近代経済学は、1870年代のオーストリアのカール・メンガー、イギリスのW・S・ジェボンズ、スイスのレオン・ワルラスの3人の業績に始まるとされている。彼らの業績は、当時しだいに無力化してゆく古典学派にかわる新しい理論の形成であり、それぞれ学派とよばれるまでに発展した。オーストリア学派はその一つで、ウィーン大学の教授C・メンガーに始まり、同じく同大学の教授であったF・ウィーザーやベーム・バベルクらによって拡充、展開された学派であり、限界効用理論に基づく理論体系を完成したので、限界効用学派ともよばれている。なおこの学派はさらに、その独自の資本理論を提起し、また、この学派に続くウィーン学派も貨幣的分析を展開するなど、その後の経済学の発展に大きく寄与した。
メンガーはその著『国民経済学原理』Grundsätze der Volkswirtschaftslehre(1871)において、古典学派の労働価値説を退け、主観的な限界効用原理、生産財の価値をそれがつくりだす消費財の価値から説明する帰属理論などによる首尾一貫した主観価値説の理論体系を確立する一方、経済学方法論としては歴史、理論、政策を峻別(しゅんべつ)する立場をとり、この点では当時のドイツ経済学界の主流であったシュモラーたちの後期歴史学派と激しい論争を交えた。ウィーザーは帰属理論を整え、ウィーザーの法則を示したが、それは後年の機会費用原理の発端をなすものであった。帰属理論により生産物の価値と生産財の価値が等しくなるとすれば、資本利子はどこから生まれるかが問題となる。この点についてベーム・バベルクはその著『資本の積極理論』Positive Theorie des Kapitales(1889)において、迂回(うかい)生産の利益から資本利子が生まれることを明らかにし、生産過程を資本とみる独自の資本理論を提唱した。彼の資本理論の影響は多大であり、北欧学派のウィクセル、ウィーン学派のミーゼスやハイエクの理論を生んだばかりでなく、最近ではJ・R・ヒックスがその著『資本と時間』Capital and Time, A Neo-Austrian Theory(1973)において、現代成長理論の新局面を開くためにベーム・バベルクに立ち戻っているほどである。
なお、オーストリア学派の流れをくむH・マイヤー、ミーゼス、ハイエク、ハーバラー、シュトリグルRichard von Strigl(1891―1942)、モルゲンシュテルンなどの一群の人々はウィーン学派または新オーストリア学派とよばれ、貨幣的分析に優れており、資本理論や景気変動理論の分野で華々しい業績をあげ、諸外国にも影響を与えた。しかし第二次世界大戦までに、H・マイヤーなど若干の学者を残して大多数の学者がアメリカその他の諸国に去り、ウィーン学派は拡散してしまった。
[佐藤豊三郎]
『一谷藤一郎著『オーストリア学派経済学の新展開』(『経済学説全集10 近代経済学の展開』所収・1956・河出書房)』▽『J・シュムペーター著、東畑精一訳『経済分析の歴史 第5冊』(1958・岩波書店)』▽『C・メンガー著、安井琢磨訳『国民経済学原理』(1937・日本評論社)』▽『林治一著『オーストリア学派研究序説』(1966・有斐閣)』
経済学における限界革命において,L.ワルラス,W.ジェボンズとともにその三大巨星であったウィーン大学のC.メンガー,およびその流れをくむ経済学者たちの学派。ウィーン学派とも呼ぶ。限界革命の中心的概念は限界効用であるが,ワルラスにとってはそれが一般均衡理論の一つの道具にすぎなかったのに対して,オーストリア学派にとっては限界効用の意義ははるかに大きい(限界効用理論)。古典派経済学の労働価値説,生産費説が価格を費用により説明するのに対して,オーストリア学派の効用価値説は効用により消費財の価格を説明する。そして費用とは失われた効用であると考える機会費用の概念が説かれ,生産要素の価値はそれから生産される消費財の効用にもとづく価値が帰属するものであると考えられた。
C.メンガーは1871年に《国民経済学原理》を刊行,翌年それによりウィーン大学の私講師となり,79年に経済学正教授に就任した。《原理》においてメンガーは,効用の意義を強調するだけでなく,完全な市場を分析の対象としたワルラスとは異なり,不完全な市場に関心をもち,したがって価格だけでなく商品の売れやすさ,つまり販売力を問題とし,販売力最大の商品として貨幣を考察した。また,《原理》を無視し経済理論の研究を軽視していた新歴史学派が当時のドイツにおいて支配的であったので,メンガーは理論的研究の重要性を主張するために83年に《社会科学,とくに経済学の方法に関する研究》を公刊し,シュモラーと有名な方法論争をおこなった。
メンガーの主要な後継者の一人であるベーム・バウェルクは,95年以降三たび蔵相を務めたが,1904年にウィーン大学の教授となった。彼は大著《資本および資本利子》の第1巻〈資本利子論の歴史と批判〉(1884)において労働価値説にもとづく搾取利子説をはじめ多くの学説を論破し,第2巻〈資本の積極理論〉(1889)において有名な利子の3原因を説き,とりわけ迂回生産の重要性を強調した。このオーストリア資本理論は,のちに北欧の経済学者J.ウィクセルにより,ワルラスの一般均衡理論に導入される。また,メンガーのもう一人の主要な後継者F.ウィーザーは,1889年に《自然価値論》を刊行,1903年にメンガーの後を継いでウィーン大学教授に就任し,14年には《社会経済の理論》を公刊した。彼は帰属価格の厚生経済学的意味を明らかにし,先駆的な社会主義経済理論を展開している。さらに,企業者による革新を強調して《経済発展の理論》(1912)を説いたJ.シュンペーターもこの学派の出身であり,またオーストリア資本理論を基礎にした景気変動論や自由主義論で名高いノーベル賞受賞経済学者F.ハイエクは現代におけるオーストリア学派の代表的な存在であるといえよう。
→経済学説史
執筆者:根岸 隆
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経済学の一学派。1870年代よりオーストリアを中心に発展。限界効用理論に立つ学派の一つで,メンガーおよびその系統のベーム・バーヴェルク,ヴィーザー,シュンペーター,ミーゼス,ハイエクなどが含まれる。
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…こうしてウィースナーの影響を強く受けたWarenkunde(現代語)は,顕微鏡をおもな武器とする商品鑑定Warenprüfungを最も重要な領域とするに至った。ウィースナーとその一派の学者たちはオーストリア学派と呼ばれている。かくして,19世紀末期には,ドイツ語圏の商品学は技術学(ウィースナーの原材料学はこの一分科だった)としっかり手をつなぐことになった。…
… 資本を用いる生産の本質を明らかにするような仕方で,生産の技術上の要件であるさまざまなものの蓄積の本質を示すことはできないかという問題がある。D.リカードとその追随者およびオーストリア学派によれば,資本は過去の労働の蓄積である。資本の量については,たとえばリカードは投下労働の量を,J.S.ミルは生存資料の量を,そしてE.vonベーム・バウェルクは平均生産期間の概念,つまり労働が生産過程内にとどまる平均の時間を考えるというようにさまざまであるが,基本となる考え方は同じである。…
…金貨の導入や砂糖補助金の打切りなどの政策策定に力があったが,軍事費の増大による財政難のため,1904年蔵相を辞任しウィーン大学教授となった。経済理論の分野では,F.vonウィーザーとともにC.メンガーの諸学説を拡張発展させ,オーストリア学派の中核的存在となる。生前その業績はやや過大評価されたきらいがあるが,最近は逆に過小評価に甘んじているともいえる。…
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