日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポルケ」の意味・わかりやすい解説
ポルケ
ぽるけ
Sigmar Polke
(1941―2010)
旧チェコスロバキア生まれのドイツの画家。作品は、雑誌などの挿絵から古今の名画に至るまでの、あらゆるイメージが多層的に重なり合っている点を特色とする。
1953年、家族とともに旧西ドイツに亡命、デュッセルドルフに住む。1959年に同地でステンドグラス制作の修業を積んだあと、1961~1967年同地の国立美術アカデミーで学ぶ。ゲルハルト・リヒターやコンラート・リュークKonrad Lueg(1939―1996、後にコンラート・フィッシャーFischerと改名)とはアカデミーで同じ教室の出身であり、1963年にはこの2人と「資本主義リアリズム」を標榜、協同でパフォーマンス作品『ポップのある生活――資本主義リアリズムのための示威行動』(1963)などを発表する。
1965年ごろから、まず雑誌の切り抜きなど手近なところにあるイメージを引用した絵画作品(『ガールフレンドたち』(1965)など)を発表する。いずれの作品もマス・メディア上のイメージを、俗っぽさや安っぽさを誇張しつつ描いたものだった。この点で、同じころやはり切り抜いた写真をぶれさせたり、ぼかしたりしながら絵画として描いていたリヒター同様、ポルケもアメリカのポップ・アートの影響から出発している。
とはいえ「本家」アメリカのポップ・アートとポルケでは、大きく性格を違えている。たとえば印刷されたイメージの網点を強調して描く手法は、「本家」のロイ・リクテンスタインを思い起こさせるが、リクテンスタインが網点を型紙などを用いて機械的に描いているのに対して、ポルケは執拗にそれを手描きする。リクテンスタインが機械的な網点の処理によって、実際にコミックスの1コマを拡大したとき以上に、明快で、堂々とした印象を画面に与えるのに対して、ポルケの描く不揃いな点は逆に画面をぼやけさせ、さらに不安定な、いまにも消えてしまいそうなものとして現れる。ポルケの作品が、陽気なイメージを描いているときでも見る者の不安をかき立てるのは、一つにはこのためである。
いまにも消えそうな印象、あるいは見る者の不安をかき立てるような得体の知れなさは、以後のポルケの作品にも一貫している。そうした特質は、作品に以下の二つの要素が加わることによってさらに強まった。
1960年代後半に付け加えられた要素は、特殊な材質の絵の具や支持体(布、紙、板など絵画を支える材料)である。絵の具は鉱物からできており、多かれ少なかれ人体には有害な物質であるが、ポルケはとくに毒性の強い絵の具を、あるいは有害物質をそのまま塗る。文字どおり「毒々しい色」が画面を彩(いろど)るのである。さらに彼は、それらの絵の具が起こす化学反応を、そのまま自分の絵に取り込む。1986年のベネチア・ビエンナーレで最高賞の金獅子賞を受けた作品群「エタノール」は、湿度や温度によって色が変化するというものであった。また支持体も、安っぽい柄がプリントされた布地のほか、半透明のラテックスなど、かたちの定まらない印象を与えるものが用いられた。
さらに付け加えられた要素は、古い名画や本の挿絵からの引用である。これらの引用は日常生活におけるさまざまな場面の引用と自在に混ぜて用いられるため、できあがった一つの作品の意味するところを特定するのは難しい。それでも、数多くの作品を見れば傾向がみえてくる。多様な物質の使用や化学変化への嗜好、そして古今の文化からの自在な引用、ポルケはこの二重の意味で「絵画の錬金術師」とよばれたが、実際に錬金術やそれに伴うオカルティズムに傾倒した。その作品には錬金術の場面そのものや、錬金術師たちがあがめたヘルメス神、あるいは悪魔などが姿を現しており、さらには、どこまで本気かはわからないにしても、『なにか高次の存在が、自分に右上隅を黒く塗れ、と命じている』(1969)という作品まで制作された。
[林 卓行]