ポートマン(その他表記)Portman, Natalie

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポートマン」の意味・わかりやすい解説

ポートマン
Portman, Natalie

[生]1981.6.9. エルサレム
イスラエル出身のアメリカ合衆国の女優。母親はアメリカ人,父親はイスラエル人で,1984年アメリカへ移住。モデルから女優へと転じた。『レオン』Léon(1994)で映画デビュー。その後は有名監督作品でキャリアを積む。1999年ジョージ・ルーカス監督の『スターウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』Star Wars: Episode I-The Phantom Menaceに出演,シリーズ続編 2編(2002,2005)でも同じ役を演じた。三部作はたいへんな興行成績を記録し,ポートマンはスターの座を確立した。さらに仕事をしながらハーバード大学で心理学を専攻,2003年に学士号を取得した。マイク・ニコルズ監督の『クローサー』Closer(2004)ではゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞。引き続き多様なジャンルの作品に出演し,芸域の広さを証明する。オムニバス映画『ニューヨーク,アイラブユー』New York, I Love You(2009)の一部を監督し,出演者としても加わった。『ブラック・スワン』Black Swan(2010)で主役バレリーナ熱演アカデミー賞主演女優賞に輝いた。

ポートマン
Portman, Anton L. C.

江戸時代末期から明治維新期の駐日アメリカ外交官オランダ生れで,嘉永6 (1853) 年ペリー来航の際,オランダ語通訳官として来日日米和親条約起草に従事し,帰国して万延元年遣米使節迎接委員をつとめた。文久1 (61) 年 H.ヒュースケン後任として再び来日,アメリカ公使書記官となった。慶応1 (65) 年4月代理公使。同年9月条約勅許を要求する四国連合艦隊の兵庫沖出動の際,列国と協調し,幕府権力の正統性を支持した。また同年に発生したアメリカ商船『フィーパン』号の長州藩への武器密輸援助事件では親幕的処理を行なった。 R.バン・ボールクンバーグが公使に着任してから書記官に戻ったが,戊辰戦争に際しては終局まで旧幕府の勝利を信じた。老中小笠原長行から同3年末に獲得した江戸-横浜間鉄道敷設免許状の承認を明治新政府に要求し,拒絶されて外交問題を引起した。

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朝日日本歴史人物事典 「ポートマン」の解説

ポートマン

生年:生没年不詳
幕末のアメリカのオランダ人外交官。1853年5月,上海でアメリカ遣日使節ペリーにオランダ語通訳として雇われ,同年6月3日(7月8日)に来日。日米和親条約のオランダ語草案を作成し,翌年冬の条約交渉に立ち会う。文久1年10月(1861年11月)駐日アメリカ公使館書記官に任命され,プルーイン第2代駐日公使の賜暇帰国の際に代理公使を務める(慶応1(1865)年4月~同2年6月)。慶応3年12月23日(1868年1月17日),江戸―横浜間の鉄道建設権益を得るのに成功したが,実現には至らなかった。<参考文献>S.E.モリソン《Old Bruin》,田中時彦『明治維新の政局と鉄道建設』

(内海孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ポートマン」の解説

ポートマン Portman, A.L.C.

?-? アメリカの外交官。
嘉永(かえい)6年(1853)のペリーの日本来航でオランダ語通訳をつとめる。翌安政元年日米和親条約のオランダ語案を作成する。文久元年駐日公使館書記官,慶応元年代理公使。幕府が調印した修好通商条約の勅許を要求する四国連合艦隊の兵庫沖会談に参加した。オランダ生まれ。

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