日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ヤスパース哲学の基本概念
やすぱーすてつがくのきほんがいねん
実存照明(じつぞんしょうめい) Existenzerhellung
ハイデッガーによる現存在の実存論的分析にあたるのがヤスパースの「実存照明」(「実存開明」とも訳される)で、主著『哲学』第2巻の標題。実存照明とは、実存を対象として外部から記述するのではなく、実存をいわば内部から照らし出しながらその内的構造を明らかにする試みで、交わりと歴史性における「自我自身」の照明から出発し、ついで「自由としての自己存在」が明らかにされ、そして最後に無制約的な存在であると同時に有限な存在である実存がさまざまな相において照明される。実存の無制約的自由は実は超越者に繋縛(けいばく)された運命的必然性と一つであって、このことの自覚により実存の存在意識が変革され、超越者が主宰する真の現実が実存に開示される。
愛しながらの争い(あいしながらのあらそい) Liebender Kampf
実存は交わりのうちにあって初めて実存であるが、そうした実存相互の交わりが「愛しながらの争い」である。争いは人間の限界状況であって、人間はこの状況から逃れ出ることはできない。しかし人間は争いを相互否定的な暴力的争いから互いに他を認め合う「愛しながらの争い」に変えることができ、ここでは勝利による優越にかわって自他に共同の真理が現れる。実存間の内的平和は「愛しながらの争い」によって可能であり、この内的平和は外的な世界平和のための条件でもある。
限界状況(げんかいじょうきょう) Grenzsituation
限界状況とは、一般的には人間が「状況=内=存在」としてつねに状況のうちにあることをさし、具体的には「争いや悩みなしに生きることはできず、不可避的に責めを引き受け、死ななければならない」といった状況をさす。人間は日常は目をつぶってこの状況を回避しようとするが、しかし実存に目覚めた人間は目を見開いてこの状況を直視し、挫折(ざせつ)を通じてかえって真の自己へと回生する。
暗号解読(あんごうかいどく) Chiffrelesen
『哲学』第3巻の『形而上学(けいじじょうがく)』に登場する語。実存の存在意識が最終的に変革されることによって、もろもろの事象は超越者の「暗号」となり、世界は「暗号の世界」となるが、実存はこれらの暗号を「解読」するという形で超越者の主宰する真の現実を確認する。暗号はまた実存が聞き取る超越者のことばともいえる。なおヤスパースによると、暗号のなかでも限界状況での挫折の経験が「決定的な暗号」であって、それに対してはもはやいかなる解釈も不可能であり、ただ沈黙によってのみ答えることができる。
包括者(ほうかつしゃ) das Umgreifende
ヤスパースの『哲学的論理学』の用語。さまざまな存在がそのうちで現象し、したがって、またそれらの知がそのうちで初めて成り立つようになる包括的地平をさす。つまり、包括者は本来はすべてを包括する全体で、主客未分であるが、われわれがこれを確認しようとするとただちに主客に分裂し、「存在そのものである包括者」(世界、超越者)と、「われわれがそれである包括者」(現存在、意識一般、精神、実存)とに分かれる。