改訂新版 世界大百科事典 「ラスパイユ」の意味・わかりやすい解説
ラスパイユ
François Vincent Raspail
生没年:1794-1878
フランスの革命的共和主義者。化学者,医学者でもあり,大衆的な医療法を広めた点でも注目される。3年間アビニョンの神学校に学び,神学を教えることになっていたが,1813年にナポレオンを賛美する言動を明らかにしたため,王政復古後に職を失った。パリに出て医学を学び医学研究に従うと同時に,22年にはカルボナリ党の一員となった。七月革命の後,人民の友協会の議長として共和主義運動に身を投じ,34年まで活動を続けた。32年,〈人民の友〉の指導者に対する訴追が,いわゆる〈15人裁判〉として行われ,革命家の中心として被告席についた。48年の二月革命では,政府の主流となったブルジョア共和派に対立して新聞《人民の友》を出し,クラブを結成して街頭の民衆運動に荷担した。5月15日民衆の議会侵入にも行動を共にし,ブランキらとともに逮捕された。ルイ・ナポレオンが当選した48年12月の大統領選では最左翼の候補として出馬し,3万7000票を得たが,5月15日事件の責任を問われ,5年の禁固刑に処せられた。54年より59年まで国外に亡命し,帰国後の第二帝政の後半には,七月王政末期から力をいれていた簡便で安価な大衆的医療の普及に努めた。
執筆者:喜安 朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報