日本大百科全書(ニッポニカ) 「リデル」の意味・わかりやすい解説
リデル
りでる
Hannah Riddell
(1855―1932)
イギリス人の女性宣教師で、日本におけるハンセン病(旧称、癩(らい))の患者救済の先駆者。北ロンドンに生まれ、1890年(明治23)イギリス国教会の宣教師として熊本へ赴任。その春、初めてハンセン病の患者を見て、その救済を決意する。1895年熊本市郊外に同病者の収容施設、熊本回春病院(定員80名)を創設。その後宣教師を辞任し、事業に専念。草津や奄美(あまみ)、沖縄方面の患者の救済にあたった。さらに広くこのことの国家的責任を訴え「癩予防法」制定の原動力となった。78歳で熊本で没した。藍綬褒章(らんじゅほうしょう)、勲六等瑞宝章(ずいほうしょう)受章。
なお彼女の姪(めい)のライトAda Hannah Wright(1870―1950)もロンドンに生まれ、1896年に来日。各地で英語教育や宣教に従事したが、1923年(大正12)以降はリデルの事業を補佐した。リデルの没後、その事業の後継者となったが、国際情勢の緊迫化に伴い、1941年(昭和16)ついに熊本回春病院は解散した。第二次世界大戦中ライトはオーストラリアで過ごしたが、戦後ふたたび来日。同病院跡の住居において80歳で没した。藍綬褒章、勲四等瑞宝章受章。病院跡はリデル・ライト記念老人ホーム(現、リデルライトホーム)とリデル・ライト両女史記念館となり、二人の遺骨は同園内の納骨堂に他の多くの病者とともに眠っている。
[秋山範]
『熊本回春病院事務所編『ミス・ハンナ・リデル』(1934・熊本回春病院/複製・1993・リデル・ライト両女史顕彰会)』▽『志賀一親著、内田守編『ユーカリの実るを待ちて――リデルとライトの生涯』再版(1990・リデル・ライト記念老人ホーム)』