ルコントドリール(読み)るこんとどりーる(英語表記)Leconte de Lisle

デジタル大辞泉 「ルコントドリール」の意味・読み・例文・類語

ルコント‐ド‐リール(Leconte de Lisle)

[1818~1894]フランス詩人本名シャルルマリールコント(Charles Marie Leconte)。高踏派の中心的存在。感情・主観を排し、厳格な形式によって荘重な美の世界を追求した。詩集古代詩集」「夷狄いてき詩集」「悲劇詩集」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ルコントドリール」の意味・読み・例文・類語

ルコント‐ド‐リール

  1. ( Charles-Marie-René Leconte de Lisle シャルル=マリー=ルネ━ ) フランス高踏派の詩人。没個性的・客観的な荘重な美の世界を歌った。著に「古代詩集」「夷狄詩集」など。(一八一八‐九四

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルコントドリール」の意味・わかりやすい解説

ルコント・ド・リール
るこんとどりーる
Leconte de Lisle
(1818―1894)

フランスの詩人。本名Charles-Marie Leconte。レユニオン島に生まれる。10歳から18歳までそこで過ごしたのち、ブルターニュレンヌの大学に入学。初めフーリエの理想にひかれ、また友人のメナールを通じて知ったヘレニズムにも関心を示しながら革命を目ざす。1846年パリに移住して『ファランジュ』『デモクラシー・パシフィック』誌に寄稿するが、48年の二月革命挫折(ざせつ)後、詩作専念する。52年には処女詩集『古代詩集』Poèmes Antiquesで文献学、考古学のような実証科学と詩の融合を試み、不感無覚の精神と端正な形式によりギリシア的調和の美と厭世(えんせい)的虚無と死の世界観を歌った。この詩想は終生変わることなく、62年にはインド、エジプト、北欧など非ギリシア世界の神話に想を得た『夷狄(いてき)詩集』Poèmes barbaresを世に送った。やがて若い詩人たちから高踏派の師として注目され、『現代高踏詩集』(1866)にも作品を寄せた。61年から85年にかけてギリシア、ラテンの古典仏訳著を刊行し、73年にはアイスキロスオレステイア三部作』の翻案戯曲『エリニー』が初演された。84年『悲劇詩集』を発表、没後95年には晩年詩篇(へん)が弟子エレディアにより『最後の詩集』としてまとめられた。アカデミー会員。

[遠山博雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ルコントドリール」の意味・わかりやすい解説

ルコント・ド・リール
Charles-Marie-René Leconte de Lisle
生没年:1818-94

フランスの詩人。インド洋西部のフランス領レユニオン島に生まれる。はじめ父の意志に従い貿易商たるべくインド旅行などを試みるが,文学への情熱を捨てきれず,1845年ころからパリに定住,フーリエ主義(C.フーリエ)に共鳴し,機関誌《ファランジュ》などの編集に協力する。48年の二月革命の敗北を機に,フーリエ主義に基づく革命思想から遠ざかる。そして古代インドの宗教に関心を抱いたり,古代ギリシアの調和と秩序を憧憬するなど,古代賛美に幻滅をいやす道を求める。《古代詩集》(1852)はその所産である。その後さらにエジプト,北欧等々世界各地の神話,伝説に素材を汲んだ《夷狄詩集》(1862),ギリシア悲劇を主題とする《悲劇詩集》(1884)などによって,いわゆる不感無覚を原理とし,壮大な造形性に富む客観的なイメージを重視する独自の詩法を確立,高踏派の中心人物となった。1886年,アカデミー・フランセーズ会員に選ばれている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルコントドリール」の意味・わかりやすい解説

ルコント・ド・リール
Leconte de Lisle, Charles Marie René

[生]1818.10.22. レユニオン島,サンポール
[没]1894.7.17. ルーブシェーヌ,ボアザン
フランスの詩人。法律を学んだが詩人を志し,『ファランジュ』誌に詩を発表するかたわら,フーリエ主義者として二月革命 (1848) を支持。そのために家族との間に不和を生じ,以後貧窮生活を強いられたが,やがて政治から遠ざかり,ホメロスやギリシア悲劇などの翻訳研究に専念。この古代との交わりから,独特の「客観的抒情」という理念を得,『古代詩集』 Poèmes antiques (1852) ,『夷狄 (いてき) 詩篇』 Poèmes barbares (62) を完成し,ロマン派に対立して,感情を極力排した冷たい形式美を目標とする高踏派を形成,1866年にこの派の詞華集『現代高踏詩集』 Le Parnasse contemporainを刊行 (続巻 71,76) ,一世を風靡した。ほかに『悲劇詩集』 Poèmes tragiques (84) など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ルコントドリール」の意味・わかりやすい解説

ルコント・ド・リール

フランスの詩人。高踏派の代表的存在。熱狂的な共和主義者だったが,二月革命後政治に幻滅,同時にロマン主義に反感をもった。古代に題材を求めて非情の美を探究,科学・客観主義を唱えた。作品に《古代詩集》《夷狄(いてき)詩集》。1860年ころから彼のもとに若い詩人たちが集まり,1866年の《現代高踏詩集》によって高踏派が確立した。
→関連項目エレディアレニエ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android