言語系統論的にみて,古代ローマ帝国内で話されたラテン語から派生したと想定される,イタリア語,フランス語,スペイン語,ポルトガル語,ルーマニア語などのいわゆるロマンス諸語(ロマンス語)を母語とする人々を,俗にラテン(系)民族と総称する。しかし,実際には,それらの人々は数多くの国民国家に分断されており,一つのラテン民族としての帰属意識があるわけではない。むしろ,スペインのカタルニャ語や南フランスのオック語(オクシタン)の話し手たちの場合のように,同じロマンス語系でも少数言語を母語とする人々の間で分離・自決権を要求する傾向が,近年ますます高まっている。
歴史的にみても,ロマンス諸言語を話す人々の間に,古代ローマ人が自分たちの共通の祖先である,もしくはラテン語が共通の祖語である,という意識がつねにあったわけではない。中世前期には,帝政末期のローマにおける退廃した生活のイメージが否定的記憶として残っていて,〈ローマ人めRomane〉という表現は,ののしりことばとさえなっていた。また,しばしば〈情熱的〉とか〈衝動的〉とか形容されるラテン気質というものも,昔から存在したわけではない。17世紀ごろまで,スペイン人やイタリア人はかえって沈着冷静で,ときに陰険であるという評が一般的であったようだ。今日のようないわゆるラテン気質を定着させるのに決定的な力があったのは,イタリア生れの俳優ルドルフ・バレンチノをはじめとする〈ラテン・ラバー〉を主人公とした,戦前,戦後の数多くのハリウッド映画であったように思われる。これに対して,質実剛健といわれた共和政期のローマ人の子孫であると誇らしげに宣言したのは,イタリアのファシストたちであった。
こうしてみると,ラテン民族とは比較言語学的な抽象であると同時に,神話的な現実であるといえよう。
執筆者:野村 雅一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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