改訂新版 世界大百科事典 「ヤギエウォ大学」の意味・わかりやすい解説
ヤギエウォ大学 (ヤギエウォだいがく)
Uniwersytet Jagielloński w Krakowie
クラクフにあるポーランド最古の大学で,中欧ではプラハのカレル大学に次ぐ。通称クラクフ大学。1364年創立。創立者はピアスト朝のカジミエシュ3世(大王)。創立当時の名称はクラクフ学院Akademia Krakowska。ヤギエウォ朝の下で大きく発展したので現名称で呼ばれる。1400年にパリ大学を範として改組,本格的な活動を開始し,すでに15世紀前半に法律学の分野ですぐれた教授陣を擁し,新しい学問的・哲学的潮流に開明的態度をとって国際的注目を浴びた。同世紀後半から16世紀初めにかけて高水準の天文学,数学,地理学研究で全ヨーロッパ的名声を確立。この時期の卒業生に地動説の提唱者コペルニクス,近代ポーランド文学の創始者J.コハノフスキらがいる。17世紀に一時衰退したが,1777-83年に国民教育委員会(文部省)の勧告に基づいてH.コウォンタイが改革を実施,近代化する。ワルシャワ公国(1809-15),クラクフ共和国(1815-46)時代,数少ないポーランド語大学として,ロシア,プロイセン,オーストリア領のポーランド人学生を引きつける。オーストリア領に編入後もゲルマン化政策期(1854-70)を除いてポーランド人の学問活動の中心として発展。独立(1918)後,ポーランドの学界で中心的役割を果たしたが,ナチス・ドイツによる占領期間中(1939-45)閉鎖され,多くの教官が強制収容所に送られた。1942年以降地下大学を開設,困難な条件の下で900人の学生を卒業させた。戦後大きく発展し,96年現在,学部11,教官2800,学生1万6600を数える。
執筆者:伊東 孝之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報