マルキアヌス(英語表記)Marcianus

改訂新版 世界大百科事典 「マルキアヌス」の意味・わかりやすい解説

マルキアヌス
Marcianus
生没年:392-457

ローマ帝国東帝。在位450-457年。兵士の息子としてトラキアかイリュリクムに生まれ,自らも軍隊に入り421年ペルシア戦争に参加。その後アルダブリウス,アスパル父子に副官として仕え,431年のアフリカ遠征にも同行して一時バンダルの捕虜となった。450年テオドシウス2世の死後,アスパルによって東帝位に擁立され,先帝姉プルケリアと結婚。アッティラに対しては貢納金支払い停止など強硬策を採り,アッティラ死後はフンに服属していた諸族を帝国領内に移住させ,東ゴートとゲピダエ族はこれを同盟部族とした。対西方政策は消極的でバンダルに対しても強硬策は採らなかった。内政面では元老院議員に対する減税措置もあるが,総じて国庫の財力回復に功績があった。教会政策ではプルケリアの強い影響力を受け,451年カルケドン公会議を開き,その後も正統派信仰の擁護に努めた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マルキアヌス」の意味・わかりやすい解説

マルキアヌス
Marcianus

[生]396. トラキア
[没]457. コンスタンチノープル
ビザンチン皇帝 (在位 450~457) 。軍人出身。テオドシウス2世の死後,宮廷の実力者アスパルとテオドシウスの姉プルケリアの推挙により即位。正統性維持のためプルケリアと結婚,テオドシウス朝最後の皇帝となった。対外的には和平政策をとり,内政的にも平和な治世であった。その最大の業績カルケドンの第4回公会議の開催である。キリスト単性説およびネストリウス派異端として退け,会議の決議第 28条ではローマ教皇の名誉上の首位権は認めるが,その他の点ではローマとコンスタンチノープルの大司教はまったく平等の地位にあることを決定した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルキアヌス」の意味・わかりやすい解説

マルキアヌス
まるきあぬす
Marcianus
(396―457)

ビザンティン皇帝(在位450~457)。元テオドシウス2世治下の宰相アスパー麾下(きか)の将校で、同帝の没後その姉プルケリアと結婚して即位。その治政下は内外ともに平穏であった。彼の最大の業績は第4回公会議(451)をカルケドンに招集したことにある。この会議では、キリスト単性説とネストリウス派を異端として退け、5世紀前半の正統・異端論争で主流を占めたアレクサンドリア派、アンティオキア派に対し、首都のコンスタンティノープル派が優位にたった。また、議決第28条ではコンスタンティノープルの総主教とローマ教皇は法律上同等の地位を有すること、ただしローマ教皇には名誉上の首位権が認められること、の2点が定められた。

[和田 廣]

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