パンルベ(英語表記)Paul Painlevé

改訂新版 世界大百科事典 「パンルベ」の意味・わかりやすい解説

パンルベ
Paul Painlevé
生没年:1863-1933

フランス数学者政治家。パリに生まれパリに没す。エコール・ノルマル・シュペリウールで数学を専攻し,1886年卒業。ゲッティンゲン大学でK.H.A.シュワルツやF.クラインに学びながら学位論文調和関数の変換と直交する三曲面の系》を完成した(1887)。同年リール大学教授,92年からはパリ大学エコール・ポリテクニクで教え,96年にはコレージュ・ド・フランス教授,1900年に科学アカデミーの大賞を受け,また同アカデミー会員に選定された。彼の最大の業績は〈代数的常微分方程式の解の特異性の研究〉であった。とくに,2階の常微分方程式y″=fxyy′)において,fxyy′について有理関数である場合に,この方程式の解がすべて1価関数であるものを特定したことは有名である。これは《Acta mathematica》第25巻(1900)に発表された。上のような方程式の例としてy″=6y2xがあり,このような1価解yx)を〈パンルベの超越関数〉と呼ぶことがある。10年以降下院議員となり,社会共和党に属し,軍事通として知られた。第1次大戦のときには数度内閣に列し,17年と25年には首相にもなった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パンルベ」の意味・わかりやすい解説

パンルベ
ぱんるべ
Paul Painlevé
(1863―1933)

フランスの政治家。著名な数学、物理学者で、微分方程式、解析関数の分野で業績をあげ、流体力学の研究を通じて航空技術の発展に貢献した。1910年科学アカデミー会員となる。同年政界に入り、代議士に選ばれ、穏和社会主義者の社会共和派に属した。第一次世界大戦中、戦力増強のために科学者の動員にあたり、陸相ついで首相の座について戦争指導に尽力。大戦後左翼連合の一方を担って1925年再度首相となり、ロカルノ条約を締結(辞任後正式調印)。辞職後ブリアン、エリオポアンカレの諸内閣で陸相を務めた。

石原 司]

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百科事典マイペディア 「パンルベ」の意味・わかりやすい解説

パンルベ

フランスの数学者,政治家。パリ大学,エコール・ポリテクニク等の教授を歴任。微分方程式,関数論等を研究。1910年より社会共和党の下院議員となり,首相2度,陸・空・文・蔵相,下院議長などを歴任した。

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世界大百科事典(旧版)内のパンルベの言及

【微分方程式】より

… 非線形微分方程式においては,すでに述べたように動く分岐点があらわれるので解の性質の研究はきわめてむずかしくなる。これについてパンルベPaul Painlevé(1863‐1933)は,(a)1階微分方程式の動く分岐点はすべて代数分岐点である,(b)動く分岐点をもたない1階微分方程式はすべてリッカティ型の微分方程式に帰着できる,という二つの重要な結果を証明した。さらに彼は2階の微分方程式が動く分岐点をもたない条件を研究し,そのようなものは本質的に6個の標準形に帰着できることを示した。…

【三体問題】より

…この新運動方程式で一つでも積分が見いだせれば,それはオイラー積分とは独立な新積分となるわけである。 しかるに19世紀末にブルンスH.Bruns(1848‐1919),P.パンルベ,H.J.ポアンカレらは,積分の形に制約を付したうえでそのような新積分が存在しないことを証明した。この結果は,たとえ新積分が存在してもそれは解析的にきわめて複雑な形であることを示唆したので,三体問題研究の流れを変えることになった。…

【微分方程式】より

… 非線形微分方程式においては,すでに述べたように動く分岐点があらわれるので解の性質の研究はきわめてむずかしくなる。これについてパンルベPaul Painlevé(1863‐1933)は,(a)1階微分方程式の動く分岐点はすべて代数分岐点である,(b)動く分岐点をもたない1階微分方程式はすべてリッカティ型の微分方程式に帰着できる,という二つの重要な結果を証明した。さらに彼は2階の微分方程式が動く分岐点をもたない条件を研究し,そのようなものは本質的に6個の標準形に帰着できることを示した。…

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