ライエ(読み)らいえ(英語表記)Camara Laye

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ライエ」の意味・わかりやすい解説

ライエ
らいえ
Georges Antoine Pons Rayet
(1839―1906)

フランスの天文学者ボルドーで生まれる。1859年エコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)に入学し、1862年物理学で学位をとり卒業する。1863年にパリ天文台入所。1873年よりマルセイユ大学で物理学講師、1876年にボルドー大学天文学の教授となる。1879年、ボルドー近くに新設されたフロアロック天文台長に就任した。

 最大の功績は、同僚の天文学者ウォルフCharles Joseph Etienne Wolf(1827―1918)とともにウォルフ‐ライエ星を発見したことである。この星は特異なスペクトルをもち、恒星の進化状態の一部を示している。分光学的成果として、1868年のマレー半島での日食観測で太陽のプロミネンスの正確なデータを取得したことも大きい。また、世界の天文台の歴史と設備について調査・研究を行ったことでも知られる。

[編集部 2023年5月18日]


ライェ
らいぇ
Camara Laye
(1928―1980)

ギニアの小説家。鍛冶屋(かじや)の子に生まれ、回教学校からコナクリ工業高校を卒業、技師になるためにフランスに留学。苦学と貧困、孤独と不安にさいなまれながら郷愁の思いを小説に託した回想自伝『黒い子ども』(1953、邦訳名『アフリカの子』)によって、アフリカ人最初の本格的小説家としての地位を固めた。帰国後「個人の自由」をめぐってセーク・トーレ大統領と意見が衝突、自宅拘禁状態に置かれ、1965年セネガルに亡命、ダカール大学回教研究所員となったが、80年に亡命の地で病没した。13世紀にマリ王国を建設した名君スンディアタ王の伝説を素材とした伝承文学『言葉の主』(1978)が絶筆となった。ほかに宗教的寓話(ぐうわ)小説『王の栄光』(1954)と『アフリカの夢』(1966)があり、詩的なイメージの美しさがその魅力となっている。

土屋 哲]

『さくまゆみ子訳『アフリカの子――少年時代の自伝的回想』(1980・偕成社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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