ミイラ(読み)みいら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミイラ」の意味・わかりやすい解説

ミイラ
みいら

天然または人工によって保存できる状態になっている死体のこと。一般に人体をさすが、ほかの動物のものをもいう。中国の馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)から発掘されたミイラのように皮膚や筋肉に柔軟性が残っている軟死体もあるが、一般には腐敗する前に死体の水分をなんらかの方法で乾燥させたものがミイラである。一方、屍蝋(しろう)とよび、水中または湿潤の土中で死体の脂肪が化学変化をおこし一種の鹸化(けんか)物となることにより腐りにくくなった死体もあるが、この屍蝋の皮膚は発掘すると黒っぽく変色したり破れたり、におうので、ミイラとして扱っていいかどうかの疑問が残るが、広義にはミイラのなかに加えてよかろう。

[深作光貞]

ミイラの語源

ミイラにあたる外国語は、マミイ(英語、mummy)、モミ(フランス語、momie)、モミア(スペイン語、momia)、ムミイエ(ドイツ語、Mumie)などで、いずれも瀝青(れきせい)(天然アスファルト)を使用したものを意味するアラビア語の「ムミアイ」から派生したものである。ところが、日本語「ミイラ(木乃伊)」はこの系統からの輸入語でなく、没薬(もつやく)「ミルラ」のなまったものである。瀝青もミルラも古代エジプトでミイラ作りに使用されたとされている。ヨーロッパでは中世から18世紀にかけて、ミルラをふんだんに使ってつくったエジプトのミイラが鎮痛剤、強壮剤として珍重され、その断片や粉末が薬剤店でも売られていた。日本にも17世紀中ごろからオランダ船などで薬としてミイラ(ミルラ)が輸入されて、それが200年近く続いた。高価な薬の原料をつきとめているうち、それが乾燥した死体であることがわかり、それ以来「ミイラ」は、薬のミルラでなく乾燥した死体を意味するものとなった。

[深作光貞]

世界の各種のミイラ

ミイラ作りの風習は、世界の五大陸に広く分布している。古今東西を問わず、人間は生前に自分たちと関係深かった人の死を愛惜して追憶するが、腐敗、解体する遺体には恐怖と嫌悪感を覚える。いわば、「保存」と「破壊」の二極があるわけで、日本の火葬方式では、腐る遺体は破壊し、遺骨はたいせつに保存する。しかし、遺体を破壊せず腐らせずに保存できるようにくふうしたのが、ミイラ作りの文化である。

 ミイラ作りのポイントは、死体の乾燥にある。人体の含有水分を50%に減らすと細菌類の繁殖がとまり、腐敗、解体しなくなる。この乾燥化のため、アンデス地方などでは死体を砂漠に埋めた。ニューギニア、オーストラリア、アフリカなどでは火をたいて煙と熱気で一種の薫製にしたし、チベットなどでは塩をかけて布を巻き死汁を抜いた。シチリア島などでは遺体を入れた室(むろ)を熱して脱水した。中国や日本のいわゆる入定(にゅうじょう)ミイラは、自ら米麦や栄養物などの穀断(こくだ)ちをして自分の身体を枯らせて死んだものである。ただし、外部からの処置が届きにくく腐りやすい脳や内臓の処理の問題がある。これは気候や乾燥度と関係があり、処理せずにすむ所、脳や内臓を取り出して処理する所などいろいろである。こうしたミイラ作りに最高の技術を駆使したのは、古代エジプトである。

[深作光貞]

エジプトのミイラ

暑熱と乾燥が砂漠に埋めた死体に作用して、しばしば自然がミイラをつくるエジプトでは、人々の死への恐れが再生思想と結び付き、人工的なミイラ作りを発達させた。永生を願っても、またこの世への再生を望んでも、それはかなわぬこと。そこで蘇生(そせい)でき永生もできる、もう一つの死者の世界を別につくり、死者を完全なミイラにし、死者をその世界に蘇生させる呪術(じゅじゅつ)を施し、死者を蘇生・永生させようとしたのが、古代エジプトのミイラ作りの思想である。

 こうした人工的ミイラ作りは、紀元前3000年以上の昔から行われ、古王国時代に内臓摘出など保存技術がかなり進歩し、新王国時代にさらに技法に改良が施された。その製法は次のようなものであった。

 死後、ただちに衣服をはぎ、ミイラ作り専用のテーブルに置く。脳髄は鼻穴から、先が曲がっているか螺旋(らせん)状になった青銅の棒を差し込み引き出された。この脳髄が保存された証拠はない。次に、鋭利な石刀で一般に左脇(わき)腹を切開して、そこから手を差し入れ、胃、肝臓、脾臓(ひぞう)、肺などの内臓を取り出し、洗浄と乾燥ののち、カノープス(カノピス)とよぶ4個の壺(つぼ)に収納した。ただし、心臓は例外で除去せずに残した。内臓を切除した腹部、胸部はやし酒などで洗浄されたのち、一時的な詰め物がなされた。それから、炭酸ナトリウム、重炭酸ナトリウム、塩化ナトリウムに少量の硫酸ナトリウムが自然に合成されてできたナトロンの中に、遺体を数週間から10週間浸(つ)けて脱水する。ナトロンの粉末の中に浸けたとする説と、溶液の中に浸けたとする説とがあるが、いずれにせよ遺体は乾いて萎縮(いしゅく)する。乾燥後、先の詰め物は取り除かれ、頭部には樹脂、あるいは樹脂をしみ込ませた布を詰める。胴部は麻布やナトロン、おがくず、土などの入った袋を詰め込み、開口部は樹脂、ろう、麻布で閉じ、金属板などで覆った。とくにミイラ作り技術のピークに達した末期王朝時代は、皮膚切開を体の各部分に施し、既述のように皮下に詰め物をして、丸みをもたせた体形に整え、義眼をはめ込み、唇や頬(ほお)を赤く彩ったりした。さらに、首飾り、胸飾り、腕飾り、呪具などをつけ、布巻きの総仕上げに入る。身体の各部に布を巻き、その上に樹脂やゴム液を塗り固めた。布巻きされた顔の上にマスクが置かれる。このようにしてミイラができあがると、「口開き」の呪術儀式が行われる。「口」とは、目、耳、口を意味し、見る、聞く、食べる、語るという機能を回復させる呪術である。オシリス蘇生神話の古式に従い、この呪術が施されると、死者はあの世で蘇生し、この世と同じように生活し始める、とされた。ミイラは古くは箱型棺に収められた。こうした棺に対する装飾は、中王国時代に頂点を極め、第11、12王朝のものを例にとれば、王宮のような建造物が外側に描かれ、左側面にはヒエログリフ、見せかけの扉、目などの装飾が施されている。人型棺が登場し普及するのは中王国時代からであるが、従来の箱型棺は新王国時代に入っても王族の間では人型棺を内に収める外側の棺として引き続き用いられた。聖獣崇拝とあの世での人間の伴侶(はんりょ)のため、イヌ、ネコ、ワニ、タカなどもミイラ化された。

 プトレマイオス朝時代になると、瀝青だけを使用した粗雑なミイラ作りになる。棺も石棺から木棺になり、その上に蜜蝋(みつろう)絵の具で描かれた死者の生前の肖像画をはった。これが、文化的に肖像画のはしりとされているが、死者の顔に生き写しのマスクをかぶせる伝統は、すでに古王国時代に現れている。

[深作光貞]

アンデスのミイラ

南米のアンデス地帯は、量においてエジプトに比肩するミイラの大宝庫である。ここには、エジプトと同様、乾燥した海岸砂漠のほかに、高地の寒冷地帯が広がる。こうした自然条件、墓の環境によってつくりだされた、まったく自然なミイラを一つのタイプとすれば、自然条件を認識したうえで意図的に死体をその環境の中に置き、ミイラとなるように手を加えた別のタイプもよくみられる。とくに有名なのは、竪穴(たてあな)式の共同墓地に曲げた膝(ひざ)をあごの下につけてうずくまった座位の姿で、粗い木綿の布でぐるぐる巻きにされたペルー南海岸パラカス地方のミイラであろう。極度の乾燥と砂中の熱で噴き出した死汁が、巻いた布に吸収されミイラ化したのである。この第二のタイプは、紀元前からスペイン征服時まで山岳地帯、海岸地帯を問わずアンデス全域にみられ、7世紀を過ぎると仮面や織物で飾りたてられるようになった。1954年、チリのプロモ山でみつかった幼児のミイラもインカ期の装身具を身につけた生贄(いけにえ)の姿である。古代ペルー人たちの考えは、死者はあの世に生まれ変わるのでなく、あの世に移って蘇生する、したがって遺体をミイラにして完全な姿で保持するのが、生者たちの死者に対する義務であったらしい。あの世に移ってもすぐ生活できるよう、副葬品として土器、衣類、装飾品のほか農具や漁具なども添えてある。一方、ミイラは人間と同じ姿をもちながら、生命のないいわば両義的な存在である。生者たちは、自らの生の世界と死の世界との媒介物であるミイラをつくり、場合によっては祭り、祖先崇拝を強めていったと考えられる。また既述の二タイプと異なり、エジプトのように内臓を除去し、火や瀝青によって乾燥化させ、骨格も木などで代用したミイラもみられる。この第三のタイプは先土器時代にあたるチリ北部海岸の遺跡で確認されているが、その後、インカ帝国の時代までみつかっていない。インカ帝国歴代の皇帝は、この第三の方法によつてみごとなミイラとなり、神殿に皇祖以来、代々の順位で飾られ、着せ替えなどを行う特定の人々による奉仕を受けていたと伝えられる。

[深作光貞]

日本・中国の入定ミイラ

弥勒(みろく)信仰といって、釈迦(しゃか)が救い残した衆生を弥勒菩薩(ぼさつ)が釈迦入滅後56億7000万年したら救済にこの世に下生(げしょう)するという信仰がある。その弥勒の衆生救済の仕事を手伝うため、禅り(結跏趺座(けっかふざ)して)宗教的瞑想(めいそう)のまま肉体を保存して死を待つのが、入定の思想である。実際は五穀断ち・十穀断ちなどの苦行をし枯木のようにやせ衰えて死ぬわけだが、信仰的には死ではなく弥勒の下生を待つ姿とみなしている。

 中国での最初の入定ミイラは単道開(359)である。インドからきた僧の慧直(えちょく)もその30年後に入定している。それ以来この伝統が続いた。ただし、この入定ミイラがしだいに庶民の信仰の対象になるにつけ、隋(ずい)・唐の時代になると、ミイラの上に麻布と漆を重ね塗りして一種の乾漆仏のようにし、のちには金泥をかぶせたりした。中国では、こうしたミイラを真身仏、肉身仏とよぶが、1954年と1970年に台湾台北市で2人の僧が金泥の肉身仏になっている。

 一方、日本には11世紀に中国からこの思想が伝わり、12世紀にはミイラに対する信仰が確立したと考えられる。重要なのは後述する藤原三代のミイラを除いて、日本のミイラはすべて僧侶(そうりょ)である点である。真言(しんごん)宗の開祖空海に入定伝説があり、このころの文献では覚鑁(かくばん)以下8人の入定僧が出ているが、実物はない。入定ミイラで現存する最古のものは新潟県長岡(ながおか)市寺泊(てらどまり)西生(さいしょう)寺にある弘智法師(入定1363)である。17世紀になると、入定は苦行修験(しゅげん)の行人たちのものとなり6体、18世紀は2体、19世紀は5体、最後のミイラは1903年(明治36)に新潟県で入定した仏海である。こうした入定ミイラの多くは、出羽(でわ)三山で修行した修験道の行者たちで、五穀・十穀断ちし死期が近づくと土中に行人(ぎょうにん)塚とよばれる室をつくって入り、死を待ったと伝えられるが、実際は土中入定よりも、地上入定のほうが多い。結局、栄養分の補給を断つことで、身体が腐敗しにくい構造に変化し、死後、約3年といわれる地下室への安置を経て、乾燥したミイラができあがるのである。しかし、地上入定の際、身体の周囲にろうそくの火を絶やさずにしておいたことでミイラ化した山形県鶴岡(つるおか)市注連寺の鉄門海上人(てつもんかいしょうにん)(入定1829)や、エジプトなどのように内臓を除去し、石灰粉を詰めた山形県鶴岡市南岳寺の鉄竜海上人(入定1868)の例もある。こうした入定ミイラを日本では即身仏とよび、貧苦に苦しむ東北、日本海沿岸の小作人たちの信仰の的となった。

 岩手県中尊寺の藤原清衡(きよひら)・基衡(もとひら)・秀衡(ひでひら)の遺体がミイラ化していることは有名で、腐敗しているためミイラ化の手法をたどることは困難であるが、入定とは関係ない。19世紀、間宮(まみや)林蔵が『北蝦夷図説(きたえぞずせつ)』で触れている樺太(からふと)(サハリン)のアイヌの首長のミイラ作りや、アリューシャン列島でみつかっているミイラの例などから、北方からの影響を考える必要があろう。

[深作光貞]

シチリア島のミイラ

特殊な例としては、イタリアのシチリア島パレルモ市のカトリック、カプチン派僧院の地下に約8000体のミイラがある。1646年の大干魃(かんばつ)にミイラを担ぎ出して雨乞(あまご)いの大祈祷(きとう)を行って雨を降らして以来、死後ミイラになろうとする者が激増し、僧院側も密室火熱、ヒ素やカルシウムの水風呂(ぶろ)浸けなどの方法で、ミイラの量産を行い、いまも保管しているものである。

[深作光貞]

北米のミイラ

北米でも、少なくともヨーロッパ人の入植当時まで、先住民が死体をミイラとして保存していたことが知られている。フロリダ地方では、乾燥させた死体に衣服を着せ、砦(とりで)の間仕切り壁につくった壁龕(へきがん)に安置していたし、バージニア地方に住んでいた先住民ポウハタンの首長は、死後、内臓摘出、いぶし出しを受けたのち、銅の粒を体に詰め込まれ、縫合されたという報告がある。またアリゾナなどの乾燥地帯では、自然にミイラ化した古代の人々の死体がみつかっている。北西海岸のヌートカ、クライスカットなどの社会でも報告例はあるが、アラスカを経由してアリューシャン列島に広がるこれらの地域で、ミイラが鯨猟の成功と結び付いて語られることは興味深い。

[関 雄二]

中・南米のミイラ

中米では、古代アステカ王国の戦士がミイラになっている絵が記録として残っているし、メキシコ南部のミュシュテカ、サポテコ、さらにグアテマラユカタン半島のマヤの人々も死者をミイラとして保存していたようである。16世紀ころのグアテマラ、キチェ・マヤ人の伝説集である『ポポル・ブフ』にも、葬儀とミイラに言及している部分があるが、実際のところ、中米におけるミイラの製法については、ほとんどわかっていない。

 南米では、すでに触れたペルーが有名であるが、先史時代のコロンビアのチブチャ人の社会でも首長の死体をミイラにしたという。古代エクアドルの海岸地帯に栄えたエスメラルダ、マンタの各文化でも、またエクアドル・アマゾンの先住民ヒバロにしても、死体全体ではなく、頭部だけをミイラにして保存した。最近まで首狩りの風習が残っていたヒバロの場合、狩りとった頭部は、まず骨が取り除かれ、湯で煮たあと、熱した砂を詰めた。

[関 雄二]

オセアニアのミイラ

この地域における死体保存の意味はおおよそ四つに分けられる。(1)親類・友人を失った哀しみへの対処、(2)ある階層の人々への公的義務、(3)死者の魂による災いを防ぐ、(4)残された家族の置かれた地位(たとえば未亡人)を社会に示す、がそれらである。オセアニアでは確かにミイラ作りは複雑な葬儀の一部として組み込まれてはいるものの、死後の信仰を完遂するために行うエジプトの場合と違い、動機も処理も一時的な性格が強く、儀礼ののち、放置されることが多い。ポリネシアのタヒチ島の首長の死体も、太陽熱による乾燥、油の塗布、内臓の摘出、香を浸した織物の充填(じゅうてん)を経て、美しく着飾られ、一定期間祭られるが、それが過ぎると頭蓋(とうがい)骨は親者が持ち帰り保存し、残りの骨は埋めてしまう。サモア、ニュー・カレドニア、オーストラリア、ニュー・ヘブリデス諸島、ニューギニア本島でも多少の差異はあるが、同様なミイラ作りが報告されており、この地域に広がる頭蓋崇拝と関連した形で存在している点には注意すべきであろう。

[関 雄二]

アフリカ・アジアのミイラ

エジプトを除くアフリカ地域でもミイラはつくられている。中央アフリカなどでは火に当てるだけの乾燥でミイラをつくっていたが、複雑な工程をもつものもあった。たとえばコンゴ民主共和国(旧ザイール)では、マニオク(キャッサバ)で死体を洗浄し、西方拝礼の儀式を行ったのち、内臓を取り出し、死体をとろ火で乾燥させる。それに赤土を塗ったあと、織物で包む。ナイジェリアのイボ、イビビオ、カメルーンの諸民族でも類似した形態がみられるが、カナリア諸島のように古代エジプトの技術を直接取り入れた地域もあるので、その起源に触れるのには注意が必要である。

 最後にアジア地域だが、この地域には、インドを発祥地とする火葬が広まっているため、ミイラ作りの重要性をみいだすことは困難である。例外的にミャンマー北方のアオ人、コニャ人、さらにチベット・ビルマ語系諸族では、太陽熱、火による乾燥、あるいは内臓摘出があった。しかし、このミイラ化は一時的であるものが多く、最終的には焼却されたりした。

[関 雄二]

『L・デロベール、H・レシュレン著、小池辰雄訳『ミイラ――世界の死者儀礼』(1980・六興出版)』『ジョージス・マクハーグ著、小宮卓訳『世界のミイラ』(1975・大陸書房)』『安藤更生著『日本のミイラ』(1961・毎日出版社)』『深作光貞著『ミイラ文化誌』(1977・朝日新聞社)』『A・P・ルカ著、羽林泰訳『ミイラ――ミイラ考古学入門』(1978・佑学社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「ミイラ」の意味・わかりやすい解説

ミイラ (木乃伊)
mummy

永久死体tenable corpseの一つ。乾燥した状態で,長期間ほぼ原形を保った死体で,古くは人工的にもつくられた。主として人体についていわれるが,動物の場合にも適用される。古くヨーロッパではエジプトのミイラが薬効があるとされ,日本にも16世紀に没薬ミルラmirra(ポルトガル語)として輸入された。ミイラはこれのなまったものといわれる。また英語のmummyはアラビア語のmūmīya(歴青で処理したもの)に由来する。〈木乃伊〉の字はフランス語でミイラをさすmomieの中国語における転写である。

 永久死体の一つである死蠟(しろう)が,湿潤した場所で空気が遮断された環境でできるのに対し,ミイラは乾燥によってできる。すなわち,死亡した後,死体現象のうちの自家融解や腐敗による崩壊が進行する前に,急速な乾燥が起こるとミイラができる。死体の水分が50%以下になると細菌の増殖が著しく阻止され,腐敗の進行が停止するといわれ,高温で乾燥した場所や風通しのよい場所,吸湿性のよい砂や土の上に置かれた死体ではミイラになりやすい。また,激しい下痢や嘔吐が続いて死亡した病人,餓死した人などのように,死亡時に体水分が喪失している場合は,小児や老人ではミイラ化しやすい。一般に,鼻や耳,手指や足指などが部分的にミイラ化することはよくあるが,全身が完全なミイラとなる場合はまれである。ほとんどのミイラは,ある程度まで自家融解や腐敗によって臓器や組織が液化し,その液化物が死体から流出した後に,急速に乾燥が進行し,死体の崩壊が停止してミイラとなっている。ミイラは屋外の縊死(いし)死体や,水はけのよい砂に埋められた死体などにみられることが多く,死体の置かれた環境によっては上の部分がミイラ化し,下の部分が死蠟化していることもある。ミイラになるのに要する期間は,早い場合でも,生まれたばかりの赤ん坊で2週間,大人で3ヵ月といわれているが,17日で大人がミイラになったという報告もある。ミイラでは,身元の確認に必要な身体的特徴が明りょうに残っていたり,死亡原因となった創や索痕(さつこん)が残り,事件の解決に役立つ。
死体現象
執筆者:

死体保存の方法としてのミイラ作りは赤道を取り巻く形で世界中に広く分布している。かつてエリオット・スミスG.Elliot Smithは《初期文化の移動Migrations of Early Culture》(1915)のなかですべてのミイラ作りは古代エジプトから伝播したものだとする説を発表したが,現在これを支持するものはいない。確かにエジプトでは第1王朝の初期からミイラ作りが行われ,彼らの文明の特徴ともいえる死の宗教文化の形成の主要な一角を担ってきたが,新大陸にまで及ぶミイラの分布を一元的に説明することは不可能である。ミイラは基本的には死体の乾燥処理であるが,空気にさらすことによる乾燥,火熱による乾燥およびなんらかの薬物を使用する乾燥保存とに分類することができる。エジプトでは脳,内臓を取り出したあとの死体を,香辛料を混ぜた天然炭酸ナトリウム(ナトロン)に70日間漬け,その後取り上げた体を布で包み込むというのが最も広く行われた製法であった。東アフリカのブガンダ王国では王のミイラを作っていたが,この場合死体の水分がまず搾り出され,つぎに内臓を取り出してこれにバターを塗り,再び体腔に戻すという手法がとられていた。象牙海岸(コートジボアール)のバウレ人はヤシ酒と塩を内臓摘出後の体内に塗っていた。火を用いる乾燥はオーストラリアのアボリジニーの一部や南北アメリカのインディアンのいくつかの部族で知られている。空気中での乾燥で最も効果的なものとして知られるのは,トレス海峡のマレー島のミイラで,紙のように軽いミイラが作られたという。南太平洋のソシエテ諸島では酋長の死体の日干しミイラが作られた。

 ミイラ作りの目的に関していえば,それがエジプトのように来世信仰と密接に結びついているところもある。すなわち死後3000年たつと死者の霊魂が肉体を得て復活するというものであるが,これはおそらく時代を下ってから発達した信仰であろう。ミイラを作る多くの民族では,死体保存は葬制における最終段階の儀式までできるだけ生きているときの姿に近い形で肉体を残しておくということに主眼があったように思われる。この場合にはミイラに肉体の永久性を求めようとする指向性は弱い。その極端な例はインド王族が行うことがある葬法であり,死体をいったんはミイラにしておき,その後これを火葬に付すという手順をとる。死体の保存を目的とするミイラ化とその迅速な破壊を目的とする火葬との奇妙とも思える結合であるが,南ボルネオのマアンヤン族におけるように,死後しばらく台上に遺体を安置し,数年を経てから大祭を催してこれを火葬にするという習俗との関連でこれをみると,そこには複葬あるいは洗骨葬と呼ばれるものと共通する考え方が基礎にあるといえよう。

 なお,日本にも即身仏と呼ばれる宗教者のミイラが現存している。
即身仏 →他界
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百科事典マイペディア 「ミイラ」の意味・わかりやすい解説

ミイラ

人間や動物の死体が乾固して長くその形状をとどめているもの。ミイラという名称は,エジプトのミイラ作りに用いられた没薬(もつやく)のポルトガル名ミルラmirraのなまりとされ,ミイラを指す漢語から〈木乃伊〉の字が当てられる。土地や空気の乾燥など自然の条件によって偶然に保存された天然的ミイラと,死体を加工して腐敗を防止した人工的ミイラがある。後者は,宗教的目的から各地で作られたが,特にエジプトで発達,内臓を除去したのち,樹脂,香料を塗って布で巻く技法が完成され,最盛期の第18王朝ころには脳の剔出(てきしゅつ)や義眼のはめ込みが行われ,鳥獣のミイラも作られた。ほかに,インカなど中・南米やオセアニアの島々でも人工的ミイラの例が見られる。中国では,3世紀ごろ弥勒信仰と結びついて仏僧がミイラになる習慣が生まれた。穀物を食しない穀断ちや断食などの苦行の末ミイラとなって入定し,仏滅後56億7千万年後に弥勒菩薩が下界に出現するのを待つ。この入定(にゅうじょう)ミイラは,日本でも11世紀以降行われ,古いものでは新潟県西生寺の弘智〔1282-1363〕のミイラがある。修験道の山伏の間でも行われたが,この風習は1903年の仏海をもって終わり,現在,山形県,新潟県にミイラが多く残る。なお,中尊寺に伝わる藤原氏3代のミイラは,入定ミイラではないが,人工的ミイラとする確証もない。
→関連項目アヌビスインカ奥州藤原氏死体現象マスペロ木棺没薬

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミイラ」の意味・わかりやすい解説

ミイラ
mummy

自然に,あるいは人工的に防腐処置が施されて乾燥,保存された死体。皮膚,筋肉をはじめ内臓,血管などが乾燥し,萎縮した状態で保存される。皮膚は革皮様化して硬く,強く萎縮し,黒色,黒褐色,褐色などになり,頭髪も残る。人体の水分は通常,約 80%であるが,これが 50%以下になると細菌が繁殖せず,腐敗が進行しないのでミイラ化する。ミイラ化が完成するまでの期間は環境によりまちまちであるが,手足の指先や鼻の先端などから始まり,普通,数週間から数年間かかる。できあがったミイラは,乾燥した状態で保管されると長く原形を保つ。生前の損傷や索溝がよく残るので,前17世紀のミイラについて,どのような凶器で加害されたかが調べられた例もある。古代エジプト,インカなどでは人工的なミイラ化が盛んに行なわれた。エジプトでは前2600年頃から,キリスト教時代にいたるまで続けられた。これは来世において霊魂の宿るべき肉体が必要であるとする信仰に基づくもので,この信仰はエジプト,インカ,オセアニアなどに共通している。普通脳髄と胃腸は除かれたが,心臓と腎臓はそのままで,体腔に樹脂,おがくずなどを詰め,体全体を天然炭酸ソーダで覆って乾燥させ,洗浄,塗油ののち鼻などの突出した部分の保存に特別の注意を払いつつ亜麻布で覆った。この作業に約 70日かかったという記録がある。ミイラ製作は古代からエジプトのほかアフリカ,南北アメリカ,オーストラリアなど各地の民族の間で認められている。また中国では広東省南華寺(→宝林寺)のミイラ,日本では岩手県中尊寺藤原清衡以下 4代のミイラが知られている。(→死体保存

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミイラ」の解説

ミイラ
mummy

古代エジプト,インカなどの保存死体。脳髄,内臓を除き(内臓壺カノポスに納める)ナトロン(天然炭酸ナトリウム)で脱水したあと,亜麻布に包んで棺に納める。不死,永生の信仰から生まれ,最古のミイラはイシスが墓の神アヌビスとともにつくったオシリスのものであるという。保存度のよいもの(トトメス3世ラメセス2世など)は生前そのままである。人間のみならず,牛,猫,鷹などもミイラにされた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ミイラ」の解説

ミイラ
mirra (ポルトガル)
mummy (イギリス)

人間または動物の死体を加工保存したもの
古代エジプトでは霊魂不滅の信仰から,死体にバルサムという薬をぬり,乾燥保存した。製作には専門の神官が従事。新王国時代には特にその技術が進んだ。

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世界大百科事典(旧版)内のミイラの言及

【アヌビス】より

…ピラミッド文書ではホルスの目と結びつけられ,冥界で死者をオシリスまで導くことが彼の務めとされた。イシスとネフテュスの造った包帯で死せるオシリスをミイラとし,かつラーの命によりオシリスを蘇生せしめたことから〈ミイラ造りの家の主〉ともいわれた。《死者の書》ではオシリスの法廷で死者の心臓を計量し,葬儀に際して墓の入口で死者のミイラを受け取る姿が描かれ,151章ではミイラの横たわる棺架のわきに立ち,保護するしぐさで手を差しのべ,〈我はオシリスを保護せんために来たれり〉と言ったさまが描かれている。…

【エジプト美術】より

…彼らは霊魂の不滅を信じ,いったん肉体を離れた魂は,その肉体が亡びない限り,再び戻って,死者は永遠の生を享受すると信じられた。これは,放置された死体がミイラ化し,永くその形をとどめていることなどから発した信念であろうが,このために,極端な厚葬の習俗が生じ,壮麗な墳墓や莫大な量の副葬品がつくりだされることとなった。今日残るエジプト美術の遺例は,ほとんどすべて,この種の,葬祭に関連のある作品である。…

【死体現象】より


[異常死体現象]
 異常死体現象は,死体が特殊な環境に置かれた場合,通常の腐敗現象が現れなかったり,途中で停止し,長期間にわたり死亡時の状態を保つもので,永久死体といわれる現象である。これには,乾燥によって生じるミイラ,湿潤した空気の遮断された環境で生じる腐ったチーズ様あるいはセッコウ様となる死蠟(しろう),およびミイラとも死蠟とも違う第三永久死体といわれるものがある。ミイラ化は腐敗の途中で生じる場合がほとんどで,小児では2週間,大人では3ヵ月以上を要する。…

【パジリク】より

…被葬者は東枕とし,1墳墓中に男女1組の合葬とするのを原則としたらしく,男性は170cm以上,女性は150cm以上と長身で,短頭,毛髪は剛直毛ではなく柔らかで栗色やブロンドがあり,人類学の分類によるコーカソイド(ヨーロッパ人種)に属し,それにモンゴロイドの混血を考えるべきという。遺体は,脳や内臓,筋肉を除去してミイラとして納めている。男子のうち1体には,両手と胸背部および右足に,四足獣や怪獣,魚などを表現した黒色の文身(入墨)がある。…

【没薬】より

…〈没薬〉は中国で名づけられた漢薬名。没薬は古代からオリエントで焚香料,香膏や香油の賦香料として用いられ,エジプトのミイラ作りに欠かせぬ香薬だった。医薬用には収斂(しゆうれん)薬として用いられていたが,現在は口中の炎症にうがい薬とするにすぎない。…

※「ミイラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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