ポトシ銀山(読み)ぽとしぎんざん(英語表記)Potosí Silver Mine

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポトシ銀山」の意味・わかりやすい解説

ポトシ銀山
ぽとしぎんざん
Potosí Silver Mine

1545年に発見されたアメリカ大陸最大の銀鉱山。現在のボリビア南部に位置し、かつてはペルー副王領に属した。ペルー副王トレドによる三大政策、すなわち水銀精錬法の導入(1574)、ワンカベリ水銀鉱山の購入と独占(1570)、ミタ制という先住民の徴用制(1720廃止)のもとで、1570年代中葉以降「ポトシ銀山時代」ともよばれる一時代を画した。16世紀末ポトシ市の人口は16万に及び、メキシコ市をしのぐ新世界最大の都市であった。またペルー副王領産の銀はスペイン本国に送られる植民地産貴金属の3分の2以上を占めるようになり、初期の金、銀比率を逆転させ、ついには銀の比率を99%にも高めた。このような莫大(ばくだい)な銀の流入ヨーロッパに1世紀以上にわたる物価騰貴(価格革命)をもたらしたが、それに伴う企業者利潤の増大資本蓄積を容易にして、きたるべき資本主義体制への移行の基盤を築いた。

[原田金一郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポトシ銀山」の意味・わかりやすい解説

ポトシ銀山
ポトシぎんざん
Potosí

ボリビア南西端,ポトシにある銀山。 1545年先住民 (インディオ) により銀鉱が発見され,翌年ポトシが建設されてからスペイン人による本格的採掘が開始された。 48年には銀鉱とリマ港とを結ぶ通商路上にラパスが建設され,商業の中心として急速に発展した。特に 72年には水銀アマルガム法の採用により低品位鉱の利用が可能となり,74年以降ミタ制度 (インディオの成人男子を7年おきに1年間鉱山労働させる制度) の実施に伴い労働力が確保されたことから,産出銀量は急増し,1640年頃まで高水準を保った。その後は洪水,労働力の減少などから次第に衰退していったが,16世紀から 19世紀なかばにかけ,毎年約 5000万ドル以上の銀を産出し,16~17世紀のヨーロッパにおいて「価格革命」を引起す一原動力となった。

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