マスペロ(読み)ますぺろ(英語表記)Gaston Maspero

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マスペロ」の意味・わかりやすい解説

マスペロ(Gaston Maspero)
ますぺろ
Gaston Maspero
(1846―1916)

フランスエジプト学者。パリに生まれる。23歳でエコール・プラティク・デ・オート・デチュード(高等技術訓練学校)の研究部長、1874年からコレージュ・ド・フランスの教授就任カイロ博物館(エジプト博物館)の管理・充実に尽力。墳墓間仕切り壁に彫られた膨大な象形文字(ヒエログリフ)テキストの複写を行い、テーベメンフィスサッカラなどの発掘・研究に従事した。古代エジプトの歴史、碑刻文、神話考古学などの著作が多数あり、なかでも『カイロ博物館総カタログ』(全50巻、死後刊行)および『神話学・考古学の研究』(全8巻)は有名である。エジプト学の礎石的な研究諸成果は高く評価されている。

石澤良昭


マスペロ(Henri Maspero)
ますぺろ
Henri Maspero
(1883―1945)

フランスの東洋学者。とくに中国の宗教・歴史の専門家。パリ生まれ。エジプト学者ガストン・マスペロの子息。1911年ハノイのフランス極東学院教授、20年コレージュ・ド・フランス教授に昇任。東南アジアの諸言語、仏教、道教、中国史など幅広くアジアの言語・文化を研究した。なかでも『古代中国』(1927)は、紀元前3世紀までの歴史上の新しい問題を指摘した名著といわれている。ベトナム漢籍史料を駆使した安南王朝史、音韻の問題、山岳民族の習俗などについての論文を多数『フランス極東学院紀要(BEFEO)』に掲載した。第二次世界大戦の末期、ドイツ軍に捕らわれドイツ東部のブーヘンワルト強制収容所で死去。28年(昭和3)来日し、30年まで日仏会館の館長を務めた。

[石澤良昭]

『川勝義雄訳『道教』(平凡社・東洋文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「マスペロ」の意味・わかりやすい解説

マスペロ
Henri Maspero
生没年:1883-1945

フランスの中国学者。エジプト学の大家ガストン・マスペロの子。エジプト学を志したのち,中国学に転じ,ハノイの極東学院の研究員,ついで教授となった。1920年に,コレージュ・ド・フランスの中国語学文学講座の教授に就任,東京の日仏会館長をも務めた。第2次世界大戦の末期,息子がレジスタンスの秘密組織に属していたため,ドイツ軍に捕らわれ,ブーヘンワルトの収容所で悲惨な最期を遂げた。主著《古代中国》のほか,中国の宗教,道教,歴史研究の3冊からなる《遺稿》につづき,《道教と中国宗教》が出版された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マスペロ」の意味・わかりやすい解説

マスペロ
Maspero, Gaston Camille Charles

[生]1846.6.23. パリ
[没]1916.6.30. パリ
フランスの考古学者,エジプト学者。 1880年エジプトにおもむき,翌年 A.マリエットの後任として考古局長兼カイロ博物館長に就任,エジプトの文化財行政に尽した。エジプトの歴史,宗教,考古学に関するすぐれた研究を残し,ことにサッカラのピラミッドの調査や,ピラミッド・テキストの発見で知られている。主著『古代オリエント史』 Histoire ancienne des peuples de l'Orient Classique (3巻,1895~97) ,『エジプトの神話および考古学研究』 Études de mythologie et d'archéologie égyptiennes (8巻,93~1916) 。

マスペロ
Maspero, Henri

[生]1883.12.15. パリ
[没]1945.3.17. ブヘンワルト収容所
フランスの中国学者。 G.マスペロの子。 É.シャバンヌに教えを受け,のちハノイの極東学院で研究に従事。 1920年コレージュ・ド・フランスの教授となり,中国語学,文学の講座を担当。一時日仏会館館長として来日。第2次世界大戦中パリでドイツ軍に捕えられ,戦争末期にドイツ軍捕虜収容所で死亡。中国古代史や仏教,道教など宗教史の研究,あるいはベトナム史の研究を行なった。主著『古代中国』 La Chine antique (1927) ,『中国の宗教と歴史』 Mélanges posthumes sur les religions et l'histoire de la Chine (3巻,50) 。

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百科事典マイペディア 「マスペロ」の意味・わかりやすい解説

マスペロ

フランスの中国学者。G.マスペロの子。パリの東洋語学校卒。1908年からハノイ極東学院で中国,ベトナムの言語と歴史を研究,1911年からその教授。師シャバンヌの没後(1918年),コレージュ・ド・フランスの教授。1928年―1930年日仏会館長として在日。1944年ナチスの強制収容所に入れられ,そこで病没。専攻は中国古代史,思想史,言語史。著書《中国古代史》《道教》など。

マスペロ

フランスの考古学者。古代エジプトを研究,コレージュ・ド・フランスの教授を経て1880年エジプトに派遣され,カイロに考古学研究所を設立,のちカイロの古代遺物管理庁長官を務めた。サッカラ等のピラミッドを調査,初めて玄室に入りミイラの棺をあけるなど,古代エジプト研究に大きく貢献。中国学者H.マスペロの父。
→関連項目マスペロ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マスペロ」の解説

マスペロ
Henri Maspero

1883~1945

フランスの東洋学者。中国古代史,宗教史,ベトナム史が専攻。ハノイ極東学院教授,のちコレージ・ド・フランス教授。ドイツ軍に捕殺された。著書『古代中国』(1927年)ほか。

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旺文社世界史事典 三訂版 「マスペロ」の解説

マスペロ
Gaston Maspero

1846〜1916
フランスの考古学者
エジプト古代学を研究し,フランス政府の委嘱 (いしよく) でカイロ考古学研究所を設立した。

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367日誕生日大事典 「マスペロ」の解説

マスペロ

生年月日:1883年12月15日
フランスの中国学者
1945年没

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世界大百科事典(旧版)内のマスペロの言及

【中国神話】より

…こうして神話は経典のなかに埋没して失われ,中国は神話なき国とされた。その経典のなかに,埋没した神話を発掘してみせたのは,H.マスペロの《書経中の神話》(中国訳は馮阮君,1936)である。それで中国の神話研究には,経書の研究を欠くことはできない。…

※「マスペロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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