1929年2月11日、ラテラーノ(英語名ラテラン)宮殿においてローマ教皇庁とムッソリーニ政府との間で調印された協定。ラテラーノ協定ともいう。三つの公文書からなる。第一は教皇庁の独立主権を認める政治協定で、第二はイタリア国内の国家と教会の関係を定めた政教条約であり、第三は19世紀の国家統一の際、教会に与えた損害の賠償を規定した財政協定である。ラテラン協定によって、1870年9月以来半世紀にわたって対立してきたイタリア国家と教皇庁は、相互承認に基づく和解に達し、カトリシズムはイタリアの国教であること、およびバチカン市に対する教皇庁の排他的支配権が確認された。イタリアの市民生活にもっとも影響を及ぼしたのは政教条約で、これによって従来の政教分離の原則が否定され、聖俗二権力の協力という前近代的原理が導入された。さらにカトリック聖職者には、徴兵など一部の市民的義務の免除、また教育、結婚および「カトリック行動」の活動等に関して諸特権が与えられた。イタリアとカトリック世界に熱烈に歓迎されたこの協定によって、ムッソリーニは国内では大衆の支持を確保し、対外的にはファシズムの威信を拡大した。ラテラン協定は第二次世界大戦後イタリア共和国憲法(1948年1月施行)第7条に編入された。
その後1970年代の一連の世俗化の動き(70年の離婚法の成立、74年の国民投票による同法の存続、75年の家族法の全面改正、78年の妊娠中絶法の成立など)によってイタリアの法制度のなかに組み込まれていたカトリック婚姻観ないし家族観は大きく後退した。
1984年2月社会党の首相クラクシと教皇庁国務長官カザローリは信仰の自由を認める協定に調印し、11月には教会財産、課税問題に関する協定に調印した。こうしてイタリアと教皇庁との間で1984年2月から始まった一連の協定に基づいて新しいコンコルダート(政教協約)が翌85年5月に調印された。その内容は、
(1)カトリック教を国家宗教とする原則を廃止して国家の中立性を確認する
(2)宗教組織や聖職者への課税などの免除と諸特権を廃止する
(3)離婚の自由を認める
(4)公立学校における宗教教育の義務化を廃止する
などである。これにより憲法に編入されていたラテラン協定は実質的に廃止された。
[重岡保郎]
『ファシズム研究会編『戦士の革命・生産者の国家』(1985・太陽出版)』▽『村上信一郎著「教会問題」(清水広一郎・北原敦編『概説イタリア史』所収、1988・有斐閣)』
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