17世紀のフランスの風刺詩人。デポルトの甥にあたる。風刺詩第1~第9までの《初期作品集》(1608),翌年作品2編を加えて《レニエ氏風刺詩集》を刊行,ほかに5編の風刺詩がある。ラテン詩人やイタリアのL.アリオスト,F.ベルニの風刺詩に学び,俗な世相の描写から人間の心の真実の描写へとつながる,すぐれた観察眼,批判精神を示した。思想的には後期人文主義者,とくにモンテーニュを受けつぎ,人間の弱さ,はかなさをみつめ,文学的には伯父デボルトらの穏健かつ上品なフランス語観を受けつぐとともに,ロンサール的な発想の飛躍を尊重する考え方を支持した。それによって,きびしいフランス語の純正化と,発想の平易化を要求するF.deマレルブとの対立を生んだ。レニエは人文主義,古代作家尊重派として,マレルブを攻撃したのである。その意味でレニエと自由を要求したバロック詩人たちとを同列に置くことはできない。
執筆者:福井 芳男
フランスの詩人,小説家。貴族の末裔の彼は外交官志望を断念したのちに,詩作に転じた。高踏派の頭目ルコント・ド・リールに師事し,エレディヤを岳父として造形美術的な詩法を学び,マラルメの火曜会の重要メンバーとなって音楽的な詩法を会得した。したがって,彼の詩風は高踏派と象徴主義派の混交である。そして終局は一種の新古典主義へと移行している。主として《メルキュール・ド・フランス》誌を活動の舞台とした彼は,多くの詩や小説を書いた。詩作は《明くる日》(1885)に始まって,《いにしえのロマネスク風詩編》(1890),《夢の中でのように》(1892),《水の都》(1902),《時の鏡》(1910)などがある。神秘と幻想と擬古趣味を特徴とする彼の小説は,第1次大戦前に11作,大戦後に7作ある。《深夜の結婚》(1903),《生きている過去》(1905),《恋のおそれ》(1907)などがその主要作品といえよう。1911年にアカデミー・フランセーズ会員に選ばれた。
執筆者:若林 真
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フランスの詩人。シャルトルに生まれる。宮廷詩人フィリップ・デポルトの甥(おい)。9歳で宗門に入り、ジョアユーズ枢機卿(すうききょう)Cardinal de Joyeuseに従って数次ローマに旅行、1605年パリに定住、放縦な生活を送る。08年、10編の風刺詩からなる『第一作品集』Premières Œuvresを発表、好評を博したが、13年ルーアンで夭折(ようせつ)する。作品としては公的な詩や宗教詩もあるが、その本領は風刺詩にあり、奔放な語彙(ごい)を駆って当代の悪弊を告発、マレルブに反対し、霊感の権利を強く主張した。
[渡邊明正]
フランスの詩人、小説家。オンフルールの旧家の出。高踏派の詩人エレディアの影響を受け、典雅な象徴派の詩人となる。『古風でロマネスクな詩』Poèmes anciens et romanesques(1890)、『水の都』(1902)、『時の鏡』(1910)などの名詩集を残す。小説にも力量を示し、『二重の恋人』La Double Maîtresse(1900)、『生きている過去』(1905)のほか、多数の作品がある。アカデミー会員。永井荷風(かふう)が愛した詩人として知られている。
[窪田般彌]
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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