改訂新版 世界大百科事典 「リヨン大学」の意味・わかりやすい解説
リヨン大学 (リヨンだいがく)
Université de Lyon
フランス,リヨン大学区の3大学の総称。第1大学は医学・自然科学系,第2大学,第3大学は,法経,社会科学,人文科学系を中心とする。学生数は約6万5000名(1996年現在)。交通の要衝として,ローマ文化のガリア浸透の前進基地であり,すでにカロリング時代から文化の中心地として聞こえたリヨンは,パリに次ぐフランス屈指の大都市であったが,〈大学〉はフランス革命以前には設置されなかった。1292年,教皇ニコラウス4世は,リヨンの神学・法学研究の学校を〈大学〉と承認したが,隆盛を誇ったアビニョン大学が近くにあったことや,政治的対立,ペストなどの影響で,ほとんど実体をもたなかった。その後の大学再興の動きはすべて失敗している。しかし16世紀には,リヨンは人文主義運動の中心として名高く,また,医学・外科学の学校は中世から18世紀に至るまで高く評価されていた。フランス革命による各地の大学の閉鎖後,ナポレオン1世の〈帝国大学令〉にそって,ようやく文学部・理学部・神学部が開設され(1810),他の大学都市と同格になった。第三共和政になると,法学部も設置され(1875),のち,法経・医薬・理・文の4学部構成となり,医学,古典学,東洋学などに関係する多くの研究所が付置された。1969年の高等教育基本法で,従来の1大学4学部制が廃止され,10前後の〈ユニテ(教育研究単位)〉をもつ,独立した3大学に再編された。
執筆者:田中 峰雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報