボレル叢書(そうしょ)とよばれる一連書物で、結果的に集合論普及に大きく貢献した。思想的にはいわゆるフランス経験主義学派の有力者であったが、彼の無限の階列の研究も、準解析関数も、現在顧みると当初の期待ほど主流にならず、むしろ忘れられた感がある。確率論の著書も有名である。「10-6,10-15,10-50がそれぞれ個人的、社会的、宇宙的尺度で無視してよい確率の限界」という語は、よく引用される一つの標準である。彼は政治家でもあった。しかし彼の師であり先輩であり首相にもなったパンルベと比べると、その後継者といわれながら、たいへん保守的であり、力量も及ばなかった感じである。

一松 信]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボレル」の意味・わかりやすい解説

ボレル
Borel, Pétrus

[生]1809.6.28. リヨン
[没]1859.7.14. アルジェリア,モスタガネム
フランスの詩人,小説家。本名 Joseph Pierre Borel,のち Borel d'Hautérive。「狼人」 Lycanthropeと名のる。いわゆる小ロマン派の一人として,雄弁な反逆詩集ラプソディー』 Rhapsodies (1832) を著わし,次いで怪奇趣味に満ちた幻想小説集『シャンパベール』 Champavert,contes immoraux (33) ,『ピュチファール夫人』 Madame Putiphar (39) を書いた。生前は名を知られず,1846年アルジェリアに官吏の職を得たが,55年以後ぼろをまとってゴシック風の館にこもり生涯を終えた奇人。シュルレアリストたちによって評価された。

ボレル
Borel, (Félix-Édouard-Justin) Émile

[生]1871.1.7. センタフリク
[没]1956.2.3. パリ
フランスの数学者,政治家。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) の講師 (1896) 。パリ大学教授 (1909) 。関数論,確率論に多くの業績を残し,ボレル集合の導入で知られる。政治にも関心を示し,海軍大臣 (25~36) などもつとめた。第2次世界大戦中ビシー政権下で逮捕,投獄され,のちにレジスタンスに加わった。レジオン・ドヌール勲章 (50) ,第1回の国立科学研究所金賞 (55) などを受賞。著書『偶然』『空間と時間』は邦訳が刊行されている。

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