フランスの詩人。本名Charles-Marie Leconte。レユニオン島に生まれる。10歳から18歳までそこで過ごしたのち、ブルターニュのレンヌの大学に入学。初めフーリエの理想にひかれ、また友人のメナールを通じて知ったヘレニズムにも関心を示しながら革命を目ざす。1846年パリに移住して『ファランジュ』『デモクラシー・パシフィック』誌に寄稿するが、48年の二月革命挫折(ざせつ)後、詩作に専念する。52年には処女詩集『古代詩集』Poèmes Antiquesで文献学、考古学のような実証科学と詩の融合を試み、不感無覚の精神と端正な形式によりギリシア的調和の美と厭世(えんせい)的虚無と死の世界観を歌った。この詩想は終生変わることなく、62年にはインド、エジプト、北欧など非ギリシア世界の神話に想を得た『夷狄(いてき)詩集』Poèmes barbaresを世に送った。やがて若い詩人たちから高踏派の師として注目され、『現代高踏詩集』(1866)にも作品を寄せた。61年から85年にかけてギリシア、ラテンの古典仏訳著を刊行し、73年にはアイスキロス『オレステイア三部作』の翻案戯曲『エリニー』が初演された。84年『悲劇詩集』を発表、没後95年には晩年の詩篇(へん)が弟子エレディアにより『最後の詩集』としてまとめられた。アカデミー会員。
[遠山博雄]
フランスの詩人。インド洋西部のフランス領レユニオン島に生まれる。はじめ父の意志に従い貿易商たるべくインド旅行などを試みるが,文学への情熱を捨てきれず,1845年ころからパリに定住,フーリエ主義(C.フーリエ)に共鳴し,機関誌《ファランジュ》などの編集に協力する。48年の二月革命の敗北を機に,フーリエ主義に基づく革命思想から遠ざかる。そして古代インドの宗教に関心を抱いたり,古代ギリシアの調和と秩序を憧憬するなど,古代賛美に幻滅をいやす道を求める。《古代詩集》(1852)はその所産である。その後さらにエジプト,北欧等々世界各地の神話,伝説に素材を汲んだ《夷狄詩集》(1862),ギリシア悲劇を主題とする《悲劇詩集》(1884)などによって,いわゆる不感無覚を原理とし,壮大な造形性に富む客観的なイメージを重視する独自の詩法を確立,高踏派の中心人物となった。1886年,アカデミー・フランセーズ会員に選ばれている。
執筆者:菅野 昭正
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