メンゲルベルク

精選版 日本国語大辞典 「メンゲルベルク」の意味・読み・例文・類語

メンゲルベルク

  1. ( Willem Mengelberg ウィレム━ ) オランダ指揮者。一八九五年アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者となる。後期ロマン派の流れをくむ情緒ゆたかな名指揮といわれた。(一八七一‐一九五一

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百科事典マイペディア 「メンゲルベルク」の意味・わかりやすい解説

メンゲルベルク

ドイツ系のオランダの指揮者。生地ユトレヒトの音楽学校とケルン音楽院に学び,1892年ルツェルン管弦楽団の指揮者となる。1895年,創立まもないアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に就任。以後半世紀にわたり同楽団を指揮し,ヨーロッパ有数の管弦楽団に育て上げた。1921年−1929年ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を兼任するなど,欧米各地で活躍したが,1945年対独協力のかどで楽壇から追放。その後はスイスに暮らした。R.シュトラウスマーラー親交を結び,ベートーベンから後期ロマン派に至るドイツ音楽を得意とした。→ベイヌム

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改訂新版 世界大百科事典 「メンゲルベルク」の意味・わかりやすい解説

メンゲルベルク
Willem Mengelberg
生没年:1871-1951

オランダの指揮者。ケルン音楽院に留学,1892年スイスのルツェルン管弦楽団指揮者となる。95年から1945年まで一貫してアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団常任指揮者の地位を占めて,同楽団を世界一流の水準に引き上げた。その間1921年から8年間ニューヨークフィルハーモニー管弦楽団の指揮者を兼ねた。第2次大戦後はナチスに協力したという理由引退を余儀なくされた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メンゲルベルク」の意味・わかりやすい解説

メンゲルベルク
めんげるべるく
Willem Mengelberg
(1871―1951)

オランダの指揮者。20世紀前半を代表する巨匠の一人。生地ユトレヒトの音楽院、ついでケルン音楽院で学ぶ。1891年ルツェルン管弦楽団の指揮者となったが、95年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の2代目の常任指揮者に選ばれ、以来半世紀にわたって在任、これを世界有数のオーケストラに育て上げた。国際的な活動も活発で、1920年代にはニューヨーク・フィルハーモニーの常任指揮者も兼任、名をあげた。しかしナチス協力者とされて45年にその職を追われ、スイスに引退して失意のうちに世を去った。ロマン的な表情付けの濃厚な芸風を一貫して保持、テンポ・ルバートを多用して、バッハさえも甘美に表出したが、この持ち味はチャイコフスキー、マーラー、R・シュトラウスで最高度に生かされた。

[岩井宏之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メンゲルベルク」の意味・わかりやすい解説

メンゲルベルク
Mengelberg, (Josef) Willem

[生]1871.3.28. ユトレヒト
[没]1951.3.21. クール
オランダの指揮者。生地の音楽学校でピアノを学んだのち,ケルン音楽院でピアノ,指揮,作曲を修め,1895年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の正指揮者に就任,同楽団を世界一流の楽団に育て上げた。 1911~14年ロンドン交響楽団,ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団,21~30年ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の指揮者。第2次世界大戦後は大戦中の対独協力によって追放され,スイスで余生をおくった。 R.シュトラウスは彼に交響詩『英雄の生涯』を献呈した。

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世界大百科事典(旧版)内のメンゲルベルクの言及

【アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団】より

…1888年,アムステルダムの演奏会場(コンセルトヘボウ)の専属オーケストラとして組織され,初代指揮者はケスWillem Kes(1856‐1934)。95年後任のW.メンゲルベルクは1945年まで弦の響きとロマン的情緒を特徴とする同楽団の個性を築き育成に尽くした。その後ベイヌム,ついでハイティンクが常任をつとめ現在に至る。…

※「メンゲルベルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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