ラスパイユ(読み)らすぱいゆ(英語表記)François Vincent Raspail

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラスパイユ」の意味・わかりやすい解説

ラスパイユ
らすぱいゆ
François Vincent Raspail
(1794―1878)

フランスの革命家、政治家、科学者。1824年から思想、自然科学関係の著書を発表、1830年七月革命の市街戦に参加。その後「人民の友社」「人権協会」などの革命結社に加盟、共和派左翼として七月王政と戦い、投獄追放などの刑を受けた。1834年『レフォルマトゥール』(改革者)紙を創刊、労働者の苦痛を描き、その救済を主張、大衆の間に人気を博した。七月王政末期の改革運動を推進し、1848年の二月革命に参加、パリ市庁舎で共和制を宣言した。その後『ラミ・デュ・プープル』(人民の友)紙を創刊。「ラスパイユ・クラブ」を結成し、穏和共和派の第二共和政と対決、5月15日の社会主義者の反乱に加担、ブランキ、バルベスらとともに逮捕され、12月の第二共和国大統領選挙に革命的社会主義者の候補に推されたが、大敗した。翌1849年ベルギー亡命。1863年に帰国、1869年には立法院議員に当選したが、第二帝政崩壊後に起こった1871年のパリ・コミューンには参加しなかった。晩年は国会議員としてコミューン派の大赦のために尽力した。

[桂 圭男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラスパイユ」の意味・わかりやすい解説

ラスパイユ
Raspail, François-Vincent

[生]1794.1.29. ボークリューズ,カルパントラ
[没]1878.1.8. バルドマルヌ,アルクイユ
フランスの化学者,政治家。 1812年アビニョンで神学代用教員となったが,王党派の迫害を逃れ,パリに出て諸科学の研究に専念。その寄生物理論はのちの微生物理論に発展していく基礎となり,また民衆の衛生観念の向上にも寄与した。政治家としては共和派に属し,七月革命 (1830) ,二月革命 (48) に参加,パリ市庁で共和政を宣言した。新聞『民衆の友』L'Ami du peupleを創刊,ラスパイユ・クラブを創設,ポーランドの独立運動を援助する国会請願デモを組織し逮捕された。第二帝政に反対して追放され,63年までベルギーに滞在。 69年議員に選出され普仏戦争に反対した。パリ・コミューンには参加しなかったが,ベルサイユ軍によるコミューン弾圧を非難して投獄された。 77年マルセイユ選出議員となり極左派に位置した。

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