モニカ(読み)もにか(その他表記)Monnica

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モニカ」の意味・わかりやすい解説

モニカ
もにか
Monnica
(331―387)

アウグスティヌスの母。北アフリカの小村タガステ(アルジェリアのスーク・アラス)でローマ人の小地主パトリキウスPatricius(315―371)に嫁したベルベリ人。熱心で敬虔(けいけん)なキリスト教徒として、アウグスティヌスの宗教教育に尽くした。マニ教に心を奪われている息子のために祈り続けた。ある日、さる司教は嘆くモニカに「このような涙の子が滅びるはずはない」と励ましたほどである。385年息子の後を追ってローマに赴き、2年後オスティアで客死。死の直前、神秘経験を息子とともに味わった。1946年モニカの墓碑断片が発見された。

加藤 武 2017年12月12日]

『山田晶訳・編『世界の名著16 アウグスティヌス』(1978・中央公論社)』『アウグスティヌス著、中沢宣夫訳『母モニカ』(新教出版社・新教新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モニカ」の意味・わかりやすい解説

モニカ
Monica

[生]332. ヌミディア,タガステ
[没]387. オスティア
聖女,アウグスチヌスの母。厳格なキリスト者の家庭に育ち,ローマの官吏である異教徒パトリキウスと結婚。3人の子をもつ。熱心なキリスト者として,マニ教に傾斜していたアウグスチヌスに改宗を促した。アウグスチヌスがローマからミラノへ移ったとき彼に従ってミラノへ行き内縁の妻と別れさせた。ミラノにおけるアウグスチヌスの回心を見届けてアフリカへの帰途についたが,オスティアで病に倒れ没した。アウグスチヌスの『告白』には母モニカの姿がきわめて感動的に述べられている。古代キリスト教会三賢母の一人。

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世界大百科事典(旧版)内のモニカの言及

【アウグスティヌス】より

…西方教会の教父として最も重要な人物で,かつヨーロッパのキリスト教を代表する一人。
[生涯]
 北アフリカのヌミディア州タガステに,異教徒の父パトリキウスPatriciusとキリスト教徒の母モニカMonicaとの子として生まれた。46歳のときに書いた自伝《告白》によれば,16歳のときカルタゴに出て修辞学を中心とする自由学科を学んだが,ある女性と同棲して1子アデオダトゥスを生んだ。…

※「モニカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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