レニエ(読み)れにえ(英語表記)Mathurin Régnier

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レニエ」の意味・わかりやすい解説

レニエ
Régnier, Henri (François Joseph) de

[生]1864.12.28. カルバドスオンフルール
[没]1936.5.23. パリ
フランス詩人小説家。初めマラルメ師事,のち高踏派の影響を受け (1896年エレディアの娘と結婚) ,柔軟な詩法を駆使し,優美で諧調に満ちた抒情詩を完成させた。詩集『古風でロマネスクな詩集』 Poèmes anciens et romanesques (90) ,『田園の聖なる遊び』 Les Jeux rustiques et divins (97) ,『粘土のメダル』 Médailles d'argile (1900) ,『水の都』 La Cité des eaux (02) ,『翼あるサンダル』 La Sandale ailée (06) ,『焔の跡』 Vestigia flammae (21) ,小説『真夜中の結婚』 Le Mariage de minuit (03) ,『おとなしい青年の休暇』 Les Vacances d'un jeune homme sage (03) 。彼の詩は上田敏永井荷風の翻訳を通じて,日本でも早くから親しまれた。アカデミー・フランセーズ会員 (11) 。

レニエ
Régnier, Mathurin

[生]1573.12.21. シャルトル
[没]1613.10.22. ルーアン
フランスの風刺詩人。 P.デポルトの甥。その生涯はさまざまな伝説的逸話に包まれ判然としない部分が多い。ビヨンベルレーヌの中間に位置するというべき自由闊達,不羈奔放の放蕩詩人。マレルブの詩論に反対し,詩は規則に拘束されることなしに各自の自由な発想に従うべきであると主張。プレイヤッドの詩人たちが復活させえなかった古代の風刺詩の形式を生かして,ボアロー先駆となる風刺詩 16編を残し,鋭い観察眼で偽善者,衒学者などの姿をとらえた。ボアローは「モリエール以前では人間の風習や性格に最も精通したフランス詩人」と評した。ミュッセをはじめとするロマン派の詩人たちに大きな影響を与えた。『作品集』 Œuvres (1608,13増補) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「レニエ」の意味・わかりやすい解説

レニエ(Mathurin Régnier)
れにえ
Mathurin Régnier
(1573―1613)

フランスの詩人。シャルトルに生まれる。宮廷詩人フィリップ・デポルトの甥(おい)。9歳で宗門に入り、ジョアユーズ枢機卿(すうききょう)Cardinal de Joyeuseに従って数次ローマに旅行、1605年パリに定住、放縦な生活を送る。08年、10編の風刺詩からなる『第一作品集』Premières Œuvresを発表、好評を博したが、13年ルーアンで夭折(ようせつ)する。作品としては公的な詩や宗教詩もあるが、その本領は風刺詩にあり、奔放な語彙(ごい)を駆って当代の悪弊を告発、マレルブに反対し、霊感の権利を強く主張した。

[渡邊明正]


レニエ(Henri de Régnier)
れにえ
Henri de Régnier
(1864―1936)

フランスの詩人、小説家。オンフルールの旧家の出。高踏派の詩人エレディアの影響を受け、典雅な象徴派の詩人となる。『古風でロマネスクな詩』Poèmes anciens et romanesques(1890)、『水の都』(1902)、『時の鏡』(1910)などの名詩集を残す。小説にも力量を示し、『二重の恋人』La Double Maîtresse(1900)、『生きている過去』(1905)のほか、多数の作品がある。アカデミー会員。永井荷風(かふう)が愛した詩人として知られている。

[窪田般彌]

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