オーストリアの詩人、劇作家、小説家。ケルンテン州のグリッフェン生まれ。グラーツ大学在学中に「グラーツ・グループ」に参加、あらゆるジャンルにわたって言語実験を試み、『観客罵倒(ばとう)』(1966)など一連の「純粋言語劇」によって、ドイツの劇壇を席巻(せっけん)した。成人までことばを知らずに成長したカスパルをパターンに還元して、言語の習得とともに体制社会に組み込まれる過程を解明する戯曲『カスパル』(1968)が初期の代表作。社会的慣習や日常の言語という薄氷の上で繰り広げられる不安定な人間関係が露呈する『ボーデン湖上騎行』(1971)を経て、本格的な舞台劇『非理性的な人間は死滅する』(1973)を最後に散文の世界に移行する。殺人犯の逃避行を通じて自我崩壊の過程を克明に言語化する『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』(1970)を原点に、離婚問題を契機にして閉塞状況から脱却するために自己定位を求める遍歴を描く『長い別れを告げる短い手紙』(1972)、自殺した母親の精神崩壊の軌跡をたどる『望みなき不幸』(1972)の2作によって作風の転機をめざした。さらに、1970年代のヒステリー的精神状況を映像化する意欲に燃えて、シナリオ『偽りの運動』(ビム・ベンダースにより『まわり道』のタイトルで1975年映画化、同年刊)、自ら映画化した中編『左ききの女』(1976)によって、意思の疎通すらおぼつかない不毛な人間関係の孤独な世界を描出した。
1980年代になると、主体への回帰の傾向が顕著になり、自我と自然との一体化を求めて遍歴する作者の心象風景を描く『ゆるやかな帰郷』四部作(1979~81)は、掉尾(とうび)を飾る祝祭劇『村々を越えて』(1981)で自然と愛の力による人類救済の可能性を示唆している。1982年ザルツブルク音楽祭の企画に協力して、『村々を越えて』の初演を転機に劇作活動を再開し、『問答の劇』(1989)、『お互いに何ひとつ関知しなかったひととき』(1992)、『不死のための準備』(1997)が、クラウス・パイマンClaus Peymann(1937― )の演出によりウィーンで初演された。散文の世界では、長編『苦痛の中国人』(1983)、『反復』(1986)、時空を超える探検旅行のメルヒェン『不在』(1987)のほかに、1975~77年の日誌『世界の重量』(1977)、『鉛筆の物語』(1982)、『反復の幻想』(1983)を経て、物語の成立をめぐるロマン・エッセイともいうべき『疲労をめぐる試論』(1989)など『試論』シリーズ、同じ系列の1000ページを超す大作『無人の入り江ですごした私の1年――新しい時代のメルヒェン』(1994)、ベンダース監督に委嘱されたシナリオ『ベルリン・天使の詩(うた)』(1987)など、多彩な執筆活動を続けている。『セルビア冬の旅』(1996)や1982~87年の日誌『朝に岩の窓辺で』(1998)は文学者による時代の証言。
[丸山 匠]
『大島勉訳『現代世界演劇17巻 観客罵倒』(1972・白水社)』▽『羽白幸雄訳『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』(1979・三修社)』▽『龍田八百訳『カスパー』(1984・劇書房)』▽『種村季弘編、飯吉光夫・丸山匠ほか訳『ドイツ幻想小説傑作集』(1985・白水社)』▽『池田香代子訳『左ききの女(新しいドイツの文学シリーズ4)』(1989・同学社)』▽『阿部卓也訳『反復』(1995・同学社)』▽『平子義雄著『言葉をめぐり物語をめぐる――ペーター・ハントケの世界』(1998・鳥影社)』▽『元吉瑞枝訳『空爆下のユーゴスラビアで――涙の下から問いかける(新しいドイツの文学シリーズ11)』(2001・同学社)』
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