日本大百科全書(ニッポニカ) 「食糧問題」の意味・わかりやすい解説
食糧問題
しょくりょうもんだい
狭義の食糧問題とは食糧の供給が需要に追い付かない状態をいい、需要に対して供給過剰の農業問題と対立をなすことばであるが、ここでは広く人間と食糧の関係について、いくつかの角度からみることにする。
[唯是康彦]
人間と食糧
(1)生態系と食糧生産 生態系は太陽エネルギーを一方的に流すことによって、生物と環境との間に地化学的循環を展開している。生物は、この過程で光合成によって無機物から栄養をつくる生産者、つまり緑色植物のような独立栄養構成要素と、それを利用し、再構成し、分解する従属栄養構成要素とから成り立っている。後者は、他の生物を食べる動物のような大型消費者と、死物を分解するバクテリアや菌類のような微小消費者とに分けられる。
生物の群落は環境と接触するとともに、相互に交渉しているが、この関係は全体として平衡保持力をもっており、事象の変化を緩和する傾向がある。これをホメオスタシスhomeostasisの機構というが、これはダイナミックなものであり、その安定性を維持する要因に一つでも過不足があれば、均衡は崩壊する。
(2)農法の展開 これらの諸要因の作用は他の生態的等価要因の移植によって代償されるものであり、人類は大型消費者のなかの雑食動物として、自己に有利な生物を移植することによって農業を確立してきた。その限りでは、農業は人類の自然順応的対応といえるが、生態系本来の流れに逆らって、人類中心的な食物連鎖をつくりあげてきた限りでは、農業はきわめて反自然的な人為的対応であるといえる。
移植には、移植の場と移植される生物とが必要であるが、前者は農地であり、後者は作物である。農地は、森林の伐採から砂漠の緑化に至るまで、面積の拡大努力が続けられるとともに、耕作方法や肥培管理にみるような農地の利用法がくふうされてきた。他方、作物は、品種の選別と改良とが進められ、多様化するとともに、単位面積当り収量の高い品種が、肥料、農薬、機械などの農業インプットの増加と関連しながら開発され、いまや緑の革命の原動力とさえなっているが、今後はバイオテクノロジー(生物工学)がこの方向をさらに発展させるに違いない。なお、農法の全分野にわたって機械による省力化が進展してきている。
(3)文明との関係 農業の発見、とくに米麦、トウモロコシなどのイネ科植物の栽培によって毎年の収穫が安定し、貯蔵も可能になったので、人類はもはや食物を求めて山野を跋渉(ばっしょう)する必要もなく、栄養が改善されて若死にも少なくなった。その結果、人類は物事を考えたり、食糧生産以外の分野へ活動を拡張する余裕ができてきたから、技術を開発し、都市を築き、文明を開花させることに成功した。
その反面、人類は食糧生産の地位を低下させ、その成立原理を忘れ、あるいは他の分野の活動原理に支配され、しばしば生態系の均衡を乱す結果に陥った。森林の乱伐、家畜の過放牧、魚類の乱獲はもとより、土壌侵食、水不足、塩害、薬害、大気汚染などは、人類の諸活動の結果なのであり、それらはすべて食糧生産に重大な影響を与える。まさに「文明は荒野を残す」といわれるゆえんである。
(4)危機論の意義 文明が食糧生産に与える衝撃のうち、これまでにもっとも大きかったものは人口増加である。18世紀の末、人口が増加していたヨーロッパにおいて、マルサスがこのことを心配して『人口論』An Essay on the Principle of Population(1798)を著した。この問題は、19世紀になって、新大陸への大量移民とそこからの食糧の大量輸入、さらにはヨーロッパ農法の三圃(さんぽ)制から四圃制への進歩などによって解決された。
しかし、19世紀の末、アメリカの開拓が西海岸に達し、世界にはもはやフロンティアが存在しないという認識が広まると、小麦消費の5分の4を輸入していたイギリスでは、クルックスSir William Crookesが『世界の小麦問題』World Wheat Problem(1899)を著して、この点を指摘し、化学肥料による単位面積当り収量の増加を提言した。これが20世紀に入って問題はあるにしろ、とりあえずは過剰生産に陥るほどの成功を収めた。危機論はこのように、早めに警告を発し、その解決を促進するところに意義がある。
[唯是康彦]
世界の食糧事情
(1)成長の限界 栄養が改善され、公衆衛生が普及し、医学・薬学が進歩してくると、人類の死亡率が低下してくるから、これにあわせて出生率を抑制しない限り、自然増加によって人口爆発が生ずる。第二次世界大戦後の発展途上国がまさにこれであり、そのうえ、先進国を含めて世界全体が経済開発に邁進(まいしん)しているから、地球が有限である以上、長期的には一方で食糧、エネルギー、資源が不足し、他方で汚染、環境破壊が進行する可能性が出てきた。
この点に着目して警告を発したのが、ローマ・クラブの「人類の危機」レポート『成長の限界』(1972)である。その後、このレポートはいろいろの角度から批判されているが、20世紀後半の人類に地球レベルの問題提起を行ったことは、評価されてよい点である。
(2)地球の潜在生産力 人口増加などによって増加傾向をたどる食糧消費に対して、これをまかなうだけの食糧生産は可能であろうか。リンネマンHans Linnemann他著『21世紀への世界食糧計画』は、食糧に関する地球の潜在生産力の推定を行っている。世界の耕地は現在14億ヘクタール強あるが、潜在可耕地は約37億ヘクタール、土地条件で修正すると約19億ヘクタールといわれる。
ここに米麦のような標準作物を植えたとして、その光合成能力と気象条件とから炭水化物の生産量が算定できる。これを穀物重量に換算し、それに現在の穀物耕地率65%を掛けると約320億トンという、現在の世界の年間穀物生産量約16億トンの20倍の生産量が算出される。これが現時点において考えられる地球の潜在生産力に関する一つの推定値である。
(3)食糧需給 このように、地球の潜在生産力は机上の計算では膨大なものと考えられているが、この潜在性を現実の食糧生産として顕在化するためには、第一に技術の開発・普及をしなくてはならない。第二にこの技術を実現するためにエネルギーや資源を確保しなくてはならない。第三にこの技術によって干渉を受ける生態系を安定させなくてはならない。これらの努力は大きな資本と長い時間を要することなので、急激な食糧増産は望めない。他方、人口増加と生活水準の向上との抑制はけっして容易なことではないから、ほうっておけば、消費は増加して生産を上回り、食糧は不足する可能性がある。ここに世界の食糧危機といわれるものの本質がある。
この危機はすでに現時点の食糧貿易にその片鱗(へんりん)を現している。穀物の世界貿易量は2005年前後3年を平均すると約2億9000万トン、輸出は増産の困難さを反映して、アメリカが約30%、カナダ、オーストラリア、フランス、アルゼンチン、タイあわせて約39%という寡占状態を示している。これに対して、生活水準向上のため、従来の西側先進国に加えて、1970年代から、工業化した旧ソ連・東欧、オイル・ダラーを握ったOPEC(オペック)(石油輸出国機構)諸国、成長政策に転じた中国、インドが輸入を急増させたし、人口増加のため、発展途上国が輸入や食糧援助の受け入れを拡大した。
(4)分配問題 輸出国に対する輸入国の増加は、一方で食糧を国際政治の武器にしようとするアメリカの食糧戦略を生み、他方で南アジアから西アフリカにかけて4億人とも6億人ともいわれる飢餓人口をもたらした。しかし、世界の人口1人当りの穀物生産量は2005年で約350キログラムで、日本の食用と飼料用とをあわせた1人当り穀物消費量280キログラムを上回っているから、分配が平等なら世界に飢餓は存在しないはずである。不十分な開発や政治対立のために食糧の国際的分配が阻害されているばかりでなく、さらに不備な流通機構や異常気象が、それぞれ国際市場の分配機能を低下させているのである。
以上を空間的分配問題とすれば、いま一つ世代間の時間的分配問題が存在する。地球の巨大な潜在生産力を仮定すれば、それはむしろ現在の世代が次世代のために現存資源を食糧増産へ適正配分する保証がないというところからくる不安である。
いずれの分配問題にしても、いまや個人や国家が単独に解決できるものではない。1974年11月ローマで国連主催の世界食糧会議が開かれ、従来の国連食糧農業機関に加えて、同年世界食糧理事会、1977年国際農業開発基金が設立されたが、世界食糧備蓄制度の失敗にみるように、各国間の利害が対立し、世界貿易機関による国際協力はかならずしも順調に進んでいない。
[唯是康彦]
日本の食糧事情
(1)食生活の近代化 年齢、性、職業などが一定なら、その人にとって熱量、タンパク、脂肪、微量栄養素の理想的な水準はただ一組しかないが、一方、食糧は種類が多く、いずれも量の多少にかかわらず、きわめて多種類の栄養を含んでいるから、理想的栄養を充足する食糧の組合せは無数にあり、特定の食生活形態が絶対的に優位であるということはない。栄養学的には、バランスさえよければ、どの形態でもよいのであって、食生活を特定するものには習慣のほかに経済的要因がある。
経済水準が低い社会では、その地域の生産物による低費用のメニューが選択されるが、経済が発展し、社会が豊かになってくると、食生活は文化的要因を重視して多様化してくる。これを食生活の近代化というが、日本の場合、明治維新以来、社会の近代化を洋風化によって遂行してきた関係上、食生活の近代化も食生活の洋風化という色彩を帯び、第二次世界大戦後とくにこの傾向が強まった。
(2)農業問題 経済発展は食生活を近代化する以上に他の分野を近代化するが、この結果、所得上昇につれて家計費に占める飲食費の割合、いわゆるエンゲル係数は低下する(エンゲルの法則)から、食糧生産部門の成長は他部門に比べて相対的に縮小してゆく。したがって、その縮小にあわせて全産業に占める就業者割合を減少させないことには、1人当り農業所得を他部門と対等にすることはできない。
他方、経済発展は初期段階において工業化に必要な労働や資本を農業に仰がねばならなかったため、農業の技術進歩に力点を置いた関係上、先進国における農業生産力はきわめて大きなものがある。その結果、就業者が適正水準以上に農業に滞留すれば、農業は過剰生産に陥って農産物価格を暴落させる。これを防ぐため、日本の米のように、政府が価格を一定水準に維持すれば、過剰在庫が累積するので、作付制限をしなくてはならない。これが発展途上国の食糧問題に対する先進国の農業問題といわれるものである。
(3)基本法農政 1961年(昭和36)に成立した農業基本法は、日本の高度経済成長期における農業の方針を示したものであるが、そこでは、減少する農業就業人口によって経営規模を拡大し、需要の伸びる農産物を選んでつくり、他産業に負けないだけの1人当り所得をあげるという意味で「選択的拡大」が標語になった。
しかし、食生活の洋風化の結果、需要の伸びる農産物は日本の風土になじみの薄い畑作物および畜産物であったから、飼料輸入によって効率生産を行った中小家畜を除けば、輸入制限によって農業保護を行うか、消費者物価対策のため、国内生産を断念して国内消費の大部分を海外からの供給に依存するか、いずれかの方向を採用することになった。そのうえ、農業からの労働流出は若年層と兼業農家に限られ、不十分であったから、農業所得は相対的に低下し、これを防ぐため、食糧管理制度を利用して、第二次世界大戦中からあった米の直接統制を戦後も持続せざるをえなかった。しかし、それも行き詰まって、1994年(平成6)新食糧法(「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」)で間接統制に移行した。
(4)食糧自給率 農業保護のためには輸入制限によって国内価格を高く維持することが望まれるし、食生活を豊かにするためには国際的に安い食糧を輸入することが好ましいから、日本の食糧自給率は、比率の高いものと低いものとに二極分解することになった。しかし、自給率の高い畜産物は自給率の低い濃厚飼料に頼っており、食用と飼料用とを合計した穀物自給率は3分の1にすぎない。さらに、第三次国連海洋法会議以来、各国が200海里経済水域を宣言し始めたため、2000年で世界の養殖を除く総水揚げ量約9000万トンのうち約1000万トンを占める日本の水産業も制約を受けることになった。
このように、日本の食糧は大きく世界に依存することになり、貿易自由化を通して国際関係を深める点では前進したが、それだけ世界の諸変動を直接受けやすい構造になってきたので、食糧備蓄体制を整備し、農業経営の体質を強化し、食糧の安全保障に関する国民的理解を高めることが必要である。
[唯是康彦]
『ドネラ・H・メドウズ他著、大来佐武郎監訳『成長の限界――ローマ・クラブ「人類の危機」レポート』(1972・ダイヤモンド社)』▽『H・リンネマン他著、唯是康彦監訳『21世紀への世界食糧計画――MOIRAモデルによる予測』(1977・東洋経済新報社)』▽『レスター・R・ブラウン著、唯是康彦訳『地球の復活』(1983・東洋経済新報社)』▽『馬場啓之助・唯是康彦著『日本農業読本』第7版(1986・東洋経済新報社)』▽『食糧問題国民会議編『環境破壊と農業の復権』(1991・亜紀書房)』▽『ウェイン・ロバーツ著、久保儀明訳『食糧が危ない――安全で豊かな食生活を考える』(2009・青土社)』